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探偵と刑事と報復・二△

 ウィルクスはジャケットの袖をまくり、シャツの袖のボタンを外して、袖を外側に二度折った。汚れてはいけないと思ったからだが、それなら上着を脱いでもっとしっかり袖捲りをすればいい、ということには思い至らない。あまりにハイドが必死で事態が切迫していたため、彼も焦っていた。バッグも背負ったままでひとまず準備をすると、重ねていただけの手をそっと昂ぶる性器に絡みつかせる。 「ん」  ハイドが鼻にかかった息を漏らしてうめくと、ウィルクスは自分の脚のあいだが呼応するように脈打つのを感じた。おまえはおとなしくしてろ、と心の中で叱責し、彼は握ったものを上下にさする。それは成長をはじめるように身を起こし、先端からは露がじわっと湧きだしている。手を上下するたび、露はとろとろ垂れてくる。  ウィルクスは口の中で頬の肉を噛んだ。舐めたい。素直に思い、実行してはいけないと必死で思いとどまろうとする。おれはこのあと仕事なんだ。絶対に、煽られてはいけない。  必死で闘っているウィルクスのことには思い至らないまま、ハイドは尖りゆく快感と欲情に唇を噛んでいた。底のほうからぐつぐつと煮立って、額に汗がじっとりにじむ。腰を伸ばし、うつむいているウィルクスの顎に手を掛けて、上向いた彼の唇にキスしようとした。ウィルクスは慌てて頭を引き、拒むように片手で自分の口を抑える。「ヤりたい」という字がはっきり浮き出しているハイドの顔をこわごわ見返して、「だめです」と訴えた。 「キスしたらその気になっちゃうから、だめですよ」 「そうだな」息をあげながらハイドがどろりとした目でつぶやく。「きみは、し、しごとが、あるもんな」  あきらかに耳と尻尾が垂れた狼に、ウィルクスの胸は激しく高鳴って苦しくなる。かわいそうだなと思ったが、だからといってキスをしたら流される予感しかしない。めったに見ることのないしょげたパートナーの姿におろおろしながら、その代わりのつもりで怒張に絡めた手をリズミカルに何度も上下させる。手の中が濡れ、すべりがよくなるせいで、手のひらも男根も摩擦で共に熱くなる。速い息を漏らしながら身をこわばらせているハイドを前に、ウィルクスはわざと突き放すようにささやいた。 「へ、変なものでも食べたんですか?」  ハイドが低い声でつぶやいて、ウィルクスは身を乗りだす。 「え?」 「飲まされたみたいだ。あのペリエのせいだ……」  ぶつぶつ言いながらハイドは腰を浮かせ、尻ポケットに入れっぱなしで敷いていたスマートフォンを取りだした。ウィルクスが気がついたときには、カメラのレンズが自分のことを見つめていた。 「続けて、エド。と、撮るからね」  ウィルクスは慌てて自由なほうの手をレンズの前にかざそうとしたが、ハイドによけられた。彼の目は真剣で、今もまだ飢えた狼のように据わっていた。喉を鳴らし、レンズ越しにパートナーの顔と手と、それが絡みつく自らの肉茎を見つめる。 「このあと、これを見ながらもう一発ヌくから」 「お、おかずにしないでください……」 「きみがこの前、ぼくのシャツを噛みながら後ろを慰めてたことは大目に見るから」  思わずウィルクスが真っ赤になって睨みつけると、ハイドはそれ以上に真っ赤な顔になったままへらっと笑った。 「助けてほしいんだ」  ここでその笑顔と台詞はずるい、とウィルクスは思う。ずるいですよ。目に涙がじわじわ滲みながら、大好きな彼のためならなんだってしたいという心に火がつく。 「ヌいたら消してくださいよ」  捨て台詞のように言ったあと、ウィルクスは手を上下させながらカメラを見つめた。ハイドはもうしゃべらなかった。やや骨ばった若々しい手が自分の性器を一生懸命慰めているのを、食い入るように見つめている。  ウィルクスはその顔をちらりと見て、あまりの切迫した真剣さにこれ以上見ているのが怖くなった。目を伏せて体を丸くする。そうしながら全身に力を入れて、下腹部のスイッチが入りそうなのをなんとかこらえようとした。  ふいに耳に触れられ、ウィルクスは感電したように背を反らした。熱く大きな手は顎にすべり、親指が唇に触れる。年下の伴侶が吐きだす熱い息が指に触れ、ハイドの瞳孔は開いた。 「エド、口でするのは、だめか?」  ウィルクスの背に電流が走る。顔を上げると、スマートフォンを飛び越えてハイドと目があった。ウィルクスの目に涙が浮かぶ。彼は必死で拒んだつもりだった。 「だ、だめです。口は絶対だめです」  そう言った直後に視線を下に落とす。手の中で身を起こしている肉の太さと硬さ、立ち昇るにおいと熱がいっしょくたになって、存在感に涙が滲んだ。濡れた赤黒い頭を見ていると口の中に唾液が湧いてくる。 「だって……」視線を食い入るように向けたまま、ウィルクスは上擦った声でつぶやいた。「あ、あと十分もないんですよ」 「そうだな、じゃ、じゃあ、諦めるよ。ごめん」  謝られた瞬間、ウィルクスのスイッチが切り替わった。大好きな相手のためならなんだってしたいという思いに加えて、性欲のスイッチも振り切れた。彼はパートナーの追い詰められた顔を見ると、ぱっと頭を垂れた。震える舌を伸ばして怒張の頭に触れるとハイドの腰がぴくっと跳ね、目元が険しくなる。  時間がないということはかろうじて認識していたので、ウィルクスは急いだ。先端を舌先でちろちろとくすぐったあと、一気に口に含んで喉に向かってスライドさせる。  あたたかく濡れた舌と頬の肉がねっとり絡みつき、吸いあげられてハイドは身悶えるように呻きをこぼす。ウィルクスはえずきそうになるほど深く飲みこみ、さらにそれを一度解放したあと竿の根元を舐め、ふたたび咥えて、くびれを舌で舐めまわしながら頭から奥まで飲みこんでいく。  ハイドとつきあうようになるまで前も後ろもヴァージンで、性行為の経験に乏しいウィルクスのフェラチオは、最初はそれは下手だった。ハイドが気を遣って、ウィルクスを傷つけないように、恋人の未熟なフェラチオのあいだになんとかちゃんと出さないと、と気をまわしたことも何度もある。そんなウィルクスの舌戯もいまは上達して、しかも恋人が悦ぶツボを会得し、かつためらいを失くしたために、ハイドにとってかなり満足できるものになっていた。そのうえ、ウィルクスも回を重ねるごとにフェラチオを愛してやまぬようになっていた。  口の中が鋭く反りかえった肉棒でいっぱいになるとき、彼は後ろにねじ込まれているときのような興奮と性悦と幸せを感じる。丹念に竿を舐め、溢れてくる先走りを吸い、根元の袋にキスしていると、ウィルクスはふと、おれの口は性器だったんだ……と卑猥なことを考えてしまう。その悦びは彼の顔にも現れた。口の端から唾液と先走りの混ざりあったものを垂らし、うっとりしながら性器をしゃぶっている表情がハイドをますます昂ぶらせる。  バッグを背負ったまま、スーツ姿で愛する男の股間に貪りついている姿はとても卑猥だった。  こみあげる欲情と快感に圧倒されながら、ハイドはスマートフォンの画面越しに恋人を見つめる。口の中で彼の分身はますます昂ぶり、尖っていく。  ふと画面から視線を逸らしてハイドが床にしゃがんだパートナーのほうを見ると、ウィルクスの手は自分の脚のあいだにねじ込まれていた。上下に動く手を見て、彼も男の子なんだな、とハイドは妙に感慨深くなった。しかしすぐに性悦の大波がきて、そんなぬくもりは欲情に四散する。とろっとした目をしたまま、そそり勃つ男根をもぐもぐと頬張っている青年を目で犯しながら、ハイドは自分に限界が近いことを感じた。  そのとき、ふいに思いだす。ウィルクスが、精液を飲むと腹が痛くなると言っていたことを。後ろで出されると痛い、とは言っていたが、口から体内に入るのもときどき痛くなるらしい。それでも、ウィルクスはいつも「口の中で出していいですよ」と言っていた。でも、これから仕事なんだから。腹が痛くなったら大変だ。  急速に良識が戻ってきて、ハイドは一瞬ためらった。そのためらいにかぶさるように、ウィルクスが頭を咥えたまま、裏筋を舌で押しあげる。あたたかい頬の肉で圧迫され、追い立てられてハイドは思わず腰を浮かして口から自分を引き抜いていた。  その瞬間、弾けたものがウィルクスの顔に向かって勢いよく吐きだされた。彼はとっさに目を閉じる。顔をしかめ、口を半開きにして大きく息をついた。白濁まみれになった顔を見て、我にかえったハイドは慌ててウィルクスの頬を両手で挟み、顔を覗きこむ。 「すまない。掛けてしまった。目には入ってないか? ……あっ、開けちゃだめだよ。拭くからね。目に入ったら失明するらしいんだ。ほんとうにすまない」  ハイドはシャツの袖でごしごしウィルクスの顔をぬぐった。そのあいだ、彼は真っ赤な顔で目を閉じていた。目じりから涙があふれ、汚れた頬に垂れて流れた。 「きみはいけたか? ありがとう、ぼくはだいぶすっきりしたよ。ごめんね」  ウィルクスは薄目を開け、長い睫毛の向こうからうるんで輝く瞳でハイドを見上げる。口元を緩めて微笑み、「いけました」と言った。彼はのろのろと体を起こすと、ソファに座ったままのハイドを見下ろして、静かな声で言った。 「顔、洗ってきます。あと、下着履き替えてきます。もう時間ぎりぎりなんで、ここには戻らず出ますから」  それから思いだしたようにブリーフケースを拾い、やや背筋を丸めて部屋から出ていこうとした。ハイドが背中に声をかける。 「USB、忘れないで」 「はい。わかってます」  扉が閉まるとあたりは急に静かになった。まだ顔も体もほてったままで、ハイドの胸の中では鼓動が速く、力強く打ち鳴らされている。しかし、それもパレードの小太鼓が遠ざかっていくように遠くなりつつあった。彼は下着を履き直すと、ジッパーもボタンも開いたままで、ぽつんと転がっているトートバッグに手を伸ばした。荷物を探り、しばらくいろいろ探してみたあと、マルボロの箱で予期していたものを発見した。彼は煙草のあいだに押しこまれたスティック状の白い塊を取りだしてささやいた。 「個人的には性欲だけのセックスのほうが安心しますよ。でも、好きな人がいてくれるのは、いいものだ。ぼくは幸せです。願わくばこれを聞いているあなたが心から妬まんことを。それから、肉体の欲望に振り回されることもそれを行動に移すことも、ぼくはまったく恥ずかしくないし罪深いとも思わない。生理現象ですからね。でもぼくのパートナーは恥ずかしがるだろうから、いいですね、しかるべき処置をとりますよ」 ○  その夜ウィルクスが仕事から帰ってきたとき、ハイドは家にいなかった。探偵は日付が変わるころ帰ってきて、すでに自分の寝室で眠っているウィルクスの顔をちょっと見たあと、満足してシャワーを浴びにバスルームへ入っていった。  それからのち、ウィルクス刑事はふとしたところから噂で聞いた。ハイドが探偵としてまたひとつ名声を勝ち得たらしいということを、そして凄腕である代償に、彼はどうやらちょっぴり異常であるらしいということを。  ちょっぴりならいいじゃないか。そう思って、ウィルクスはそれきり忘れてしまった。

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