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「……ぁの、」 「…なんだ」 撫子は大柄の男に目を付け、その者と共に自分の部屋へと戻っていった。 無言でただ酒を呑む和孝を、お酌する。 (和孝、だ……) あの頃より、随分大きくなった。 声も低く…体つきも力強い。 どうして、此処へ来たのだろうか? 華やかな大通りを一つ入った所にある男香を売る見世などへ。 (まさか、私を探しに……?) どんどん どんどん、不確かな期待だけが積み上がって行く。 「はぁぁ…お前、先程から何故俺の事をそんなに見つめる」 「っ、すみませぬ……ぁの、 ーーぁっ」 グイッと顎を取られ、目を合わせられた。 「何ぞ面識があるのか?」 (ぇ……) 面識? まさか、私に気づいてない………? ドクリと、心の臓が嫌な音をたてる。 「…ぁの、御名前は……」 「名は…そうだな……〝清水(シミズ)〟とでも呼んでおけ」 「ーーっ、」 それは、明らかな偽名。 (ははっ、そうか) もう…名も呼べぬのか。 嗚呼、気づいてくれたのかと期待してしまった自分が馬鹿みたいだ。 スルリと顎を持つ手から離れ、いつも客へする様にゆったりと隣へ擦り寄った。 「清水様は、どうして此方へ?」 「……連れがどうしてもと言うのでな。付き合っただけだ」 「そうでしたか」 「悪いが俺は男は好かん。だから、お前のことなど抱かぬぞ」 「っ、はい」 (男香にも興味がない、か) 〝おれのおよめさんになれ、伊都!〟 なれば、何故あの時あの様な言葉を私にかけたのだ。 (嗚呼…酷い人) 貴方のその言葉が、崩れそうな私をずっと支えてくれていたのに…何て皮肉な事だろうか。 (やはり、もうあの頃には戻れぬのだな……) 「…おい、空だぞ」 「ぁ、すみませぬ。 ーーっ!」 空のお猪口を振るその右腕にある、雑な作りの腕飾り。 (あれは、) 「っ、おい!触るな!!」 バシッ!と思わず伸びてしまった手を叩かれた。 「ぁ、も、申し訳ありませぬっ」 「はぁ…今度はなんだ一体」 「その腕飾りが、気になってしまいまして……」 「あぁこれか。 これは大事な物なんでな。誰にも触らせる事はできん」 「っ、」 (大事な、物) 砂利で出来た腕飾りを見つめるその目は、とてもとても…優しくて。 「〜〜っ、」 ぎゅぅぅっと、煙管の跡が残る手首を強く握った。 (全く…誠、上手くはいかぬ世の中だな……っ) どうして今、私の手首には同じものが無いのだろうか? 「……なぁ。お前は、梔子の匂いがするのだな」 「? はい、名が梔子ですので。 ーー梔子の匂いは、お嫌いですか?」 「いや、嫌いでは無い。ただ…酷く懐かしくなるだけだ」 「懐か、しく……」 『おまえ、なにやら花の匂いがするな!』 『ぁ、これはくちなしのにおいなの。 ーーくちなしの匂いは、きらい…?』 『くちなし? いいや、きらいではない! おまえ、名はなんという?おれの名は……』 「お前は、どうして梔子が源氏名なのだ?」 「……クスッ、私ばかりが話すのはつまらぬでしょう。 なれば、清水様も何故それ程梔子に興味がおありなのかお聞きしても?」 「はっ、客人にもせがむとは。まぁよい、いいだろう」 そのまま、清水様に酒を勧められ共に呑みながらぽつりぽつりと互いの話をした。 それは驚くほどに心地の良い時間で、日々の慌ただしさを忘れてしまうかのような…まるで、昔隣にいた日々を思い出すかのような……そんな時間で。 「梔子。もし俺の連れの気が向いたら、また此処へ来ても?」 「ふふ。お連れ様でなくとも、清水様のお心持ちでいつでもお越しくんなまし」 「はっ、誠上手いことだ」 願わくば、どうか…どうかまた此処へきて欲しいという思いを込めてゆっくりと床に手をつくと、出会った時よりは幾分柔らかくなった和孝の声が、頭上から聞こえた。

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