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探偵と刑事とペット・一

 シドがおれを飼いたいらしい。  飼うってなんですかと訊いたら、「そのままの意味だよ」としれっと返された。要は、ペットプレイをしたいんだって。  おれはよく、シドから「エドはおりこうさんのわんこみたいだね」って言われる。自分では不服なんだけど。今回も、シドは犬になったおれを飼いたいらしい。  ペットプレイですかって訊いたら、いかがわしいことはしないよと真顔で言われた。顎の下に入れた大きな手で撫でられる。それじゃ猫です。 「単に、きみを可愛がりたいだけ。してくれる?」  しかたないですね、とおれは答えた。ちょうどその週の週末から二連休で、体は空いてる。シドのお願いにつきあってやってもいい。  なにせ、結婚記念日だし。  ということで、おれは夫の犬になることにした。  八月のその夜も暑かった。仕事から帰ると午後八時。帰り道、空腹のあまりスタンドでチリコンカンとパンを食べた。シドも帰りが遅くなるって言ってたから、ちょうどいい(食事をつくるのはシドの担当で、もし彼が料理を作って待っててくれるというなら、おれは空腹のまま帰っただろうけど)。  真っ暗な家を明るくして、自分の寝室でスーツを脱ぎ、裸にボクサーパンツのまま着替えを手にシャワーを浴びに行く。汗をかいていて、早くすっきりしたかった。  無心で風呂に入り、髭を剃ったあと、おろしたばかりのボクサーパンツを履く。シドが買ってくれた、大人っぽい黒の下着。出かけた先で急にプールに泳ぎに行こうかって話になって、そのとき着替え用にって、デパートで買ってくれたんだ。でも結局プールには行かなかった。履いてみると、サイズもぴったり。素肌にグレーのパーカーを羽織り、キッチンの冷蔵庫からコーラの缶を取ってきて一口飲む。  飲みながら階段をあがり、三階へ。シドの寝室の扉を開けた(おれたちが別々の寝室で寝てるのは仲が冷めてるからじゃなくって、互いの寝室は狭くて二人用のベッドを置けないためなんだ)。電気をつけ、ベッドに寝転ぶ。  このベッドは、おれの体重もたやすく受けとめてくれた。ふかふかの、というよりはがっしりしたマットレス。シーツからはかすかにシドの匂いがする。彼の好きな香水と体臭と洗剤の香り。混ざりあって、うっとりしてしまう。目を閉じてベッドに伸びた。  疲れた。今日もタイトなスケジュールで取り調べをしたし、パソコン入力で目は疲れたし、外に出る用事もあったし、と忙しい一日だった。このまま、しばらく寝ていたい。  そこではっと思いだす。そうだ、寝る前にしておかなければいけないことがある。閉じそうになっていた目を開けて、ベッドの左側、サイドテーブルの上に置かれたものを見る。  茶色い犬耳がついたカチューシャと、ベルトに取りつけられた尻尾。これを用意していたときのシドはどんな顔をしていたのだろう、案外真顔だったりして。そう思いながらカチューシャをつけ、腰にベルトを巻く。起きあがって、姿見で自分の格好を見てみた。ゴールデンレトリバーのように垂れた犬耳に、尻尾。なんだろう、罰ゲームみたいじゃないかなこれ。ちょっと不安になった。こんな妙な格好、ほんとにシドが求めているものなんだろうか?  最後の仕上げに、赤い首輪を首に巻いた。ちょっと窮屈だ。タグにはしっかりと「Ed」と書かれている。鏡の前でくるくる回ってみた。……うん、やっぱおかしい。シドががっかりしないかな。でも、こうしろと言われているからちゃんとつけておかないと。  そのままベッドに戻って、横になった。といっても仰向けは尻尾が邪魔になるから、うつ伏せで。うとうとする。ときおり車が走り去る音が聞こえるけど、それ以外は静かだ。睡魔に揺られて、気持ちがよくなってくる。おれはいつのまにか眠っていた。 ○  扉が開く音に、とっさに時計を見る。九時半すぎ。入り口を振り返ったら、そこにシドが立っていた。 「エド、寝てるのか?」  低いささやき声に、おれは目をこすりながら答える。 「いや、今起きました」 「よかった」  そう言って、夫はそばによってきた。肩にトートバッグを掛け、手にはケーキ屋でもらう四角い箱。半袖のボタンダウンシャツにスラックスという少し改まった格好だ。 「仕事?」  大柄の彼を見上げて尋ねたら、シドはのしかかるようにおれの上にしゃがんだ。 「うん。きみもお疲れさま。ところで……犬耳と尻尾、つけてくれたのか? 可愛い」  青い目をきらきらさせる夫に、おれも微笑む。 「変じゃないですか?」  尋ねてみたら、シドは真顔で首を横に振った。 「いいや。とっても似合ってるよ。あ、そうだ。今からはじめようと思うけど、ぼくが言った『お願い』、聞いてくれる?」  おれは思いだしてこくりとうなずいた。 「わん」  そう言うと、あの人は柔らかな笑顔を浮かべた。 「そうそう。それで完璧。さすがはおりこうさんのエドだ」  頭をくしゃくしゃ撫でられる。シドの「お願い」は、「ペットプレイのあいだは言葉をしゃべらないこと」。わんと鳴くのはちょっと恥ずかしいけど、でもできないお願いじゃない。ベッドに起きあがってご主人様のことを見ていると、シドはおれの頭を撫でて、言った。 「プリンを買ってきたんだ。きみにもあげるね。下に行って皿をとってくるから、待ってて」  おれはうなずき、ベッドに座り直す。端から脚を下ろした。シドは行ってしまった。そのまま、しばらく寝起きでぼんやりする。  ペットになるのはいいけど、これで愉しいのかな、あの人は。もっと……その……獣姦ぽいこととか……しなくていいのかな……。  そんなことを考えながら待っていると、扉が開いた。シドがトレイにプリンの入った皿を二つ持って入ってくる。トレイをサイドテーブルに置くと、彼はベッドに腰を下ろした。おれを見て頭を撫でたあと、肩を抱き寄せてくる。 「ただいま、エド。今日はなにしてたんだ?」  なに、と言われても答えられない。おれはあの人の目を見て、一生懸命「わん、わん」と言ってみた。シドはにこにこして、「忙しかったのか?」と言う。すごい、通じてる。裸の腹を撫でると、彼は首を傾げた。 「お腹空いたのか?」  おれが首を横に振ると、あの人は笑った。 「でも、食べてきたのか」 「わん」 「そう、えらいね。一人でなんでもできるんだ」  できますよ、おれもう二十八ですし。そう思うが、うなずいておく。シドはおれの耳(犬の)を触り、また頭を撫でた。  頭を撫でられるとうっとりしちゃうんだよな……。  おれがとろんとしていると、あの人はおれを抱きしめた。 「エドはいい子だね。可愛い。癒される。パパはきみのこと大好きだよ」  パパって言いだした。なるほど、シドはこれがしたかったんだなと思う。おれを猫っ可愛がりしたかったんだ。ペットにするみたいに。じゃあ、おれの行動も決まっている。 「くぅん」  おれは鳴いて、シドの胸に頭を擦りつける。彼はぎゅっと抱きしめてきた。 「ん、可愛い。エドはあったかいね。いい匂い」  シドもいい匂いがする。おれはうっとりして、彼の胸に頬を押しつけた。シドは真顔で一言。 「きみは犬だってわかってるけど、ちょっと大きくなりそうだ」  おれはそっと体を離す。じとっと見ると、シドは慌てた。 「ごめんごめん、びっくりしたか? 大丈夫だよ、変なことはしないからね。ぼくはきみのパパだからな。大事にするよ。おいで、エド」  おれはふたたびシドの胸に頬を押しつけた。厚く逞しい胸。平手でぺしぺし叩くとふにふにしていて気持ちいい。シドもぎゅっと抱きしめ返してくれる。彼はおれを抱きしめた格好で、尻尾を触っていた。 「昔、犬を飼っていてね」とシドが言う。 「黒いスコティッシュテリアで、ぼくのいい相棒だった。あの子のことを思いだす。賢くて忠実で……自分のほうが小さいくせに、ぼくを守ろうとしていた。つらいときやしんどくなったときは思いだすんだ」  そう言って、おれの頭に顎を載せてくる。おれはシドに抱きついて、「くぅん」と鳴いた。今はおれがいるじゃないですか、という心境だ。どうやらそれが通じたらしく、「でも」と言ってシドはおれの目を見つめた。 「今はきみがいる。ぼくのいい相棒だ。そうだね、エド?」  もちろんです。おれはそう答えるつもりで、あの人の手の甲をぺろっと舐めた。  シドは笑って言った。 「そうだ、プリン食べるか? きみの分もあるからね」  そう言ってベッドにトレイを置く。手を伸ばそうとしたら、止められた。 「見てごらん」と言われて見ると……スプーンが置かれているほうの器が一つしかない。シドはそっちの器をさっさとサイドテーブルに乗せた。おれが困惑していると、シドはおれの頭をそっと手で押さえた。 「ほら、食べて。犬だからスプーン、いらないだろう?」  耳がかっと熱くなる。思わずたじろいだ。シドを見つめると、あの人の笑顔は容赦がない。 「プリン、好きだろう? きみが好きなハロッズのケーキ屋さんで買ってきたんだ。ほら。食べなさい」  おれはぷるぷると震えた。ここにきて、ここにきて……ペットプレイ。羞恥心が煽られる。でも、あの人が笑顔で見ているから拒めなかった。そろそろと頭を垂れて、ガラスの皿に顔を近づける。黄金色のプリンがふるっと揺れた。 「ほら」  あの人が急かす。おれは顔を近づけると、はぐっと食らいついた。鼻の頭にプリンがつく。冷たい。口の中に少しだけ入れるけど、心臓がどきどきしてなかなか飲み下せない。 「いい子、いい子」  シドはそう言っておれの頭を撫でているが、顔を上げるのは許してくれない。おれはこうべを垂れてケツを上げた格好のまま、プリンに顔を埋めた。はくはくと噛みついて飲みこむ。味を感じない。大好きなプリンなのに。 「んく、ん」  むせかけたら、シドは優しく頭を撫でてくれた。目の奥が朦朧とする。おれは跪いたままプリンを食べた。脚のあいだが硬くなっているのが自分でもわかる。おれ、勃起しちゃってる……。  恥ずかしさと罪悪感に苛まれる一方、興奮していた。頭を垂れてケツを上げ、這いつくばって、犬のようにプリンに貪りつく自分の姿を想像すると激しく昂ぶる。口の端から、はあはあと荒い息が漏れる。  プリンもあらかた食べ終えると、シドはおれの頭を撫でたまま低い声でささやいた。 「最後まで、きれいに食べるんだよ。舐めなさい」  おれは皿の底を、ぺちゃぺちゃと音を立てながら舌できれいに舐めた。勝手に尻が揺れてしまう。シドのぶ厚い手が、ぺしっと一度おれの尻を叩いた。  目の奥が蕩ける。おれは皿をべろべろと舐め、そのうえ小さくげっぷしてしまった。 「全部食べたね。えらいよ」  あの人は優しく言って、おれの頭を撫でた。目のふちに涙が浮かんでしまう。 「くぅうん……」  小さい声で鳴いて、差しだされたシドの手を夢中でぺろぺろ舐める。口の中が甘い。ご主人様は黙っておれを見ていた。指でおれの短い髪を梳いてくれて、どきどきする。彼はおれをぎゅっと抱きしめると、そのままどさっとベッドに横になった。おれもなすすべなく、いっしょにベッドに埋もれる。 「エド」とおれを抱いたまま、あの人は言った。 「きみとこうやって過ごせて、すごく幸せだ。ぼくのパートナーになってくれて、ありがとう」  感動的なことを言ってくれるけど、おれは下半身がもうやばいことに……。もしかして、シドはほんとにその気なんてなくて、おれが勝手に発情しただけ……? そう思うとますます恥ずかしくなる。黙ってじっと見つめると、シドは柔らかく微笑んで、「愛してるよ」と言った。おれの額に優しくキスし、ふうっと息を吐く。 「じゃあ、ぼくもプリンを食べたらちょっと仕事してこようかな」(シドは私立探偵だ)「……依頼人が、明日の朝もう一度報告してほしいと言うからね。報告書を作らないと。エドは、ここで待ってて」  いやだ。寂しい。一人にしないで。  そう言ったまま仰向けに寝転ぶあの人に、おれの体が勝手に動いていた。上体を起こし、シドの脚のあいだに頭をもっていく。こうべを垂れ、あの人の股間に、スラックスの上からそっとキスした。

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