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第20話 割り切った関係ですから

 目を覚ますと、ニコはバーヤーンに背負われていた。  ゆっくりと歩いている場所は見覚えのある景色で、彼が自分をおぶってニコの屋敷へ向かっていることに気付く。 「バーヤーン?」  そっと声を掛けると、起きたか、と真っ直ぐ前を向いたまま、彼は答えた。 「魔王様の使いが来て、今日の学校は無しになった。ま、あれだけ派手に暴れりゃあな……」  後悔が滲んだその声に、ニコはキュンと胸が締め付けられる。ニコは自分を降ろすように言うと、バーヤーンは素直に降ろしてくれた。 「バーヤーン、怪我は?」 「怪我? とっくに治ってる」  ニコは彼の手を取った。彼の言う通り破れていた皮膚は綺麗に治っていて、ニコはホッとする。 「……弟たちは? 僕の屋敷に埋葬しましょう」  そう言ってバーヤーンを見上げると、彼はそっと目を伏せ、首を横に振った。彼の弟たちは散々痛めつけられた挙句、川に棄てられたらしい。探しても見つからないだろう、と。  酷いことをする、とニコは思う。けれど魔界ではこれが普通なのだ。殺されても弔いさえできないのが当たり前の世界で、ニコは人間界の価値観にかなり毒されている。 「バーヤーン、やはり僕は『洗礼』を止めなければなりません」  父が被害に遭い、それがきっかけで両親が愛し合うようになった。自分が生きる意味はそこにあるのでは、と。  バーヤーンは無言でニコを見下ろしていた。表情から感情は読み取れないけれど、以前はこの話をしたら反論してきていたので、少しは理解してくれているのかな、と思う。  すると、バーヤーンはスっとニコの顎を手で持ち上げた。真剣な顔が近付いてきて、ドキリとする。  唇が付きそうなほどの距離でじっと見つめられ、ニコはドギマギした。まさか、また無自覚に彼を誘ってしまったのでは、と思っていると、彼は口の端だけを上げて笑う。 「……キスされるとでも思ったか?」 「……っ、僕はまた無自覚に誘ってしまったんですかっ?」 「いいんじゃねーの? 俺は夜伽の相手なんだし」 「……!」  そういえば色々とあってスルーしてしまっていたけれど、バーヤーンは今までの淫夢の内容をきちんと覚えているらしかった。現実で繋がってしまった以上、今更かもしれないけれど、かなり乱れた姿を見られていて恥ずかしくなる。 「当面はお前の相手が仕事ってことでいいんだな?」  バーヤーンにそう聞かれ、自分でも分かるほどニコは赤面した。彼のことを守りたいほど大切な存在だと自覚した途端、彼を無自覚に誘っていたのはこういうことだったのか、と今更ながら気付く。  殺さなくて済んだこと自体が貴重な存在だと、ショウに言われた意味がようやく分かった。本当に、バーヤーンとは相性がいいということらしい。 (でも、きみをずっと僕のそばに置いておくことは、きみの邪魔にしかならないんだろうな……)  あれだけの野心があったバーヤーンのことだ。魔王に仕える足掛かりができ次第、手放さなければならないだろう。その証拠に、彼は「当面の間」「仕事」と言った。つまり、バーヤーンはずっとニコといるつもりはないらしい。  それでも、それで彼が喜ぶのなら。ニコはこくりと頷く。 「……感謝する。この恩は忘れない」  自分個人の想いなど、表に出してはいけない。そう思ってニコはバーヤーンに背を向けた。 「では屋敷に戻ります。きみは一度帰って……」 「……いや」  今すぐお前に仕える、と彼は付いてくる。無理しなくても、とニコは言ったが、家は家族が殺された時に破壊されたから、どの道ニコに仕えるしかない、と言われた。そんな風に言われたら、ニコは了承するしかない。 「バーヤーン、その……きみの弟たちを探しましょうか? いえ、探したいです」  バーヤーンが必死で守ろうとした彼らに、ニコはひと目会いたいと思った。そして、これからは自分が彼を守ると、約束したかった。  けれどバーヤーンは首を振る。 「怪我をして……酷い状態のアイツらを見たら、今度こそ自分が抑えられなさそうだからいい」  会いたくないと言ったら嘘になるけど、と彼はまた目に涙を浮かべた。 「そうですか……」 「それに、せっかく仕事を与えられたんだ、お前に役立たずって言われないようにしないとな」 「……」  バーヤーンのその言葉に、亡くなった弟たちのことは考えないようにしていること、ニコとは割り切った関係でいることが分かり、少し落ち込んだ。 「それより、お前の話を聞かせてくれ」  ご主人様、と付け足されて、ニコは言いようのないむず痒さを覚える。普段は口調が荒いバーヤーンにご主人様などと言われるのは、落ち着かない。 「ニコでいいです。きみにご主人様と呼ばれるのは、何だか変な感じがするので」  家族しか呼ばない呼び方でとニコはお願いした。想いを告げられない以上、彼が特別な存在だと周りに示すくらいはいいよな、と思う。それで彼に何かあれば、自分が守ってみせる。  すると、バーヤーンは目を細めた。その柔らかな動きにニコは一瞬見惚れると、彼のグレーブルーの瞳の光が揺れたように見える。 「ニコ」  低く甘い声はニコの胸にじわりと沁み込み、慌ててバーヤーンから視線を逸らした。  暖かな風がニコの黒髪を揺らす。心臓の音が大きくて、隣のバーヤーンに聞かれるんじゃないかとヒヤヒヤした。  落ち着かなくて何か違う話題を、とニコは早足になりながら、バーヤーンに帰宅後のルーティンを説明する。 「き、今日はいつもより早く帰りますから、夕食までは予習復習の時間にしましょう。バーヤーン、あなた成績は?」  ニコは期待せずに尋ねたけれど、彼は座学も優秀だったらしい。ニコよりひとつ上のクラスで、学年十位以下には落ちたことがないと返ってきた。もしかして彼は、意外にも努力の魔族なのかもしれない。  しかも小さい弟たちを世話しながらだったと思うと、やはり胸がきゅ、と締め付けられる。 「それじゃあ帰ったら、まずは父上たちにきみを紹介します」  屋敷に住み込みで働く以上、それは避けられない話だと言うと、バーヤーンはそれもそうだ、と頷いた。 「では改めて。屋敷へ帰りましょう」 「……ああ」  バーヤーンは強い意志を湛えた瞳でニコを見ていて、力強く頷く。ニコもそんな彼に微笑み、新たな世話係を従えて、屋敷へ向かった。

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