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第36話 表面化したもの

「きっと私のやり方が良くなかったんだね。考えていたんだよ。電流の仕掛けも君を喜ばせる玩具になってしまったから」  大変な誤解をされ、譲は頬を染めた。  口を出せないでいると、ヴィクトルは運び入れたものを吟味しながら歩み寄ってきた。 「あの部屋は雑音が多過ぎたんだろう。全くの成り行きだが、地下牢なら静かでいい。譲の躾直しをするのに適していると思うんだ」 「雑音・・・・・・?」  目を白黒させている譲の前でヴィクトルが腰を屈める。  その途端、視界が暗転した。何をされたのかわからなかったが、視覚と聴覚が機能しなくなり、耳と両瞼を塞がれたのだと把握した。  ヴィクトルは牢に持ち込んだ道具の中から、譲にアイマスクと耳栓をつけたのだ。瞼に触れる感触はツルツルした布、目を開けると視界は黒一色で透過性はない。耳孔に入れられた耳栓は、当たり障りない形に感じられた。極小のコルク栓のようなものだ。 「公爵・・・どこにいますか?」  譲は腕を上げて、ヴィクトルの所在を探す。  両手を前に突き出して彷徨わせると、男性的で厚みのある大きな手で握られた。  幾度となく触られてきた手だ。知っている手。譲は安堵している自分をゾッとしながら嘲笑する。しかし縋れる対象がこの手しかないのだから状況的にやむを得ない。 (何がやむを得ないだって?)    ハッとした。  抵抗なく『縋る』と、頭に浮かべてしまったことが悲しい。これが自分で決めて受け入れた姿なのかと痛感する。  ヴィクトルは譲の手の甲に唇を押し当て、手を離した。  譲は真っ暗闇に放り出された。音は聞こえない。  ヴィクトルはどこに行ったのか。そこにいるのだろうか。ヴィクトルがそばにいるような気がしたが、位置感覚を失くした今は、四六時中不躾なまでに見つめてくる視線さえも感じられなかった。  だがそれなら、支配されていると感じずに済むので清々する。  解放されているこの瞬間だからこそわかった。  受け入れていたつもりでも、譲の精根はまだ細い糸一本で繋がっている。折られていなかった。  いつもどこかで激しい嫌悪を覚えながらも、盛られた睡眠薬の仕業だと偽って無自覚に誤魔化してきたのだ。 (縋るもんか。俺は元兵士だろう。目を閉じていると思えば平気だ)  譲は黙って腕を床に下ろした。その後、落ち着いてきた譲に異変が起きた。  窓がないので牢の中は風が吹かず、時の経過に連れて空気は重たく濁り沈澱する。譲は寝ても覚めても変化しない暗闇で長時間を過ごしたせいで、現実とは異なる幻覚に苛まれた。  果てがない場所にひとり残された孤独。  思考がクリアになり、ある時ついに背筋が冷たくなったと感じた。気づけば背中にじっとりと脂汗をかいていた。  地下の気温は熱くない。肌寒いくらいだろう。  今気づいたにしては濡れている面積が多いと思った。  譲は、自分はいつから恐怖に揺さぶられて汗をかいていたのだろうかと狼狽する。背中だけじゃなく、頭まで氷に漬け込まれたかのように冷えている。・・・・・・薬の効能が完全に解けてしまったのだ。  霞がかっていた意識が幻覚の中で研ぎ澄まされてゆく。ありもしない幻覚に神経が高ぶり、すり減らされる。  譲は肩を、腕を、脚を、ガクガクと震わせた。 「ぅあぁあああああああ!!!」  譲の眼前で閃光が走った。景色が(あか)く色を変える。幻覚だが、これは過去だ。現実に起こった過去だ。  爆撃機が空高くにかすめる。  きらりと光ったものは星ではない。一瞬にして黒焦げの煙が空にのぼり、前方で爆弾の破片と仲間の血が混ざりあって飛び散った。  譲は歯を食いしばり、迫る死に、目を見開きながら突き進んだ。  吹き飛ばされ、ぬかるんだ地面に倒れた。腕の力で這って進もうとすると、片脚の感覚がなかった。手で触れて確認する。  続けて目で見た光景が、戦場の記憶の最後だった。 「あ、あ、俺の、ああああああああっっっっ」  地下牢の譲は絶叫していた。途切れた幻覚は、再び最初に巻き戻される。譲は暗闇と戦場を行ったり来たりする。目に見えるものを手で払い、失った脚を押さえて喚き、血まみれで肉塊と化した仲間に駆け寄ろうともがいた。  そのたびに、譲の聞こえぬところで鎖が荒れ狂って音を立てる。  何もない場所を懸命に掻こうとする譲の手を、ヴィクトルが止めた。

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