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第66話 イェスプーンの市民
譲の到着から半日遅れて、その日の夜にイザークが合流した。
譲はナガトと共に地下の一室で義足の訓練をしている時間で、イザークは譲の顔を見た途端に思い切りハグを求めた。
「はははっ、隊長・・・痛いですよ」
「悪い。よく決断してくれたな」
譲は「ええ」と目を伏せる。だが拳銃を寄越されていなければグズグズ悩んで終わっていただろう。
イザークは譲を救い出したい一心でそうしてくれたが、しかしアレグサンダーは別の意図を持っている。
(隊長はボスの企みを知っているのか)
イザークはどこまで組織のボスに心を許し、協力関係にいるのだろう。
「街には出てみたか?」
そう訊ねられ、ハッとして慌てて悩みを頭の奥に押しやる。
「いえっ、俺が出歩くのはマズイですって」
譲が激しく否定すると、イザークが「まだ伝えていないのか」というような視線をナガトに投げた。
「譲、この街は大丈夫なんだ」
ナガトが譲の顔を見る。
「どういうこと?」
「行って自分の目で確かめな」
「おう・・・? わかった」
譲は歩行練習を切り上げて、三人で街に繰り出す。
港町であるイェスプーンの市民は多くが船乗りだという。夜の繁華街には陽気な唄や音楽で賑わっていた。
譲は酒場に案内され、おどおどしながらも後について行く。
「顔を隠さなくても平気ですか」
下を向きながら問いかける。
「平気平気」
イザークとナガトが笑って頷く。
空いたテーブルを見つけて場所を取ると、その時に客の一人が声をかけてきた。
「よう、エルマーさん。あんたんとこの酒は最高だな!」
「どうも」
イザークが返事をする。
顔見知りの常連客なのか、断りも入れずにどっかりと腰を落ち着ける。
譲が固まっていると、客の男が「新入りか?」と口を開いた。
譲は左右をきょろきょろと見渡し、「俺、ですか」と自分を指差す。
「他に誰がいんのよ」
客の男が苦笑する。
「・・・すみません」
「いーよ、いーよ、色々あったんでしょ」
「えっ」
「この街の人間は訳ありで色んなもんを抱えてる。それをボスがでっかい懐でみーんな受け止めてくれたんだよ。あんたもそうなんだろ?」
「えっと、俺は・・・・・・」
譲は答えに迷う。
「その辺にしてやってくれ、彼を困らせないでくれないか。彼は今日街に着いたばかりなんだ」
「おおう、エルマーさん、そうだったか。邪魔しちまったな、また今度付き合ってくれよ」
「いつでも」
イザークは去って行く客の男に手を振り返した。
「・・・・・・行ったぞ。大丈夫か」
「ありがとうございます。あの人の言ったことって、あれっていったい」
「話すよ。ゆっくり酒を飲みながらでも構わないよな」
「ええ、もちろん」
その後、イザークとナガトがカウンターで酒を買ってきてくれ、ひとまず歓迎を祝して乾杯をした。
譲はお前も飲めと言われ、樽型のジョッキに入った麦酒を煽る。
ほろ酔いとなり気分が良くなったところで、「じゃあ」とイザークが話を切り出した。
「アレグサンダー=ムーアの表の顔はイェスプーンの市長。裏では有志の人材を集めて機密結社ともいえる暗躍組織を指揮している」
「何のために?」
「具体的な活動目的は、ロイシアとべコック両国の政権を牛耳っている上層部の人間の一掃。君主制を倒壊させ、一般市民の権利を上げることだ」
譲は小難しい話に眉間に皺を寄せる。
しかし理解ができてくると、ひくりと無意識に唇が吊り上がる。
余りにも予想を超えたことだが、むしろ信じがたく、じわじわと笑いが零れてしまった。
「反乱でも起こそうってこと?」
「そうさ。この街全体が謂わば革命軍なんだ。ボスの声に導かれ、寄り集まって生まれた街だ。全員同じ志を持っている」
ナガトが唖然とする譲の肩を叩く。
「だからお前はこの街の中じゃ自由なんだぜ」
「いや、でも・・・・・・」
密輸船が堂々と入港できたのは、そういうことだったのかと思う。
エルマー商会の名前を出してロイシアを出港さえしてしまえば、あとは仲間の待つイェスプーンに向かえば良いのだから。
「そうは言ってもべコックってロイシアとは体制が違うんじゃ?」
譲は落ち着きなく唇に触れる。
「ああそうだ。ベッコクでは十数年前にひと足先にクーデターが起こった」
ベッコクにはロイシアのような階級制度はない。貴族が存在しないのだ。
イザークが説明したとおり、十数年前に軍部組織が主体となり、上層階級民だけで成り立っていた政権を奪取した。
のちに貴族家は一家残らず没落して衰退し、軍の統治者であった者達が政権を支配したのである。
「かつて、ボスは海兵隊を率いる大佐だったらしい。一度目のクーデターを成功させた功労者の一人だった」
「そんな人がせっかく作った新政権を潰すの?」
「ボスの詳しい事情を知っている者はいない。だが、それらが俺達に伝えられなくても、俺達は自らの意志でここにいる」
イザークの言葉にナガトも「そうだ」と同意する。
「上にいる人間の種類が変わっただけで結局は下々の民への重圧が消えることはなかった。だからもう一度やる。今度こそ、俺達の手で王を殺し、べコックの汚点を全て屠ってやるんだ」
力強く言うナガトの声には並々ならない決意が感じられた。
「待って、だとしたら現在はべコック国内に王は存在しないんじゃ?」
譲が問うと、ナガトは険しい顔をする。
「いいや、実は居る。権限を与えられていないお飾り役で国民の前に姿を見せることはないが、他国との交渉の場には出席している。王が実権を握っている国が主であるためと聞いている。王家というのは王家の血統に固執するようだ」
「ん? お飾りの王を排除する必要ってあるかな」
完全なる絶対王政が成立しているロイシアならわかる。
しかし懊悩する譲の手をナガトがガッと握った。
「頑張ろうな! 譲も力を貸してくれ」
「う、ああ、うん」
譲は己れを真っ直ぐ捉えてくる二つの目線からやんわりと目を逸らし、樽型ジョッキをあおった。
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