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 川島は今、偽善者ぶったあの時の自分を思い切り殴り倒してやりたい。確かに川島はあの時、純粋に本宮と彼女を救いたいと思った。でも、こんな展開になるなんて誰が予想しただろう。本宮の彼女は川島を脅し、川島の本宮への親愛なる気持ちを弄んでいる。  この異常な三角形の中で、本気で恋をしているのは川島以外の二人だ。川島は完全に二人に巻き込まれた立場にいる。でも、そのトライアングルの中に巻き込まれてしまったにも拘わらず、川島は今正直安堵している。それは、本宮が川島への気持ちを心の奥に永久にしまい込んでしまったら、どのみちお互いが家庭中心の生活となり、従来の親友関係が自然と消滅していくことは容易に想像がつくからだ。   川島は、本宮という存在が自分の人生から消えることが恐い。心の支えだった本宮を失うのは、ひどく心細く不安定な気持ちになる。そんな川島は、大人の男としてはかなり情けない奴なのかもしれない。でも、川島達のような関係は、世間から見てまだギリギリ許されるのではないかと都合良く考えながら、二人には悪いが、川島は今まで通り、親友として本宮とずっと繋がっていたいという気持ちを変えるつもりはない。ただ、川島がその思いを変えなければ、本宮を不幸にしてしまうかもしれない運命のいたずらに、川島は今、現在進行形で頭を悩ませているのは確かだ。  だが、どういう訳かあの日以来川島は、自分への恋情をぶちまけた本宮の声を思い出すと、ひどく胸が苦しくなるのだ。川島は、本宮の告白によって芽生えてしまったこのおかしな感情に怯えている。だから、自分の感情が益々おかしな方向に向かわないよう、いっそこの状況から逃げ出すのが得策だと考えるが、それをしてしまったら本宮が……という堂々巡りで、全く埒が明かない。 『ああ!』と、辛いジレンマに大声で叫びたい欲求を胸の奥に押し込めながら、川島は行きつけの和風居酒屋の暖簾を潜る。  店内はいつものように活気に包まれており、ぷーんと炭火焼きの良い匂いがした。  その時、素早く川島を見つけ「よっ」と軽快にあいさつをしてくる男を、川島は睨みつけるように見つめた。川島はそいつにあいさつを返さず、4人掛けのテーブルの空いている席に適当に腰掛けた。 「なんだよ。随分機嫌が悪いじゃないか」  川島の様子を気にしてか、本宮はすかさずそう言った。 「まあ、取り敢えずビールか? あ、関さんもビールでいいかな?」  本宮は隣に座っている、川島の知らない男に親しげにそう言った。 「僕は下戸なので、ウーロン茶をお願いします」  男は恥ずかしそうに、本宮と川島を交互に見つめそう言った。 「あ、紹介する。彼は、今度俺が立ち上げようとしている会社で一緒に働く予定の、関宗永(むねなが)さんだ。俺らより二つ上の先輩だよ」  本宮は、目の前の男を突然川島に紹介した。 「か、会社?! ま、マジ?」 「マジで悪いか」  本宮はつっけんどんにそう言うと、先にテーブルに並んでいたお通しを、器用に箸で掬って口の中に放り込んだ。 「は、初めまして。俺は本宮の友人の川島千秋です。システムエンジニアをしています」  川島も慌てて自己紹介をすると、関はそんな川島のことを、実に興味深げに真剣に見つめてくる。そして、飲み物が運ばれてきたのを機に、川島たちは簡単に乾杯を済ませた。  あれから本宮は、あのマンションで生活をしている。本来なら彼女の家で新しい生活をスタートさせるはずだったが、この間の理解不能な出来事のせいで、本宮と彼女の関係は未だ膠着状態のままだ。そして、そんな二人の未来の一端を担っているのが川島という悲劇は、未だ継続中。にもかかわらず本宮は、今、誰にも気づかれずに、あのマンションでこっそりと会社を興す準備をしているのだ。それを聞かされ川島は今心底驚いている。『転ばぬ先の杖』ではないが、こんな不安定な状況で会社を立ち上げるなど、そんな大それた事をする本宮が全く理解できない。そんな本宮の根拠のない前向きな思考が、どれだけ川島に重くのしかかるかということを、本宮は分かっているのだろうか?  昨日本宮は、川島に久しぶりに電話をかけ「会わせたい人がいる」と言ってきた。本宮はまるで川島を泳がすように、あのマンションでの出来事以来、川島に何の連絡も寄越してこなかった。だから川島はついに、本宮が川島を諦め、新しい恋人を作ろうとしているのかと訝しがったが、まさか、本宮が立ち上げようとしている会社で一緒に働くことになる男だとは、さすがに想像もしていなかった。   川島は落ち着きなく「関」というおとなしそうな男をこっそりと伺った。  目鼻立ちが柔らかく、とても温かみのある顔立ちをしている。人に好印象を与える物腰や話し方を心得ていて、社会人としての常識や知性を持ち合わせている余裕さが漂う。などと、勝手に自分の印象を初対面の人間に植え付け、そして川島は、そんな関と自分を勝手に比べ、一人落ち込む。 「すごいですね。川島さん、システムエンジニアなんですね。尊敬します」  突然、飲んでいる途中で瞳を輝かせながら関が言った。川島は驚きながらも、そんな関を素直に可愛いと感じた。 「たいしたことないですよ……ああ、それより、会社ってどんな会社なの?」  川島はビールを一気に飲み干すと、勢いを付けて本宮に尋ねた。 「正確には会社じゃない。LGBTQに関連するサービスを提供するソーシャルベンチャーだよ。簡単に言えば、企業にLGBTQの研修会を提供するとか、LGBTQに関する調査や研究なんかをして、その情報を発信したりするんだ。俺はさ、俺と同じセクシャルマイノリティーで苦しむ人達を、少しでも自分らしく生きられるよう支援したいんだよ」 「え?」  川島は慌てて関を見つめた。関は特に顔色を変えるわけでもなく、ウーロン茶をストローで啜っている。 「あ、彼もそう。俺と同じゲイだから」 「はい?!」  川島は驚いてまじまじと関を見つめた。関は川島に見つめられ、困ったように眉を寄せている。 「関さんとは行きつけのバーで最近知り合って意気投合したんだ。もし、俺が無事会社を起業できて、大きくすることができたら、関さん以外にも、できるだけ俺と同じ立場の人達を多く採用したいとも思ってるんだ」 「そ、そうなんだ……」  川島は間抜けにもそれしか言えなかった。ゲイの男二人を目の前にして、「それは素晴らしいアイディアだ!」なんて、声高らかに言えるほど、川島は彼らの気持ちも立場も何も理解していない。たまたま親友だった男がゲイで、その親友が自分をずっと好きだったということがきっかけで、必然的に「同性愛者」というものに目が向いただけの、俄理解者に過ぎない。彼らの生きづらさ、孤独、不安などを、川島が分かったように口にするなど許されないような、そんな気持ちになってしまう。 「で、でも本宮。お前そんなこと勝手に始めて大丈夫なのか?」 「は? 何が?」 「な、何がって……だから」  川島は下を向くともごもごと口ごもった。ここでそんな話ができるかと川島は心の中で、本宮に毒突く。 「誰かさんの気持ち次第だろう?」 「そ、そうだけど、でも……もし」 「大丈夫だ。俺はいつだって自分の直感を信じてるし、覚悟を持ってやってる」  本宮は自信満々にそう言うと、従業員を呼び、川島と関の飲み物を勝手に追加した。  何が大丈夫なんだと川島は心の中で強く叫んだが、もちろん本宮に届くわけなどなかった。  その後も、川島達三人はたわいのない話をしながら酒を飲んだ。たまに、二人の様子をさり気なく窺うと、本宮はとても関を信頼しているようだった。そして、関も本宮を尊敬し頼りにしているように見え、二人が醸し出す空気は濃密だった。そこには、恋愛感情のようなものが色めいているようにも見えたが、川島はそれを自分の気のせいだと思うことにした。しかし、居酒屋を出る際、本宮が先に店のドアを開け、関の背中に優しく手を添える姿を見てしまった時、川島ははっきりと、自分の胸がきりきりと痛んだことに気づいてしまった。

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