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探偵と刑事と距離・二
三人はシドニーとウィルクス行きつけのレストラン、クローズコート・クラブで血も滴るようなステーキとクリーム・シチューのポット・パイを食べて帰ってきた。フレデリックはさっさと寝室に着替えに行った。弟とウィルクスは居間にいて、調子の悪いDVDプレイヤーを相手に悪戦苦闘していた。
着替えを済ませると、フレデリックは居間に降りた。時刻は九時四十分過ぎ。ふと見ると弟がいない。プレイヤーのコードを繋ぎ直しながら、ウィルクスが気づいて言った。
「シドは紅茶を入れに行きました。あと、ラムレーズンのアイスをつくったそうです。持ってくるって言ってましたよ」
「好物だ。うれしいね」
ウィルクスは笑って、プレイヤーの電源をつけたり消したりして、安堵の表情を浮かべていた。まだきちんとジャケットとシャツを着ている彼を見て、フレデリックは言ってみた。
「ウィルクスさん。うちの弟がなにかと迷惑かけていないかな?」
焦げ茶色の目が驚いたようにフレデリックを見る。首を振って、微笑んだ。
「いいえ。そんなこと」
「わたしには言っていいんだよ、ウィルクスさん。あなたの味方だからね。シドはなんというか、天真爛漫というか……無邪気なところがある。だから残酷だ。欲望には忠実だし、肯定もしている。のめりこむところがあるし、そうなったら一直線だ」
ウィルクスは笑った。
「ええ。わかってます」
「どう見てもあなたのほうが大人だから言っておくが、シドに合わせなければと思わないでいいんだよ。いつも自分のことをいちばんに優先させなさい。いいかね?」
「ええ。気にしてくれてありがとうございます、フレデリックさん」
「きみは刑事だろう? 嫌だったら羽交い絞めにでもなんでもするんだよ」
「はい。って言っても、シドも探偵だし、サバットの選手だからおれがやられるかも」
「それは大丈夫。あの男はきみを愛することしか考えていないようだから」
ウィルクスは目を細める。焦げ茶色の瞳が黒く変わって、「はい」とつぶやいた。
シドニーが居間の扉を開けて顔を覗かせる。
「お茶を淹れましたよ。アイスクリームもあります。フレッド、ブランデーも用意しましたよ。どうですか?」
もらうよ、と言って、兄はシドニーからトレイを受けとった。ウィルクスはそんな二人を黙って眺めていた。
○
午前零時過ぎ。ウィルクスが隣に横になると、シドニー・ハイドは鼓動の高鳴りに息苦しくなるほどだった。肘と肘が触れ、石鹸とウィルクスの匂いがして、彼の気配でベッドの中が満ちる。ハイドがおそるおそる手を伸ばすと、ウィルクスが握ってくれるので安心した。二人はランプのほのかな明かりの中、天井を見上げて黙っていた。
「エド、その……」ハイドは上を向いたままささやいた。「フレッドに気をつかって、疲れたんじゃないか?」
ウィルクスはかすかに笑った。その響きに、ハイドの中にあたたかいものが満ちる。
「平気ですよ。お兄さんは、おれにとても優しくしてくれました」
かすかな身動きの音がして、ハイドは気がついている。ウィルクスが横を向いて、こちらを見ていると。ハイドは勇気を出して横を向き、ウィルクスと視線を合わせた。焦げ茶色の瞳は真っ黒に見える。
「キスしていいか?」
低い声でハイドがささやくと、ウィルクスはうなずいた。ハイドはそっと体を起こし、パートナーの唇に唇を押し当てる。黙って離し、「怖い思いをさせてごめん」と言った。ウィルクスの表情は彼の背後のランプで影になって、ハイドの目にはよく見えない。不安で、ウィルクスの手をぎゅっと握る。手は握り返してきた。彼はどうやら微笑んでいるらしい。
「もう、平気です」
「むりはしないで」
「大丈夫ですよ」
「……フレッドに、いろいろ相談してしまったけど」
ウィルクスは無言になる。ハイドは怖くなって手を握った。握り返してくるので、胸が苦しくなった。
「すまない、エド。不安なんだ。もし……」
「二度とできなくなったら、って?」
「いや、……もし……」ハイドは目を逸らしてささやいた。「もし、きみの心が離れてしまったらと思うと」
「意外と心配性」ウィルクスは笑った。「――なんですね?」
うん、とつぶやいて、ハイドはパートナーの腰に腕を回した。細く、しかし肉体の内にしっかりした芯を感じた。そしてあたたかかった。ウィルクスがハイドの胸に顔を埋める。年上の男の腰に手をまわした。太い木の幹のように引き締まって安定感のある彼の腰に、ウィルクスはかすかに赤くなる。
「したくなった、けど」
ささやいて顔を上げ、ハイドの目を見た。
「お兄さんが近くにいるから、だめですね」
そのとき、ウィルクスはハイドの目がうるんでいることに気がついた。淡い青い瞳は子どものように震えている。
半ば白髪になったパートナーの髪を掻き上げて、ウィルクスはささやく。
「怖くないですよ、シド。もうなにも怖くないですよ」
うん、とハイドはつぶやいた。
○
翌朝、あんなに沈んでいた弟が元気溌剌になっていることに、フレデリックはしっかり気がついた。居間に入ってきたウィルクスが、妙に怒った顔をしていることにも気がついた(フレデリックは知っていた。『エドは照れたり恥ずかしがると、怒った顔になるんです』と弟が言っていたから)。
おはようございます、と微笑みを浮かべて言って、しかし目を伏せている青年に、フレデリックはいろいろ考えてしまう。白いスウェットをめくってみたら、狼がつけた噛み痕だらけなんじゃないか、とか。
ただ、それは自分のあずかり知らぬことだ。フレデリックはそう決めて、優雅に朝食の席についた。シドニーがパンを割きながら、三人で今日はどこへ行こうか、という話をしている。弟はどうやら、ハイド・パークと大英博物館を推しているらしい。ウィルクスはふんふんと聞いている。
そのとき、フレデリックは思った。たしかに、きのうも彼らは仲良しだった。そして今日は?
そうすると、仲良くなることに際限はないのだなと。
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