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第7話 怒り【1】

「驚くのも無理はない。説明の仕方が悪かったね」  譲の頬は引き攣っていた。外見越しに伝わってしまうほどに、表情は強張っていた。ヴィクトルはそんな譲の頬を撫でる。 (意味わかんねぇよ・・・、意味不明さがこれまでの比じゃない)  この男は抹消と言った。意味を考えると震えが来る。  だがそのわりに、ヴィクトルはそぐわない手つきで譲を撫でている。 「最後くらいは優しくしてやろうってことですか?」 「えっ」  譲はとぼけたヴィクトルを睨んだ。 「どうせあんたも昨日の悪魔野郎らと同じで、俺の絶望する顔が見たいんだ・・・・・・っ。助けるふりをして、最後は殺すって決めてたんだよなぁ?」  殺す時にやり易いように枷をつけた。そう考えれば少しは辻褄が合う。 (ぁあ、馬鹿だ。この男の思惑通りに俺は、馬鹿みたいに心の内まで晒して)  爵位もない汚らしい平民兵士風情の苦労を吐露したところで、今夜の晩酌のつまみにされるのがオチ。本日中に自分は処分され、社交界の笑い話にでもされる。 「勘違いだよ、譲。聞きなさい」 「俺に寄るなっ、来るなっ!」  不幸中の幸い、今は鎖は外れていた。枷だけならば、自由を妨げない。  この男を殴ってでも、床を這ってでも、絶対に逃げ出してやる。外に出たら大声で喚き散らして、大衆に暴露してやる。自分が受けた屈辱の分、恥をかかせてやりたかった。 「温室育ちの公爵は戦場に立った経験は無いでしょうね。死を何度も目の当たりにしてきた兵士を舐めるなよ・・・・・・っ」 「ストップストップ、そこまで。落ち着きなさい。だから説明が良くなかったと言っただろう。私は君らの底力をよく知ってるよ。昨日クラブで話した学友の事件は嘘じゃない。私はああやって殺されるのは御免だ」  ・・・・・・緊張感に、汗が流れ落ちる。  ヴィクトルの言い分に確証が持てない。  しばらく譲は黙考して、すがめていた目つきを(ゆる)めた。 「話を続けてもいいかい?」 「はい」    だが油断は禁物だ。どんな小さな動作にも反撃できるように、譲はヴィクトルの動きに意識を集中して向けた。 「私がしたことの理由は譲の借金だよ。素性の宜しくない組織から借りたようだから、譲を死んだと見せかけるのが妥当だと判断した。マフィアは粘着質でしつこい。金を返しても完全に縁を切れるか怪しい。確認なんだが、これは騙されてサインさせられたのだよね?」  ヴィクトルは首を傾げる。譲は目を伏せて頷く。 「その通りです」 「だと思った。正しい内容を知っていれば、あの契約書にサインしたいと思う人間など出てこない」 「はい・・・、俺が無知だったから悪かった」 「いいや。君は悪くない。私が全額返済してあげても良かったんだけれどね、それだと譲を騙した父の御友人に報復できないだろう? それじゃつまらない。私や君の気も晴れない。譲が死んだとわかれば、支払い責任は彼に発生するからね。楽しみだよ。彼がどんな風に逃げ回ってくれるのか」  話の途中から、譲の心臓が動悸を始めた。  まさしくまたヴィクトルの印象が一転したわけだが、「いったい全体どうしてそこまで」と脳裏がチカチカする。  この人には自分がどう見えているのか。作品として貴族達の目を愉しませるために、いたぶられていた赤の他人。面白おかしい猥褻物(わいせつぶつ)。動物以下の扱いを受けていた見世物。  その程度の認識だろうと思う。これまでの行いが完全なる善意なら、それこそ不思議で不思議でたまらなかった。 「あの・・・感謝します。ありがとうございます。助けてくれて。公爵は、どうして俺に優しくしてくれるんですか?」 「そこは私が君に一目惚れしたってことにしておいてよ」 「いけません、茶化さないで下さい」  譲は握り締めていた拳を開いた。いざとなればヴィクトルに向かって振り上げようと考えていた拳。  手のひらは汗でびっしょりだった。  汗をシーツで拭うと、不意に手首の枷に目がいった。  途端に、ぞくりと総毛立った譲は身震いする。得体の知れない恐怖心が背筋を駆け抜けた。 (これの存在を忘れていたんじゃない。ただ、他の出来事に気を取られていた)  何かある。この男の企みは別にある。  油断するな。譲は騙されてたまるかと奥歯を噛んだ。

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