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第10話 互いに矜持があるようです★
入学から一ヶ月も過ぎると、ニコの『洗礼』撲滅運動はそこそこ知られるようになった。けれど、表立ってやる生徒が減っただけで何も変わらない。
そう思ったのは一日平和に授業を受けられたと思って帰ろうとした時、生徒の胸ぐらを掴んでいた魔族が、何もしていないとでも言うようにしれっとニコの前から去っていったのだ。『洗礼』をしていただろう、と問い詰めてもとぼけるばかりで、被害に遭ったであろう生徒も報復が怖いのか何も話さない。
自分のよかれと思った行動が、『洗礼』をさらに陰湿なものへと変化させてしまったのだと気付き、愕然とした。
どうして、相手が弱いと分かっているのに、力を示す必要があるのだろう? ニコは本気で分からなかった。
肩を落として校舎を出ようとすると、殺気を感じて咄嗟に避ける。その勘は正解だった。いきなり後ろからバーヤーンが殴りかかって来ていたからだ。
間一髪避けたものの、そばにいた他の生徒に拳が当たってしまい、ニコはバーヤーンを睨む。
「何をするんだ、危ないだろ!」
「お前が避けるから悪い」
「いきなり殴るのは悪くないのか!?」
屁理屈だ、と殴られた生徒を見ると、鼻血は出しているものの無事なようだ。ハンカチを渡してこの場から去るように促す。
「……やっぱお前ウザイわ。王族だろうが黒髪黒目だろうが、俺はお前を倒す必要がある」
そう言うやいなや、バーヤーンは床を蹴り一瞬で間合いを詰めた。肩を掴まれそのまま校舎の外へと連れ出される。
ニコは後ろ向きに連れ出されたので足がもつれそうになった。このままやられる訳にもいかないので、肩を掴んだバーヤーンの腕をしっかり掴む。後ろに体重をかけながら地面に背中を付き、走っていた勢いを借り彼の下腹部を蹴り上げた。思惑通り身体が浮いたバーヤーンは、そのままニコに投げ出される。『マンガ』で見た巴投げの応用だ。
「うわっ!」
バーヤーンの叫び声とズザザザ! と靴と地面が擦れる音がした。ニコは素早く起き上がり彼を見ると、さすが強いだけある、転ばずに着地している。
そのバーヤーンのこめかみに、青筋が立った。
「てめぇふざけやがって……! 相手しろ!」
「しないと言っているでしょう」
冷静に返すニコに、バーヤーンはさらに腹を立てたらしい。顔を引き攣らせ、バッと腕を上げた。その手は中指を立てている。
「殺す! ぶち犯して殺してやる!」
中指を立てる行為は人間界と意味は同じだ。ニコは被害が大きくならないように、人けのない場所を探して走り出した。
「待て!! 逃げんなぁあああ!!」
どうして彼はこうも血の気が多く、学校一なんてものを目指しているのだろう? 校内で一番強いのは間違いなくニコだ。だから自分が狙われている間は、他の生徒に被害が及ばないと思う。バーヤーンに理由を聞いたら、彼は答えてくれるだろうか。
(この間は、話す義理はないって言ってましたね……)
ならば、彼にもそれなりの矜持があるのだろう。それが何か分かれば、『洗礼』を止めさせることができるかもしれない。
ニコは立ち止まって振り返った。辺りは広く、草木が生えているだけの何もない場所だ。ここなら他の魔族を巻き込むことはないだろう。
「バーヤーン、きみはなぜ『洗礼』をする?」
ざあっと風が吹いた。バーヤーンの長い髪が風に揺れて、同じグレーブルーの瞳が鈍く光ったと思った瞬間。
「必要だからだよ!」
彼は身長の何倍もある高さに飛んだ。ニコは彼を目で追い顔を上げると、彼が二重に見えて視界が霞む。
どくん、と心臓が大きく打った。まずい、こんな時に。
バーヤーンの拳が視界を占めた時、ニコは意識を失った。
◇◇
「てめぇ……またこのパターンかよっ」
気がつくと、ニコは草むらに大の字で寝ていた。しかもバーヤーンはすでにニコの上にのしかかっていて、両腕を押さえつけている。
「そう思うならどいてくださいっ」
ジタバタと足をばたつかせるけれど、バーヤーンの拘束はさらに強くなった。そしてニコが嫌がれば嫌がるほど、なぜかバーヤーンの顔が苦しそうに歪む。グッと息を詰め、その息を吐き出すと彼は笑った。
「……はは、でも丁度いい。このままお前を犯してやる……っ」
そう言って、彼はニコの首筋に噛み付いてきた。痛みに顔を顰めヤダヤダと首を振ると、青い草むらが見え、ここがニコの淫夢だということに気付く。まさか、またバーヤーンを誘ってしまったのか、と愕然とした。
「前はただの夢かと思ったけど、夢から覚めてすぐにお前の仕業だと知った」
ずり、とバーヤーンは腰を動かした。そこには確かな存在感を放つ熱くて硬いものがあり、ニコは「いや……」と震える声で呟く。するとまた、バーヤーンは眉間に皺を寄せるのだ。
「お前が嫌がる顔、最高だな。一気に匂いが濃くなった」
まさか、とニコは息を飲む。自分ではまったくの無自覚なのに、誘惑の香りが出ているらしい。そういえば、前回も彼は言っていた。嫌がると燃える、と。
「……っ」
それならば「嫌だ」という言葉も禁句だろう。変に煽って、バーヤーンを殺してしまうのは嫌だ。ならいっそ、彼の望むようにして早く夢から覚めた方がいい。
「……早くしてください」
「あ?」
ニコは上にいるバーヤーンをまっすぐ見据えた。うっすらと頬を朱に染め、瞳の奥のギラついた光を隠そうともしない彼に、ニコはハッキリと言う。
「早くここから出たいなら、……何をするのか知ってるでしょう?」
それで彼の気が済み『洗礼』が減るのなら。
自分の犠牲の上にたくさんの笑顔があるのなら。
ニコは胸元に顔を寄せるバーヤーンの顔を、なるべく見ないように顔を逸らした。
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