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タイムリミットが近づいているにも拘わらず、川島はいつものように仕事で無理をし過ぎたせいで体調を崩し、我慢の限界で医者に行くと、二週間の入院を言い渡された。
肺炎を起こしかけていると言われ、医者に何故もっと早く受診しなかったのかと叱られた。確かに、睡眠時間は平均で3,4時間ぐらい。まともな食事を摂る時間も無く、空いた時間にファストフードのような簡単な食事で済ませていた。こんな生活を続けていれば体を壊すことなど簡単だ。
その上、抱え込んでいる問題が、この体調不良の要因に加味している。というより、その抱え込んでいる問題に触れるのが怖くて、いつも以上に仕事に没頭してしまったと言うことの方が正しいのか……川島にはそれを考える気力が今はない。
仕事は意外にも順調だ。自分が仕切る側に立つ人間として、体調不良など論外だが、同じチームの人間達は皆一様に川島を信頼し、支えてくれる。今回の入院も「ゆっくり休まないと怒ります」と脅され、苦笑いを浮かべたくらいだ。
システムエンジニアという仕事はコミュニケーション能力が必要だ。クライアントやプロジェクトメンバーとの交渉や調整は、システムエンジニアの川島の役目。自分のコミュニケーション能力には正直自信などないが、仕事だと割り切れば、腹に力を入れ、自分じゃない誰かを演じるような気持ちで乗り切る。だからこそ、システムが無事完了したり、そのシステムが世の中に役に立ち、感謝されたりした時の感動は大きい。本当に精神的にも肉体的にも大変な仕事だが、この仕事の、やり甲斐に置いての魅力には結局いつも適わない。
川島は入院手続きを済ませると、実家の両親に電話をし、入院に必要な物を持って来てくれるよう頼んだ。部屋は多少料金が高くても一人部屋にしてもらった。仕事で既に十分コミュニケイトしているから、入院してまで誰かに気を遣うことを避けても許されると、そう都合良く考えてのことだ。
案内された病室に入ると、熱によるだるさの余りすぐにベッドに横になりたかった。しばらくすると看護師が病室を訪れ、点滴の準備を手早く行った。その手つきは慣れたもので、点滴の針を肘裏に刺されても全く痛くなかった。二週間毎日点滴を打つ必要があることと、絶対安静だということをてきぱきとした口調で伝えられ、川島ただただ「はい、はい」と頷いた。点滴の準備が終わると。味気無い病院の夕食を流し込むように食べ、蒸したタオルで体を拭くと、ベッドにやっと落ち着いて横になった。
二週間も絶対安静なんてことを言われ、深い溜息が漏れた。会社の皆はゆっくり休めと言うが、職場のことが気になり気持ちが休まらないのは、社会人なら多分誰しもが共感できることではないだろうか。更に、それ以外の気が休まらない問題のことを思うと、川島の溜息はもっと深くなる。
本宮の彼女の両親が帰国するまであと一ヶ月。川島はあの晩本宮に握られた手の温もりと、あの時の確かな幸福感や、体の奥を燻らせるような甘い熱情について考える。今自分は、熱に浮かされているからか妙に心が素直だ。そんな自分から出た答えは、シンプルに「本宮に会いたい」という気持ちがひとつ。会って、このベッドで一緒に横になり、自分を強く抱きしめて欲しい……。口にするのも恐ろしい欲望が生まれてしまうほど川島は今、本宮が恋しくてたまらない。それは多分。弱っているからだ。弱っている自分に少しだけ酔っているからだと思いたい……。
川島はそんな自分が滑稽に思えて、ふっと鼻で笑うと、意識が離れていく瞬間を少しだけ心地良く感じながら、まどろみの世界へと入っていった。
「すーすー」という寝息で目が覚めた。川島は自分の寝息で目が覚めたのかと思い、不思議な気持ちになった。病室はベッドサイドの明かりが付いているだけで薄暗く、もちろん誰もいないはずなのだが、その寝息は川島の背後から聞こえてくるような気がする。川島は熱のある自分の体が、恐怖でさあっと冷えていくのを感じた。自分の後ろに誰かがいるなんてそんな可能性絶対に低い。否、その誰かがこの世の者では無いという確率と比べたらどっちが低いだろうかとも考え、益々恐怖で体が動かなくなる。その時、
「う、う~ん」
背後から暢気に伸びをしているような声を発せられ、川島はびくっと体を震わせた。
「だっ、誰?」
「ん?……あ~、すまん。睡魔に秒殺されたよ」
「え?……りょ。良?!」
川島は重い体を素早く動かし背後を振り返ると、点滴のチューブが体に絡まった。
「なっ、なっ、何してんだよ!」
川島は今にも鼻先がくっつきそうなほど近くにある本宮の顔を見つめながら、声を震わせ叫んだ。
「しっ! 看護師来たらどうするよ。落ち着けよ」
「お、落ち着けって、何でいるんだよ! ここに!」
川島はあまりの衝撃に、一瞬で全身にびっしょりと汗をかいた。
「すまない。千秋の携帯に電話したら繋がらなくて、しょうがなく職場にかけたら、千秋が入院したって聞いて……死ぬかと思ったよ。俺の方が」
「な、何で?」
「お前に何かあったら、俺は生きていけないって言っただろう?」
聞いた。確かに。でも、だからとは言え、何故本宮は今ここにいるのだ? 川島は慌ててベッドサイドのデジタル時計に目を遣ると、深夜1時を10分ほど過ぎている。
「スパイのようにすべてをかいくぐってここまで来たよ。誰にも気づかれてない。まだな……」
「まだなって……」
川島は心底呆れ、その先の言葉に詰まった。
本宮と顔に息が当たるほどの距離で会話をするのなど初めてだ。その距離感に川島の体は更に汗ばみ、この異常な状態を、心と体が改めて意識し始める。
川島は眠りに就く前に、本宮に強く抱きしめて欲しいと思っていたことを思い出した。この偶然のシチュエーションに、それを期待してしまう自分が信じられない。
川島は、本宮の瞳を無防備に見つめてしまう自分を激しく呪った。
「ほんと、バカ……呆れて物が言えない。ったく、どうしてだよ……俺のどこがそんなにいいんだよ」
「……それ聞いてどうする?」
「信じられないんだよ。未だに……どうして良が俺なんか……」
本宮はそっと川島の頬に手を置くと、本宮の瞳をまっすぐ見つめた。
「お前の顔が好きだ、声が好きだ、体が好きだ、性格が好きだ。俺はお前を見てると胸が高鳴る。どうしていいか分からないくらい、俺は千秋に欲情する……これでいいか?」
(ああ、墓穴掘った……)
「……全然、良くないよ……」
川島の目に涙がじわりと滲んだ。もの凄いことを言われているのに、感動してしまう自分のお人好しぶりに、違う意味で泣けてくる。
「好きだ……愛してる」
本宮はそう言うと、川島の期待に答えるように、包み込むように川島を強く抱きしめた。
「良……」
その包容力は罪だ。本宮と繋がっていると思うと、こんなにも心が満たされると感じるこの感情に、川島はそろそろ、はっきりとした名前を付けなくてはいけないのかもしれない……。
「でも、もういいよ」
「え?」
「俺は狡い奴だ。すべて自分のせいなのに、彼女と千秋の優しさを甘んじて受け入れたんだからな……俺はもうお前を苦しめたくない。もういいんだ。千秋。あの時の公園で交わした約束は、今すぐ忘れてくれ」
「忘れろって……どういう……」
「彼女が妊娠したんだ」
「え?」
「だからもう千秋は何も心配しなくていい」
「ど、どういう意味?」
何故本宮が、今このタイミングで自分にそんな話しをするのかさっぱり理解できない。本宮は川島の心情を無視するかのように、引きつった笑顔のまま話しを続ける。
「俺は男として責任を取るよ。彼女と結婚して、子供を育てる」
「そんなことって……」
「だから千秋。もうお前は何も悩まなくていい。俺の心配なんかしなくていいんだ。会社を興す準備は関さんに任せる予定だし、俺の意志をしっかり継いでくれてるから安心だ……でも最後に、俺が今からお前にすることを許してくれ……」
本宮はそう言うと、川島をベッドに押さえつけるようにして体を起こし、まっすぐ川島を見下ろした。
「良?」
その悲しげな顔に、川島の胸は締め付けられそうになる。
「ふ! んんっ」
蕩けそうなほどの熱い唇が落ちてくる。本宮の唇は、川島の冷えて乾いた唇に一瞬で熱を灯し、艶やかに潤わせる。
「はあ、ちょっ、とっ、やっ」
ぬるりと舌が入ってくる。その舌は僅かに躊躇うように川島の舌に絡ませてくる。川島は焦って自分の舌を引っ込めるが、窮屈な腔内では触れ合いを避けるなど叶わない。本宮の舌はまるで精気でも注入するかのように、熱く、リズミカルに川島の舌に絡まる。その刺激に、抵抗できないほど興奮してしまっている自分に、川島は為す術もない。
「はっ、あ、ふんっ、んっ」
激しく腔内を陵辱され、その快楽に川島から抵抗する力が抜ける。
「……さよならだ。千秋。俺はお前を一生忘れない」
本宮は突然唇を離すと、そう絞り出すように言った。
「な、何で?……何でだよっ」
仰向けのまま呆然と動けないでいる川島を余所に、本宮はベッドから素早く下りると、静かに病室を出て行った。
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