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『近いから大丈夫だし、俺、男なんだけど』と言い断ったが、どうしても家まで送りたいという本宮の言葉を受け入れて、川島たちはファミレスを後にした。まだ真夜中ではない住宅街の日曜の夜に、川島と本宮は何となくゆっくりと時間を掛けながら歩いた。途中小さな公園が目に入ると、川島はそこにある木製のベンチを指さし、理由もなく「座る?」と言って本宮を誘った。本宮は軽く微笑み「ああ」と言うと、二人並んでベンチに腰掛けたが、午前中に降った雨のせいで若干湿っていたので、川島と本宮は動物の形をした滑り台の前にある、半分だけ地面に出たタイヤの上に腰を掛け直した。
「こういう所に来ると、否が応でも子どもの頃の記憶を思い出させられるな」
本宮が、星一つない夜空を見上げながらそう言った。
「ごめん。嫌だったか?」
「いや、そうじゃない。子どもの頃の記憶なんて、いい思い出と悪い思い出がごちゃごちゃに混ざり合ってる感じだよ。ただ、悪い思い出の方が強烈だから、よく覚えてるだけであってさ」
「うん。分かる。多分みんなそうだよ」
「そうか?」
「そうだよ。当たり前じゃん」
川島は自信を持ってそう言った。幼い頃の思い出がすべていい思い出だなんて、そんなの記憶喪失者しか有り得ない。
「……自分はゲイかもしれないって、急にそう思ってものすごく不安になった時があったんだ。多分小学校の高学年ぐらいだったと思う。その時、無性に家に帰りたくなくてさ、近くの公園の土管の中で、無意味に歯を食いしばってたことがあったな」
本宮は地面を見つめながら、懐かしそうにそう言った。
「辛いね。でも、家にはちゃんと帰ったんでしょ?」
「ああ。帰ったよ。でも、それ以来、急に家が居心地悪くなったんだ。だから中学が終わるまでは何とか我慢して、高校は寮のある学校を選んだ。それからずっと盆正月以外は実家に帰ってない」
「寂しかっただろうな。両親」
「そうだな……ましてや婚約破棄なんてしたら、そうとうショック受けるだろうな」
「……だな。でも、それは自業自得。良が悪い」
「分かってる。でも、俺がそんなバカをするのは、千秋がどうしようもなく好きだからだよ」
本宮は不意に地面から顔を上げると、川島を見つめたそう言った。油断していた川島は、その言葉と本宮の熱っぽい瞳に、どきりと心臓を鳴らしてしまう。
「だ、だから俺がお前の気持ちを受け入れろって言いたいのか?」
本宮が自分を好きだという度、川島は本当にどんな言葉を返していいか分からない。その言葉の重みに勝る言葉など、今の川島には見つからない。
「いや、そういうわけじゃない。ただ正直な気持ちを伝えたまでだよ」
そんな、澱みもくすみもない瞳で見つめられたら、胸の動悸が益々速くなる。川島はふいに立ち上がると、呼吸を整え本宮を見下ろした。
「ごめん。なんとかしてやりたいとは思うよ。でも、俺本当にどうしていいか分かんないんだよ。ましてやあと二ヶ月ぐらいしか時間がないとか、マジで困る」
川島は正直に自分の気持ちを口にした。ここで調子の良い約束などしてしまわぬよう、川島はこの状況を冷静に受け入れ、誤魔化しのない気持ちで応えようと努める。
「そんなの当たり前だ。千秋は自分を責めたりなんか絶対にするな……ただ」
本宮はそこで言葉を止めると、突然川島の腰に腕を回し引き寄せ、腹の辺りに自分の頬を強く押しつけた。
「お、おいっ!」
川島は慌てて腰を引いたが、強い力で引き戻されてしまう。本宮は川島を抱きしめながら下から川島を見上げ、抑えた声で言った。
「俺を見捨てても構わない。もちろんそうなっても、お前を恨むなんて筋違いなことは絶対にしない……でも、もし気持ちが固まったら、俺の住んでるマンションにあの指輪をはめて来てくれ。俺はいつまででも待ってる」
「良……指輪って、それにはどんな意味があるんだよ」
「お前を縛り付けて離さないって意味だよ」
「それ、マジで言ってる?」
「……言ってる。あとは、俺たちは永遠に繋がってるっていう意味だ」
「……ふ、ふーん」
もし、本宮の川島に対する感情が恋愛感情ではなく友情だったら、川島は手放しで胸を熱くし、こんな風に言ってもらえるほど自分を親友として必要としてくれることに、素直に感動しただろう。でも、川島の胸は今違う意味で熱い。ほのぼのとした暖かさではなく、切なくて泣きたくなるような正体不明の感情の熱だ。それは川島を不安にさせながらも、表現しづらい喜びを与える。
何故事態はこんなにもややこしいのだろう。一筋縄では行かなくなってしまった自分達の関係に、川島は改めて、人生というものの奥深さと残酷さを知る。
本宮は、変わらぬ体制のまま更にきつく川島を抱きしめると、川島は本宮の吐息を腹の辺りに感じてしまい、思わずぞくぞくと身を捩る。そして、その吐息から発せられる熱が川島の中に素早く侵入し、川島の心を乱そうと策略する。『足掻いても無駄だ』と言わんばかりに、その熱は本宮という男の中に川島を引きずり込もうとする。二度とよじ登れない程に、深く。
「は、離せよ」
川島は震える声でそう言った。
「分かったって言うまで離さない」
「……わ、分かったよ……だから離してくれ」
「……よし」
本宮はそう言うと、川島の腰から手を離し急に立ち上がった。そのせいで川島たちは至近距離で見つめ合ってしまい、川島はたじろぎ、慌てて後ずさりをすると、足下が縺れ、地面に軽く尻餅を突いた。
「いって~」
「あはは。大丈夫か?」
本宮は大袈裟に笑うと川島の手を取り、体を起こした。
「帰ろうぜ」
「あ、……ああ」
川島はそのまま本宮に手を引かれながら歩いた。不思議なほどこの時間帯は人通りが少なく、誰にも見られることはなかった。川島は手を払うタイミングを完全に見失ってしまった。でも、無下に振り解くことができないほど、本宮の手は、甘く切なく川島を包んだ。それが、その甘さが、ふいに川島の心に爆弾を仕掛けた。それはいつ爆発するか分からない官能的な恐怖を伴わせる。
(爆発したらどうなるんだろう?)
川島はそんなことを考えてしまう自分が信じられない。なのに、今確かに川島は幸福を感じ、胸がいっぱいで息をするのも儘ならなかった
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