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探偵と刑事と車の騎士△

 「でも、車ですよ!」というエドワード・ウィルクスのまっとうな意見は、パートナーのキスによってあっさり棄却された。  後部座席に押し入ってきたシドニー・C・ハイドは、警戒する大型犬のように身をすくませているウィルクスをぎゅっと抱きしめた。抱きしめられて彼は身をよじるが、逞しい腕に抱えられて途方に暮れる。年上の夫の匂いが鼻腔に触れて、一瞬ウィルクスの目の奥がとろりとする。  ハイドはその隙に乗じた。唇にキスし、頬やこめかみにキスし、腰に回した手でスーツのパンツの上から太腿を撫でる。しかし、ウィルクスはとろけだした肉体を御そうとして、かえって凛々しい表情になった。首筋に顔を埋めてくるハイドの後頭部に手をやり、少し長めの襟足をそっと引っぱる。 「シド、だめですよ……車なんだから。寝室に行きましょうよ。もうガレージなんだから……」  優しくそう訴えても、ハイドは聞いていなかった。 「いやだ」ときっぱり言って、抱きしめたままウィルクスのワイシャツのボタンを外しはじめる。ウィルクスの手は逃げるようにシートを這った。隅に置いたスーツのジャケットに触れて、鎧を脱いでしまった騎士のような気分になった。ボタンを外されながらも、少し強い口調で訴える。 「だめですよ! 車なんですよ。降りて家に入りましょうよ、それに……車、汚しちゃうし……」 「大丈夫」  ハイドは顔をあげて明るく言ったが、その目ははや飢えた欲情で据わりかけていた。 「心配しなくていいんだよ、エド。ぼくに任せて」 「ま、任せられないですよ……だってあなたは、もう理性が……。っ、ちょっと待っ……」  ハイドの厚みのある手がアンダーシャツ越しに胸を這う。ウィルクスは身をすくませた。 「きみだってこんなに勃ってるじゃないか」  下着の上から胸の突起を触られて、なおかつ浮きあがるほど親指と人差し指で擦られ、ウィルクスは顔を歪めた。 「さ、触るからでしょう……! もう、やめ……」  それでも抗いきれず、ウィルクスは胸を反らしてハイドの責めを許してしまった。指先で何度も撫でられ、突起はシャツを押しあげて硬く、種のように丸くなる。下腹部に熱と疼きを覚え、ウィルクスは目を伏せた。それでも、覆いかぶさってくるハイドの胸をぐっと押し返す。 「シド、思いだしてください……、あなたはわりと、ノ、ノーマルな嗜好の持ち主じゃないですか。それが車の中って……。ベッドへ行きましょうよ」 「ノーマルだから場所には左右されないんだ」  ハイドはきっぱり言った。そういうことじゃない、とウィルクスは強く思う。しかし、太腿を執拗に撫でられて、脳まで蕩けはじめていた。彼はこわごわ周囲を見回す。  そう、一応自宅のガレージの中ではある。しかし、背後でシャッターは開いたままだ。車の中は明かりがついているが、ヘッドライトは消えている。周囲が暗がりに沈み、ガレージの端のほうに置かれたウィルクスの黒いバイクもまた薄闇にまぎれていた。彼は何度も背後の窓を振り返る。人通りはないが、ときおり車が走り去っていく。  もしだれかに感づかれたら? 見られたら? そう思うと、心臓がどくどくしてくる。  ウィルクスの胸の速く力強い鼓動を、ハイドは興奮しているからと受けとった。腿を撫でる手を上に伸ばし、ベルトを外しはじめる。ウィルクスはぎょっとして、ハイドの手をつねった。 「だ、だめだって言ってるじゃないですか……! ま、まっとうな、し、紳士は、車でなんかしないはずです」 「いや、そんなことはない。まっとうな紳士ならレディの誘いを無視して恥をかかせるようなことはしないはずだ」 「おれはレディじゃないし……さ、誘ってなんかいませんってば」 「そんなことない、運転中ずっとぼくを誘惑してたじゃないか。上着を脱いで……」 「上着を脱ぐくらい、誰だってしますよ!」 「はあはあ言ってたし」 「あれはハイドさんが早く乗れって言うから、急いで走っただけで……!」 (ヤードの前を通りかかったハイドは、その日の朝電車通勤をしたウィルクスのことを思いだして、いっしょに帰ろうと誘ったのである) 「たまにはカーセックスもいいじゃないか」  ハイドが開き直るので、ウィルクスは心を鬼にして厳しい声を出した。 「そんなの破廉恥です。だいたいあなたは最近、すぐスイッチが入るんだから……」  ハイドは無言でウィルクスの目をじっと見つめた。それから低い声で、「寂しかったんだ」と言った。  ウィルクスは黙った。ハイドも黙って厚みのある胸を上下させている。薄青い瞳に見つめられ、ウィルクスは胸が痛むのを感じた。  そう、寂しかったんだよな、と思う。ウィルクスはそのことを知っていた。 ○  同じ家に住んでいるのに、ゆっくり顔を合わせたのは一週間ぶりになる。ウィルクスは出張していたし、ハイドは仕事と知人の結婚式に出席するために、ポーツマスに出掛けていた。  ウィルクスは昨晩のことを思いだす。夜八時過ぎに仕事から帰宅した彼は、久しぶりにパートナーとゆっくりできそうだと思って、心弾ませていた。帰り道でハイドの好きなピスタチオを買って、いっしょに飲むつもりだった。びっくりさせたくて、足音をしのばせて階段をのぼる。しかし、居間(兼、探偵事務所)の扉の前まで来て、足をとめた。  かすかに聞こえてくる音。いや、音というよりは声だった。言葉をつむぐでもない高い声。リズミカルな音。軋む音がそれにまとわりつく。  そっと居間の扉を開け、ウィルクスは見た。椅子に座るパートナーの後ろ姿と光を放つテレビ、そこに映るベッドと絡みあう男女。  ウィルクスは扉を静かに閉めると、廊下の踊り場で固まったままだった。心臓がどくどくいって、耳の裏が赤くなる。痛みに似た衝撃を覚えた。そのときウィルクスが感じたのはショックだった。  シドもやっぱり、ヘテロなんだよな……。  わかりきったことなのに、なぜショックを受けるんだろうとウィルクスは思う。ハイドが異性しか愛したことがないのは、よくわかっていた。だから当然、むらむらきたら男女のポルノを観る。ウィルクスだってバイセクシャルで、ヘテロ向けのポルノを観たことがある。それなのに、なぜかショックだった。  今は自分のものだと己を励ましてはみても、おれは奥さんにはなれないな、と思う。  静かに階段を下りて、外に出る。外気が冷たい。それから三十分ばかり、ウィルクスは外をうろうろしていた。近くの公園でぼんやりしていて、パトロール中の巡査に職務質問すらされる。  そのあと、ウィルクスはしょんぼりした犬のような足取りで自宅に戻った。おそるおそる居間を覗きこむ。だれもおらず、テレビも消えていた。そのとき、スマートフォンにメッセージが入った。ハイドからだった。 「お疲れさま。もう家か? ちょっと用事があって出掛けるよ。ごはんはビーフシチューとポテトサラダです。あっためてね」  はい、とつぶやいて、ウィルクスは背負っていたバッグを床に下ろした。ため息をつき、しばらくそのままスマートフォンの画面を見ていた。  その夜、ウィルクスが起きているあいだ、ハイドは戻らなかった。どこに行ったのか、今でも知らない。でも、きっと性欲を満たせる場所だろう、とウィルクスは思っていた。 ○ 「寂しかったんですね、シド」  車の後部座席でウィルクスが頭を撫でると、ハイドは目をきらきらさせた。 「わかってくれるのか?」 「ええ。……わかりますよ。だからといって、車でというのは、あまり……」 「大丈夫!」ハイドはさらに目を輝かせる。足元に置いたトートバッグを探って、二つの物体を取りだした。 「ゴムとローション。これがあれば大丈夫」  なんで持ってるんですか……とウィルクスは思ったが、よく考えれば帰り道でドラッグストアに寄ったのだ。ビタミンのサプリを探しに行っていた彼は、パートナーがなにを買ったのかこのとき知った。しかし、ローションなんて売っているのだろうか? まさか初めからこのつもりで? 警戒した顔をするウィルクスのことは気にせず、ハイドは手際がいい。  気がついたときには、ウィルクスはズボンを脱がされていた。それが床に落ちて初めて、本気で焦った。 「シド、だめだ……」  その声をキスで奪われた。噛みつくようにキスを深くされるまでもなく、ウィルクスはパートナーに唇を押し当てられるだけで、全身が脱力するまでに調教されていた。  ハイドの熱い手が無遠慮にボクサーパンツの中に入ってくる。ウィルクスは身をすくませた。 「大丈夫だよ、エド」ハイドが耳を噛みながらささやく。「きみのこれにもゴム、はめればいいんだ。そしたら絶対汚れないからね」  そう言ったあと、ハイドはウィルクスを後ろから抱きあげて、自分の腿の上に座らせた。首筋に夫の唇が触れ、ウィルクスは身をすくませる。耳を柔らかく甘噛みされながら、ハイドの手はウィルクスの脚のあいだをいじりはじめた。ぷるっと震えて、刑事の顔はとろけ、肉体までとろけた。脚のあいだを触るハイドの手に手を重ねる。  ウィルクスは硬くなっていき、先端に露が滲みはじめた。ハイドの指で裏側をなぞられると、びくびくしてしまう。ウィルクスは無意識に脚を開き、耳や首筋を噛まれながらハイドの手と昂ぶる自分自身をとり憑かれたように見つめていた。先端から漏れ出た愛液にまみれ、反りかえった男根はぬらぬらと光っている。  低く穏やかな声が上擦って、ウィルクスに魔術のようにささやいた。 「ゴム、つけるよ。大丈夫だからね。動かないで」  ハイドの手でするするとコンドームをはめられ、ウィルクスは恍惚となったまま思いだした。そういえば、自分のアレにゴムをはめるのは初めてだ。  彼はバイセクシャルで、男とつきあうのはハイドが初めてだったが、過去に彼女はいた。それでも、愛撫だけで本番行為に至ったことはない。処女ではないのに童貞なんだよな、と思い、ウィルクスはちょっとだけコンプレックスを感じた。  しかし、そんな彼の思いをよそにハイドはしっかりゴムを装着させた。手の中でつやつや光るウィルクスの牡を見て、ハイドは満足げな顔をした。それからウィルクスの首を甘噛みする。噛まれた刺激が直接性器に伝わった。なけなしの理性が崩壊していく。  ウィルクスはぷるぷる震えて、かすれた声でつぶやいた。 「シドの、当たってる……」  逞しい塊が尻に擦れている。ハイドはつがいにじゃれつく狼のようだった。手の中のものを愛撫しながらウィルクスの首や耳を噛み、上擦った息をしている。急に年下のパートナーをシートに押し倒した。  ウィルクスは倒れて、羞恥のあまり脚を閉じようとする。しかし、両脚のあいだにハイドの腰が入ってきた。性器を剥きだしにしたまま、彼に下着を足首まで下ろされる。ウィルクスは思わず手で隠そうとしたが、ハイドのほうが早かった。手首をつかまれ、強い力で引っ張られる。昂ぶった性器とその下の色づく蕾をさらされて、ウィルクスは首筋まで赤くなった。  しかしハイドの顔を見て、最後の抵抗も粉々に砕け散った。狼のように据わった青い目と、低く上擦った息遣いに魅入られる。逞しい体を見上げ、香水と肌のにおいを嗅いだ。ウィルクスの全身がとろけて、心もとろけだす。夫の発情のにおいを嗅いで、ウィルクスは緩んだ顔に淫らな笑みを浮かべた。  彼の目に映るのは、据わった目と逞しい体で覆いかぶさってくる、色香を垂れ流す夫。それからハイドの脚のあいだ。パンツを下から押しあげる肉の塊の存在感だけだった。  食べてくれとウィルクスは思った。  そのときだ。ふと後部座席のガラスから外を見たハイドは、急に動きを止めた。  自分のパンツのジッパーに手を掛けたまま硬直するハイドを、ウィルクスは胸を上下させながらぼんやり見上げている。突然、ハイドは身をかがめてパートナーの上に覆いかぶさった。 「エド、急いで下着履いて」  パニックを抑えたため、かえって落ち着いた低い声で、ハイドはパートナーに命令した。ウィルクスはわけがわからなかったが、慌てて足首にまとわりつく下着を上げ、下腹部を覆う。身をもたげたそれがなんとかボクサーパンツの中におさまると、ハイドはウィルクスを抱え起こし、シートの端に座らせた。床に落ちたメッセンジャーバッグを拾い、それを彼の膝の上に置く。  それから、ハイドは振り向いた。ウィルクスはそのとき見た。何者かの気配が扉の窓ガラスの上を横切ったのを。暗がりのなか、初めはなにかわからなかった。闇にまぎれていたからだ。  しかし、ぴかっと光る白い目玉が見えたとき、ウィルクスは気がついた。全身がかっと燃えあがる。 「ハイドさん? こんばんは」  窓をノックして声をかけてきたのは黒人の大男、そしてスコットランド・ヤードで刑事をしている、ウィルクスの同僚マードックだった。  マードックは窓にかがみこみ、愛想よく微笑みかけた。ハイドが「こんばんは」と返す。その後ろで、ウィルクスはバッグを抱えてちぢこまり、震えていた。マードックがちらりと彼のほうを見るが、ハイドの大柄な体で半ば以上隠れている。刑事は手を伸ばし、窓を下ろしたハイドの手に黒いものを渡した。それから、ちらりと同僚のほうを見る。 「ウィルクス、忘れ物。警察手帳、オフィスに落としてたぞ」 「え!?」  ウィルクスが慌てて身を乗りだし、ハイドの手の中を覗きこむ。たしかに自分のもので、ウィルクスは青ざめた。 「おれのだ……。マードック、ありがとう。うっかりしてたよ」 「気をつけてな。きみはしっかりしてるのに、疲れてるのか?」  そう言ったマードックの視線はしっかり同僚の裸の脚に注がれていた。それから、ぐしゃぐしゃになってボタンがいくつか開いているワイシャツの胸元。鋭い観察眼は、ハイドのパンツのボタンが開いていること(そしてジッパーは降りていないこと)にも気がついた。  しかし、マードックは何事もなかったかのようにハイドと後輩に白い歯で笑いかけた。 「通り道なんで寄ったんです。じゃあ、これで」 「ありがとうマードック」ウィルクスが言うと、ハイドも微笑む。 「ありがとうございました、マードックさん。今度、うちにお茶しにいらしてください」  喜んで、と言って、大男の刑事はまた夜のとばりの中に戻っていった。  しばらく沈黙が続く。  ハイドは振り返ると、警察手帳を抱いて固まっているウィルクスの脚のあいだをじっと見て、つぶやいた。 「……さっきよりバキバキになってる」  ウィルクスは真っ赤な顔でハイドの肩を殴った。  結局、二人は車から出て寝室に向かった。ウィルクスはハイドにがっちり抱えあげられて、なすすべがない。下半身はボクサーパンツだけでベッドに直行。なぜか警察手帳を握りしめたままバックで犯された。 「……やっぱりベッドでするほうがしやすいし、ゆっくりできるな」  二回戦のあと、ベッドに寝そべってつぶやく夫の頬をウィルクスは無言でつねった。  翌日、ウィルクスはマードックと職場で顔を合わせたが、先輩刑事はなにも言ってこなかった。いつものように笑顔でおはようと言って、マグカップに淹れた濃いコーヒーを飲んでいる。  マードックが紳士でよかった、とウィルクスは心から思った。おまけにマードックはカップから顔を上げると、ジェスチャーでウィルクスに向かい、「首、首」と伝えようとした。ウィルクスがロッカーの鏡で見てみると、噛み痕が散乱している。マードックは耳まで赤くなったウィルクスにさりげなく近寄っていくと、赤くなったところに自分の絆創膏をぺたぺたと貼ってやった。  その様子をじっと見ていたトルーマン刑事が、「だめなとこ見ちゃったかな」という表情をしていたので、ウィルクスは慌てて「なんでもないから」と否定した。 「ウィルクスはハイドさんにベタ惚れだからな」  マードックは微笑んでそう言うと、ウィルクスの肩をぽんと叩いた。それから自分のデスクに戻ってコーヒーを飲む。ウィルクスが真剣な顔で強くうなずくと、トルーマンはどこかほっとした顔をした。  マードックはほんとうにいいやつだ、とウィルクスは思う。それから、彼が困っていたら、おれはいつも必ず騎士になろう、とそのとき決意した。  そのことを帰宅してハイドに話したら、彼は「そうだね」と言ってにこにこしていた。

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