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関宗永を偶然目にしたのは、あの居酒屋で飲んだ日から二週間ばかりが過ぎた頃だった。
知能ソフトウエアモジュールの研究開発が想像以上に忙しく、毎日の残業にふらふらの状態で退勤していた時、駅構内のコーヒーショップで関はひとり読書をしていた。
川島は思わず、その大きなガラス窓に吸い寄せられるように近づき、ノックをするように窓を叩いた。『コンコン』という音に関はすぐ気づき、驚いたように目を丸くしている。関は、自分の前の席を指さし、「どうぞ」と口を大きく開け川島を誘った。川島はその誘いに少しだけためらったが、心の奥から『行け』という声が聞こえ、足早に店の中に入った。
「こんばんは。今帰りですか? 残業ですか?」
川島が席に着くなり、関は心配そうな顔で川島に尋ねた。
「顔色が良くありませんね」
「え? そうですか?」
「ええ。この間会った時よりも。大丈夫ですか? 疲れてませんか?」
関は川島に顔を少しだけ近づけ、食い入るように見つめた。そのまっすぐな目に川島は恥ずかしくなり、大人げなく目を反らす。
「ちょっと最近は残業続きとか、お見合い相手に断りを入れたストレスとかで、若干疲れてはいるかもしれませんね」
川島は関に見つめられ動揺していたせいで、要らぬことを口走ったことに少し遅れて気づいた。
「お見合い?」
「あ! いえ、あの、上司からの勧めを自分から受けといて断るなんて、社会人としてあるまじき行為をしてしまい……その」
「何故ですか? 断るなんて何も悪いことじゃないじゃないですか。それで上司との関係がぎくしゃくするんだとしたら、パワハラですよ。そんなの」
ぴしゃりと関はそう言いうと、川島にメニュー表をそっと差し出した。
「何にします? ここのお勧めはカフェラテです。ミルクとコーヒーの風味が絶妙です」
「じゃあ、それで」
川島は注文を取りに来た定員に、素直にカフェラテを頼んだ。
しばらくして運ばれたカフェラテに口を付けるか付けないかの時、関がまた川島を食い入るように見つめてきた。その表情には、初対面の時受けた柔らかみのある感じとは違う、真逆の鋭さを滲ませている。
「さっきまでここに本宮君がいたんですよ」
「え?!」
川島は驚いて素っ頓狂な声を上げた。
「僕は何となく寂しくてここに無駄に居続けちゃったんです。そしたら川島君が入れ替わり現れました。すごい偶然です」
「……会社を立ち上げるための打ち合わせか何かですか?」
自分でも驚くほど声のトーンが低い。この店に二人きりで今までいたのかと思うと、悔しさと焦りが綯い交ぜになり川島を襲う。
「ええ。そうです。何か気になることでもありますか?」
まるで川島の気持ちを見透かしたかのような問いかけに、川島は言葉に詰まりながら「いいえ」とだけ絞り出すように言った。
「あの、さっきのお見合いの話なんですけど、差し支えなければどうして断ったのか教えてもらえませんか?」
「え? 断った理由をですか?」
「そうです」
「……ああ、あの、とても素敵な女性だったんですけど、何となくその人との未来が見えてこないというか、ピンとこないというか、そんな感じです」
「ふーん。そうですか。じゃあ、誰とだったらピンとくるんですか?」
「はい?」
「もしかして、本宮君とか?」
「はっ?!」
川島は驚いて吹いてしまい、口から軽くカフェラテが飛び出た。
「彼って、婚約してたんですよね? でも、結婚はしないって言ってましたが、それは川島さんと何か関係があるんですか?」
「か、関係って! な、何もないですよ!」
明らかに動揺しているのが分かってしまうほどの自分の声の裏返り方に、川島は関の誘いに乗ってしまったことに後悔し始めた。
「あはは、その焦りよう。隠しても無駄ですよ。この間一緒に三人で飲んだ帰り、本宮君酔っ払って川島さんへの思いを全部僕に吐き出しちゃいましたから。何となく本宮君の様子がいつもと違うから変だなって思ったら、まさか、ノンケの男を一途に思い続けてたなんてね。本当可愛い人だな。本宮君は」
流れるように話す関の語尾には、甘さと皮肉さが両存しているような気がして、川島は緊張で体が強ばった。
「本宮君の彼女の気持ち、僕、良く分かります。だって本宮君はとても魅力的ですから。僕は出会った時に彼に一目惚れしました。でも、この間川島さんを紹介されて、その時、妙に僕に触れてくるから、これは脈ありかもって有頂天になったんです。でも、帰り際の衝撃の告白に、いきなり地獄に突き落とされたような気分を味わいました。あの晩僕は、君を刺激する要員として本宮君にいいように使われただけなんですから……まあ、そんなわけで、もう諦めました。彼のことは。ただ、仕事のパート-ナーとしては最高です。彼ほど優秀な人材はなかなかいないしね」
まるで人ごとのように軽快に話す関に、川島はどんなリアクションを取るべきか分からず、カップを握りしめたままカフェラテの泡を意味もなく見つめ続けた。
「お見合いを断ったこと、本宮君に話しましたか?」
「え? い、いえ。まだ」
真っ白な頭では何も考えられず、川島は質問されるがまま素直に答えてしまった。
「だったら、黙ってたらいいですよ。自分の中ではっきりした答えを出せてないんなら、期待させるようなことは可哀想だからしないでほしいな」
「か、可哀想って、俺だってすごく悩んで、苦しんで!」
川島はその理不尽な言われ方に思わずかっとなり、関に向け声を荒げた。
「矛盾してますよ。川島さん。あなた今安心してるでしょ? 僕と本宮君がそういう関係じゃないって分かって。そのくせ、会社を立ち上げようとしている本宮君からのプレッシャーに怯えてる」
関は手に持っていた本をゆっくりとテーブルに置くと、「はあ」と嫌味を込めたように溜息をひとつ吐いた。川島はその姿にため込んでいた激情がついに爆発した。
「あ、当たり前じゃないですか! だって俺はゲイじゃない! 今までただの親友だと思っていた奴が俺をずっと好きだったなんて聞かされて、彼女にまで脅されて、俺はいいとばっちりじゃないですか!」
「そうですね。確かに。でも、何がそんなにあなたを悩ませているんでしょうか? 本当に無理だったら、あなたはもっと強く拒んでもいいはずでしょ? 本宮君の婚約だって、結局は自業自得なんだし」
「……そ、それは」
川島は何も言えず黙り込んだ。本当にその通りだと思っているのに、言い返す言葉がまるで見つからない。
「あなたは今本当に苦しんでますね~。この姿を彼女に見せてあげたいくらいだ。あのね、川島さん。ゲイとかノーマルとか関係ないです。ただ、自分の気持ちに正直に従えばいい。僕は今までそうやって生きてきました。そして今、僕はとても幸せです」
最初に受けた関の印象はそのままで、彼は川島に向かいゆっくりと優しい笑顔でそう言った。その言葉はずしりと重しのように川島の心にとどまり、全身に痺れるような電流を走らせる。
「あ、僕はそろそろ行きますね。すみません。疲れてるのにお誘いして」
関はすくっと立ち上がると早口でそう言った。
「い、いえ……」
川島は惚けたように椅子に座り、空になったカップをまた無意味に見続けた。
「僕は応援していますよ。あなたと本宮君を。だって二人がくっついたら、それって、僕達ゲイにとって最高の奇跡ですからね」
「……関さんまで俺にプレッシャーかけますか」
「あはは! 違いますよ、もう!」
関は愉快そうに笑って川島の肩を叩くと、
「じゃあ、また」と言い、店から颯爽と姿を消した。
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