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第47話 同情したくないけれど
「譲! ロマンから報告があったよ、熱が出たんだって?!」
とヴィクトルが血相を変えて飛び込んできたのは、その夕方だった。
「可哀想に、辛かっただろう。少しは眠れたかい?」
「はい。お陰様で。風邪薬を飲ませて貰ったので。・・・何を買ってきたんですか」
譲はヴィクトルが腕の中に抱えている紙袋に視線をやった。
ヴィクトルはニコリとし、紙袋を逆さにする。
ベッドに降り注いだのは目にも鮮やかなお菓子達。マシュマロ、トフィー、杖型のキャンディ、宝石みたいな茱萸もある。どれも紫や青やピンクなど、奇抜な色合いが子供の目を惹きそうな見た目だ。
「熱が出た時は甘いものが欲しくならないかい? 顔馴染みが経営している菓子店に立ち寄ってきたんだ。王都一の人気店なら口に合うかと思ったんだけど、普段口にしているものが良ければ料理番に作らせよう」
「公爵自らが足を運んでくれたってこと? お客さんに驚かれたでしょ、俺だったら腰抜かすよ」
街中に並んでいる露店に入ったのなら、金持ちの客ばかりじゃないはずだ。
「堂々として入れば、案外気づかれないものさ。私の顔を知っている人間は少ないからね」
ヴィクトルが包み紙を剥がし、菓子の一つを自身の口に放り込む。
「へぇ」
譲はその意外性のある姿を珍しく思って見つめた。
「ふふふ、見ているだけじゃ減らないよ。譲も食べなさい、ほら」
「・・・・・・う、うん。頂きます」
甘い砂糖菓子を口に含まされると、譲は訊いてみたくなった。
「公爵はいつもこうだったの?」
菓子を下の上で溶かしながら、問う
「ん?」
「熱が出た日の話。いつもお菓子をこんなに沢山?」
「ああ、そうだね。大人になった今でも、風邪を引けば不思議と色をつけた砂糖を固めただけのような粗末な菓子が恋しくなるんだ」
それから譲が返事をする前に、ヴィクトルが問い返してくる。
「譲はどうして欲しくなる? 教えてくれるなら次回はそのようにしよう。熱を出さないのが一番だけどね」
こみかみに降りた髪を掬い上げられ、譲は目を伏せた。
「うん、俺は・・・そうだなぁ。寝込んだ時だけ家族に・・・」
甘えていたと、言いかけてやめた。
昨晩のあれとヴィクトルの言動から、生まれてからこの歳まで彼の周りにいた人間がいかようであったか考えてしまう。
自分は父と母に抱き締めて貰い、弟妹に代わる代わる添い寝をして貰っていたと教えるのは残酷なことに感じたのだ。
思えば、ヴィクトルが同じベッドで休もうとしないのは、彼の生い立ちに関係しているのかもしれないと譲は黙る。
ヴィクトルの顔が見られない。視線を上げられなくなった。
「譲?」
ヴィクトルに顎を持ち上げられ、瞳の奥を覗き込まれた。
しかし、もしも目の前に心を取り出して晒せたとしても、ヴィクトルの透明な蒼い双眸には茫漠とした有耶無耶なものにしか映らないのだろう。そう思うと哀れだ。
「俺も好きなお菓子をこっそり買ってきて貰ってた。公爵家と違って庶民には高級なものだったよ。だから特別に」
そうした日もあったのだが、弟妹と分け合って食べた。それは言わないが、ヴィクトルの頬が弛んだ。
「じゃあ今はその時と同じかな? 厨房にもまだあるから全部食べるといい」
「えっ、そんなに買ってきてくれたの? ありがと」
礼を言うと、ヴィクトルがあれもこれもと包み紙を開けようとするので、譲は笑いながら押し留める。
(どうせわからないのに、同情してやるなんて馬鹿だ)
口の中は吐き気がするくらい甘ったるいのに、目頭がつーんと痛んだ。
ヴィクトルが悲しむかもしれない言葉は、溶けた砂糖菓子と一緒に飲み込んだ。
◇◆
・・・・・・熱が下がり譲の風邪が完治した頃、ヴィクトルと一緒に中庭の温室で再び時間を過ごせるようになった。
車椅子の上とヴィクトルの膝の上。どちらが心地いいかと問われると、譲はぽつりと悩んでヴィクトルの名前を言う。
木漏れ日が差し込む温かい日。
されど、ここは壁に囲われて天井すらも低い。
人様には見せられないあられもない格好をさせられて、風変わりな愛情とたくさんのキスを重ねて、三時のティーセットを運んできたロマンに呆れた顔をされるのだ。
DP54が尻尾を振り、今日も屋敷は平和だ。
そんな毎日が譲の中で当たり前になっていく。
当たり前は、知らないうちに自分の一部に変わり、手放せなくなる。
手放せないものを・・・幸せだと思い込む。
その後も一日、また一日が過ぎて、駆け抜けるように一年が経過していた。
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