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探偵と刑事と大事なもの・一△

「剃毛だって、エド」  突然つぶやいた夫に、パートナーのエドワード・ウィルクスは「は?」という顔になる。風呂上がりのため髪を拭いていた手を下ろし、スマートフォンから顔を上げて、きりりとした美貌の顔で夫を見た。 「また、助平なこと考えて」  咎めるようなウィルクスの口調をシドニー・C・ハイドは意に介さない。大型の仕事机に肘をつき、顔の前で広げた本の向こうから「そういうんじゃなく」と言った。 「ただ単に、剃毛についてつぶやいただけだよ。したことあるか?」  ウィルクスは眉を吊り上げてどもった。 「あ、ありませんよ。……腋毛だって剃ったことないんですから」 「ぼくはある。下の毛だよ。十五のとき盲腸になってね」  本から顔を上げ、いつものおおらかで優しい雰囲気のままにこっと笑う。 「きみも、してみるか?」  ウィルクスの顔から表情が消えた。 「……またエロいことばっかり考えて。なんですか、剃毛って」 「本を読んでたら興味が出た」  ハイドは手にしている本の赤い表紙を叩く。金文字で、『実録・やさしいSM』と書いてあった。ウィルクスはソファの中からちらりと本を見る。その目には、「ろくでもない本を読んでるんだから」「ほんと助平ですね」「……どうしよう」がまぜこぜになって浮かんでいた。  ハイドはその目に浮かぶものを読んでいるのかいないのか、「エロいこととは限らないよ」と飄々と言う。ウィルクスは眉間に皺を寄せた。 「いや、どう考えても医療行為と関係ない剃毛はエロですよ。それにその本にもSMって書いてるじゃないですか」 「きみはサディスティックに責められると興奮するからね」  そのとき初めて、ウィルクスの頬がかすかに赤くなった。彼はハイドをじろりと睨む。 「そんなことありません」 「強く噛まれると勃っちゃうんじゃなかったっけ?」 「そ、そんなことないです。おれは変態じゃない」  強固に否定するウィルクスに、ハイドはなにも言わなかった。代わりに薄青い瞳を輝かせ、にっこり笑う。 「してみないか?」  ソファの中でウィルクスの体が固くなる。彼はパートナーのこの目に弱かった。きらきらして伺いをたてる目には、恥ずかしさもためらいもない。好奇心旺盛で欲望に忠実、一直線だ。狼みたいに尻尾を振りながら、「しないか? しないか? しないか?」と無邪気に問いかける。思春期の男の子みたいに残酷だとウィルクスは思う。この目で見られると、彼は屈するしかなくなる。  今回もそうだった。 「て……剃毛したって、愉しくないですよ」  それでもなんとか踏みとどまろうと、ウィルクスは目を伏せてつぶやいた。ハイドは微笑む。 「愉しいか愉しくないかは、やってみたらわかるよ」 「ほんとに助平なんですから」 「きみもね」  ウィルクスは顔を上げてハイドを睨んだ。狼は尻尾をゆっくり左右に振っている。興味深げにまじまじとパートナーを見て、「じゃあ」とあっさり言った。 「義理で、つきあってくれるか?」  しょうがないですね、とウィルクスは答えた。淫らな電流が下腹部に走り、ぶるっと震える。赤くなったまま目を伏せて、おれはまともでいなきゃと唇を噛んだ。 ○ 「これでいいかな」  そう言ってハイドが寝室に持ってきたものは、蒸しタオル、剃刀、はさみ、シェービングローション、剃刀負けを防ぐクリーム。  本とウィキペディアを見て集めた、とハイドは言った。文明の利器なんてくそくらえだとウィルクスは思う。彼はハイドに手を握られて寝室に入ったが、ということはすぐに致せる場所ということで、警戒心があった。どうせなら、そういう方向には進まなければいいのに。まじめで潔癖なウィルクスはそう思う。  それにもしそうなったら、おれは自分を抑えられない。彼はそのことも自覚していた。  今、ウィルクスはベッドのふちに腰を下ろし、そのまえにはハイドがひざまずいていた。ウィルクスはあれよあれよという間に夫によってスウェットをパンツを下ろされ、下着さえ脱ぎ去って、下半身は丸見えになっている。  この段階ですっごく恥ずかしい。ウィルクスは羞恥でぷるぷる震え、赤くなったまま目を逸らしていた。  ハイドはパートナーの脚のあいだをまじまじと観察する。今はまだ、そこはくったりとしておとなしい。ウィルクスのそれは決して小さいわけではない。興奮している姿を見たとき、ハイドは「立派なものだ」と感心する。しかし今回は怯えたようにちぢこまっていた。  それから、ハイドはパートナーの男根のつけ根を見た。指で梳くと、ウィルクスはぶるっと震える。 「お、おれ……」ウィルクスは目を伏せてつぶやいた。「全然手入れしてないんですけど……」 「そういうところが好きだよ」ハイドは脚のあいだから顔を上げてささやいた。 「それに、手入れしてようといまいと関係ない。全部剃るから」  ウィルクスは怒った顔でハイドを見て、両膝で彼の大柄な体を挟んだ。ハイドは蒸しタオルを手にとる。 「シド、思うんですけど……剃毛って、お互いに興奮を覚えるからこそするものじゃないですか。でもあなたは別に興奮しないでしょう?」 「ぼくはきみが興奮している姿を見ると興奮するんだ」 「おれだって、別に興奮しな……」  下腹部にあたたかいタオルが押しつけられて、ウィルクスは黙った。むしろ熱いほどだった。自分がどうしようもなく無防備であることを感じる。下半身をさらしているのだ。しかも、これからハイド曰く「大事な場所」の毛を剃られる。パーカーの下に着た白いカットソーの胸元を握って、恥ずかしさに真っ赤になった。しばし、二人は黙っていた。 「もういいかな」  ハイドはタオルを上から押さえてつぶやいた。タオルをとり、ナイトテーブルの上に置いて、次ははさみを手にとる。ウィルクスはどきっとした。切られたり、剃られたりしたら、元通りになるまでとても時間がかかる。  やっぱりやめてと言いそうになった。もし訴えたら、ハイドは聞き入れる。ウィルクスにはその確信があった。しかし、なぜか言えなかった。 「切るよ。いいか?」  ハイドにまっすぐな目で尋ねられて、ウィルクスはうなずいた。  はさみが茶色の毛を切る。ハイドは器用なため、根元に刃を入れて短く切っていった。タオルをウィルクスの腰の下に敷かせているため、切られた毛はすべてその上に落ちる。ウィルクスは自分の脚のあいだにいるハイドの頭を上から見ながら、両手で真っ赤な顔を押さえて震えている。首筋まで赤くなり、自分がとんでもなく恥ずかしい目に遭っている気がしてきた。  自分ですらいじったことのない場所なのに。  陰毛を剃られるって……例えシド以外の誰にも見られないとしても……これから当分はつるつるの状態で仕事に行くんだぞ。  そう思うとたまらなくなった。なおかつ、いくら夫といえども彼の前で両脚を開いて、陰部をさらしている。ウィルクスは羞恥のあまり、熱が出たようにぞくぞくした。ハイドの髪の毛を引っぱり、早口で言う。 「シド、や、やっぱり、やめ……」  ハイドは切った毛をゴミ箱の中に捨てていた。「なに?」と言って屈託なく微笑む姿に、ウィルクスは抗議ができなくなる。それでも訴えるように見つめると、ハイドはまじめな顔になった。 「今から剃るけど、もし痛かったらすぐに言うんだよ。肌を痛めにくい剃刀にはしてるけど。いいね?」  ウィルクスはぷるぷる震えて、「はい……」とつぶやくしかなかった。  シェービングジェルをたっぷり塗られ、毛がしんなりする。濡れたそれは風呂上がりのようだ。ただ、もうかなり短くなっているので、ハイドが触るとちくちくと指の腹を刺した。  可愛い、とハイドが言うと、どこがですかとウィルクスは怒った声を出す。彼は恥ずかしさで震えていた。むりやり裸にされて、舐めまわすように視姦されている。そんな気になる。そしてほんとうに、ハイドは舐めまわすように見ていた。ただ、その目にまだ好色さは見られない。彼が十五歳のとき、医療行為で剃毛されたという話をウィルクスは思いだした。ハイドの目はまるで医者のそれのようだ。  この人はなんとも思っていないんだ。そう思うと、ウィルクスは恥ずかしさで上気した。全身が熱くなり、汗がにじむ。  ハイドは剃刀を握った。刃がウィルクスの脚のあいだを剃っていく。じょり。じょり。じょり。そんな音はしないけれど、ウィルクスにはその音が聞こえる。更地になった肌に、ハイドのあたたかい手がときおり当たる。ハイドは丁寧に剃っていった。剃刀の刃は肌を傷つけることなく、慎重にすべる。短くなった毛のあいだに白い肌が露わになった箇所を見て、ウィルクスは身をよじった。 「危ないよ」とハイドに腕をつかまれる。ウィルクスはおとなしくなったが、思わず「いやだ」と言った。  ハイドは手を止め、パートナーを見上げる。年上の男の青い瞳はうっすらと潤んでいた。 「いや?」穏やかにささやく。「じゃあ、もうやめたらいい?」

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