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第25話 登校です

 次の日。ニコはいつものように走って登校する。いつもと違うのは、バーヤーンが並走していることだ。  あれから、やはりニコを丁寧に扱おうとしたバーヤーンにお願いして、今までと同じように一切の愛撫をせずに挿入した。それからも彼はニコを労るような素振りを見せたので耐えられなくなり、何も言えなくなくなるくらい激しくしてとまたお願いしたのだ。その時、バーヤーンは苦しそうな、悲しそうな顔をした。どうしてそんな顔をするのだろうと思ったけれど、あとはやってくる快感の波に襲われてよく覚えていない。  あの表情は、何を思っていたのだろう? 主人を悦ばせることが仕事だから、それができなくて悔しかったのだろうか。 (考えても仕方がありませんね)  とにかくバーヤーンとは今まで通り、彼が支配するような形で抱くよう命じた。従順な彼は仕事だからな、と素直に返事をしたけれど、そのあとに彼は苦々しい顔をしていた。 「なぁ、もしかして毎日、走って登校してるのか?」  息も切らさず話し掛けてくるバーヤーンはさすがだとニコは思う。そしてそんな質問をしてくるのは、大抵の生徒は車で登下校しているからだ。車で三十分、歩けば二時間弱かかる距離を、王族がわざわざ走って登校するなんて変わってるなと思ったのだろう。 「ええ。元々発散のために走っていたので、それが習慣に」 「じゃあ、俺がいるなら走らなくてもいいんじゃないか?」 「そうはいきません。ルーティンですから」  日々の生活習慣からきちんとしないと、分かるひとには分かるんです、とニコは言うと、バーヤーンは苦笑していた。 「魔族なのに、人間みたいな真面目さだな」 「人間も、僕たちとそう変わりませんよ」 「え、行ったことあるのか? 人間界に」  バーヤーンは興味深そうに尋ねてきた。魔界でのし上がるのに精一杯な魔族が多い中、人間を(たぶら)かすのは趣味というのが大半だ。それだけ、魔王に仕えることのメリットは大きい。 「いえ。お祖母様が人間界の東方の国を贔屓にしてるので、その国の文化などを文献で……」 「へぇ……」  ニコは祖母の本から得た知識を話した。人間はとても寿命が短いこと、その短い時間でも番い、子を産み育てていくこと。 「人間の、子を守る習性には執念すら感じます。弱かったから死んでも仕方がない、という考えは、ほとんど持っていません」 「……」  そして他人を愛したり、別れたりする話はいつの時代でも好まれている、とニコは言った。  バーヤーンはそれを聞いて鼻を鳴らす。 「平和だな」 「ええ。だから僕は強く憧れた。お父様のように優しく、父上のように強い魔王になりたいと」  走りながら、ニコはバーヤーンを見上げた。バラバラの髪先が上下しているのを見て、今度髪留めをプレゼントしよう、なんて思う。 「……それは反則だろ……」 「え?」  ニコがバーヤーンの髪に気を取られていると、彼はそう呟いた。上手く聞き取れず聞き返すと、バーヤーンは前を向いたまま、スピードを上げる。 「ちょっと?」 「甘いって言ったんだ。そんなことを言ってると、すぐに潰されるぞ」  そう言いながらどんどん離れていくバーヤーンに、ニコも追いつこうとスピードを上げた。真っ直ぐ駆けていく彼の後ろ姿に、やっぱりうつくしいな、と思う。 (甘くても、君が悲しまずにいられるのなら……いや、多くの魔族が泣かずに済むのなら)  祖父が守っているこの世界が悪いという訳ではない。けれど、より多くの魔族が満足して暮らせる世界になったら。ニコはそう思う。 「待ってくださいよ!」  ニコは叫んだ。  もし、自分が魔王になった時、彼が自分に仕えたいと言ってくれるなら、守りたいのは貴方だったと伝えてもいいだろうか。これであなたは御役御免だと、一生苦労しない金と権力を与えて、好きに暮らせと言ったら彼はどう反応するだろうか。 (じゃあ好きにさせてもらう、って言って、ふらっといなくなりそうですね)  それでもいい、とニコは思う。  少しの間でも、彼との時間を共有できたのなら、その時は潔く諦めて世継ぎを産むために女性と結婚するのだ。強い子が産まれるよう、できるだけたくさんの魔族と交わり、産まれた子はニコの宝、魔界の宝になるはずだ。それが魔王の務め……。  けれど、なぜか視界が滲んだ。 (嫌だ……バーヤーン以外とするなんて……)  ニコは足を止める。俯くと次々と水滴が地面に吸い込まれていった。 「おいどうした。昨日から様子がおかしいぞ?」  やはり気付いたバーヤーンが戻って来てしまう。彼への気持ちに気付いてから一日。たった一日なのにもうこんなにも辛い。まるで祖母が持っていた本の、主人公になったみたいだ、とニコは涙を拭う。 「さっきは機嫌良さそうだったのに。俺が甘いって言ったの気にしたのか?」  悪かったよ、というバーヤーンは長い指で涙を拭った。ニコは優しくしないでくれ、と思ってその手を払うと、乱暴に袖で涙を拭う。 「目にゴミが入っただけです。行きますよ」  そう言ってニコは走り出すと、バーヤーンもため息をついて付いてきた。 「何かあれば言えよ? お前は俺の……ご主人様なんだから」  横に並んで、少し照れくさそうに言う彼には、言葉以上のニュアンスなどないのだろう。だったら、ニコも主人として振る舞うのが正しい。 「きみに心配されるなんて、僕も魔王候補としてまだまだですね」 「……」  バーヤーンはなぜか何も言わなかった。けれど、今はそれがありがたいと思う。  ニコは広がる穏やかな風景を積極的に眺め、気持ちを落ち着かせた。

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