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第11話 放置

 何事もなく過ぎ去る平穏な午後は、譲を苦しめた。昼食後も部屋で仕事をしているヴィクトルに気取れないよう、シーツの下で幾度となく体勢を変えて、太股を擦り合わせる。  芋虫みたいに蠢いている毛布の山。ヴィクトルの視線は背を向けているので見えないが、舐められているようにも射抜かれているようにも思えてならない。  いつ流れるかわからない電流にも怯えなければならず、恐怖心と恐怖する自分への苛立ちに亀の歩みのごとくのろのろと進む退屈な時間がのしかかった。 (害のない、良い人ぶった顔しやがって)  ヴィクトル=アゴール公爵。生真面目そうに机仕事を片付けている端正な横顔を蹴り飛ばしてやりたい。  譲は唇を噛む。赤ん坊だとでも思われているのか、馬鹿みたいな食事の仕方をさせられ、今後も食事の時間は同じ食べ方を強要される。拒否はできない。  そんな時、ヴィクトルが立ち上がった。書類の束をとんとんとテーブルで揃え、ペンや角判などの仕事道具を鞄にしまうと、ベッドに歩み寄ってくる。  譲はその様子を覗き見て、息を殺していた。 「全く譲は強情だね」  そう呟いて小さく笑う。  寝たふりの譲は耳だけはしっかりそばだて、返事をしない。  ヴィクトルは気にせず続けた。 「急ぎの用が出来たので少し出掛けてくる。窓から外に出るのは勝手だけど、誰も助けてくれないから気をつけて。私が帰宅するまでに君が犬の餌食なっていないことを祈るよ」  言い終えたヴィクトルの足音が遠ざかった。  夕方まで居座る姿勢を見せていたのに、本気で部屋を出て行くつもりらしい。  ドアが開いて、閉まり、ヴィクトルの気配が完全に消えた。一旦は安堵する。が、気持ちが弛み、慌てて腹を引き締めた。  部屋に一人で残された状況をどうみるべきか。多分恐らく非常に危うい。  ヴィクトルは大切なことを伝えて行かなかったのだ。  それは帰宅時間だ。  今から出掛けて、最初の指示通りに夕方までに戻って来る保証はなかった。  庭には問答無用で譲に襲いかかる番犬がおり、命の危険が伴う。別の方法を模索してみても、待つしかないという結論が出た。  思い出す。糞尿の臭気にまみれた戦場。死んだ兵士の肉塊から漏れる臭いである。  けれども、今のこれは違う。違い過ぎる。  生きるか死ぬかの状況下なら諦めもつくが・・・。 「駄目だ。そんな恥ずかしい真似するもんか」  譲は腹を抱えて丸った。  しかし、ヴィクトルは窓の外が暗くなり、日が暮れても帰ってこなかった。 「はあ・・・はあ・・・・・・くそっ」    室内も薄暗くなり、悶える譲は意地を張っているのが馬鹿馬鹿しく思えてきた。そもそも男同士なのだから、用を足す姿を見られたくらいどうってことない。  昨日の一件があって、ヴィクトルが気に障る言い方をするから、気になってしまっただけなのだ。  腹が苦しい。思考がふらふらする。  早く、早く、帰ってきて欲しい。 「ただいま」 「あ・・・・・・」  譲は胸を撫で下ろした次の瞬間にサッと青ざめた。  待ちに待った声に再び弛んでしまった意識と下腹の筋肉。  シーツにあたたかい染みが広がって行った。 「あらら」 「ひっ」  しょろろろっと、膀胱は決壊したように溜まっていた尿を吐き出し続け、ペニスの先から溢れ出る。 「あっ、あ・・・嘘だ・・・・・・見るな」 「気にすることない」  ヴィクトルは部屋に入ってドアを閉める。  密室に立ち込めた独特のアンモニア臭が、譲の羞恥を煽った。下半身はびしょ濡れになり、しだいに空気に触れて冷たくなった。  譲は顔を真っ赤にして、ぶるぶると震える。 「殺して・・・死にたい・・・・・・」 「何を言う。君が言うべき言葉じゃないね」 「黙れよっ! わかったように説教してんじゃねぇっ」 「まあ、そうだね。ごめんね」 「謝るくらいなら、最初からっ、するなっ」  怒りに任せて涙が滲んだ。泣いてしまえば、それこそ子どもだ。赤ん坊だ。  目の前で粗相をした譲に、ヴィクトルは同情する表情を見せたが、その裏で笑みを讃えていたことを譲は知らなかった。

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