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第35話 戦闘を止めたいです

「我が名はニコ! 魔王様の命によりこの地は私が管理する! 反政府組織は今すぐ戦闘を中止せよ!」  ニコはそう叫びながら、自分の周りに誘惑を掛け、歩いていく。魔力が弱い者からニコの言葉に手足を止め、呆然と立ち尽くす。それを狙って魔王側の兵が剣で切りつけようとしたので、ニコは睨んだ。 「即刻戦闘は中止せよ! どちらも手出し無用! 私の前で殺しは許さん!」  睨まれた兵は呻いて動きを止める。誘惑の力が戦闘を止めるのに有効なのは、学校でやって分かっている。ニコは足を進めた。 (魔王様なら、反政府組織を一瞬で殲滅するのでしょうけど)  ニコにはその考えはなかった。やはりどちらの兵にも守るものがある。悲しむ魔族を増やさないようにするのが、ニコの信条なのだから。殺しは絶対にしない。 「戦闘を止めろ! 双方のリーダー、私の前に姿を現せ!」  足を進めるにつれ、剣や槍で戦う兵士たちの姿が見えてきた。木が燃え砂煙が上がり、怒号と剣戟(けんげき)音で空気が震えている。その中を、ニコは臆することなく堂々と進んでいった。するとニコの周りから兵士が動きを止め、殺気が消えていく。それを見た魔王の衛兵たちは、「すごい……」と呟いた。  けれど誘惑の力は一時的であり限定的だ。ニコから離れると解けるし、魔力が強い者はニコの近くにいても解けやすい。強い暗示に掛けるには時間が必要だ。  だから油断はできない。ニコは歩きながら周りを警戒し、建物や草木の中からも、戦闘中の魔族が手を止めて出てくるのを確認していく。 (どこにいる、バーヤーン)  彼は強いから、ニコの声はまだ届いていないだろう。それでも、聞こえるまでニコは叫ぶ。 「私の声が聞こえた者から、即刻戦闘を止めなさい!」  すると、先程まで晴れていたのに、急に霧のような雨が降ってきた。空は明るいままだが雨音でニコの声は聞こえにくくなる。けれど、魔力に影響はない。  さああと雨粒が建物や地面、草木に当たり、辺りはシャワーのような雨音だけになった。  戦闘を止めた兵士たちは、ニコの周りにぞろぞろと集まって来る。しかし、まだバーヤーンと反政府組織のリーダーとおぼしき魔族は見当たらない。  するとドオオオオ! という地鳴りのような音がした。ニコは音がする方へ足を進める。周りの兵の士気を奪いながら、ニコに付いてくる兵の人数はどんどん増えていく。 (バーヤーン、まだ戦闘をしているなら止めてくれ)  もう彼には傷付いて欲しくない。戦闘や『洗礼』をしなくて済む世界を、僕が創るから。だからきみは、僕の隣で笑っていて欲しい。そう思いながら濡れた地面を進む。 「バーヤーン! 戦闘を止めろ!」  ニコが叫ぶのと同時に、目の前の石畳の広場に何かが落ちてきた。それは二人の魔族で、一人はニコが会いたかった魔族だ。  二人とも倒れたままピクリとも動かない。しかも雨に濡れた地面がそこから赤く染っていくのを見て、反射的にニコは駆け出した。  怪我をしている? どちらの血だろう、とそばに行くと、重なるように倒れている魔族を確認する。 「バーヤーン!」  ニコは白髪の男の下敷きになっているバーヤーンを引きずり出した。白髪の男の腕もつられて動いたので見てみると、バーヤーンの脇腹に刺さったナイフをしっかりと持っている。 (──しまった……!)  そう思った時にはもう遅く、そのナイフは素早く抜かれ、自分の腹に刺さった。鋭い痛みが思考を支配し、ナイフが抜けた箇所を押さえてうずくまる。  バーヤーンの心配をしていて完全に油断した。反政府組織だから、魔王の孫であるニコも狙われるのは当然なのに。 「バ……ヤーン……」  ニコはバーヤーンを見た。雨に濡れた顔は白く、眠ったように目を閉じている。彼からは全く魔力を感じられず、次いで白髪の男を見た。このひとが──コイツがバーヤーンを刺したのだ。  白髪の男はゆっくりとした動作で起き上がる。どうやら彼も満身創痍らしい。顔にはいくつもの傷や痣がある。けれどその赤い瞳には強い意志が見えた。  男が笑う。 「タブラ……お前の仇、……討った、ぞ……」  ニコは息を飲んだ。似たような外見をしているのでもしやと思えば、彼はまた地面に倒れる。 「……ははは! これで、……これで俺は一生食っていける……! やったぞタブラ! 兄ちゃんお前の分まで生きて、いつか魔王を……!」  それきり彼は動かなくなった。霧のように降っていた雨がニコの髪に染み込み、頭皮を濡らして顔に落ちてくる。  これを、享楽といって賭け事にしていたのは誰だ?  甘い餌で釣って憎しみを増やし、命をもてあそんでいる奴らがいる。  ニコは拳を握った。自分が刺されたというのに誰も寄って来ないのは、自分が周りの魔族の動きを止めているからだと気付く。腹に力を込めて起き上がろうとすると、傷口から血液が溢れたのを感じた。 「バーヤー……ン……」  いまだ動かないバーヤーンに、ニコは手を伸ばす。会いたかったのに、どうしてきみは寝ているんだ、と目頭が熱くなった。 「うぐ……っ」  ドクン、と心臓が大きく脈打つ。ダメージを負った分を取り返そうと、身体が理性の外で精気を求め始めたのだ。そう、タブラを助けた時のように。  あのあと、意図せずタブラを殺してしまったけれど、本当にニコは彼女を疑っていなかった。純粋に自分のために働いてくれるのだと思っていた。それなのに、目の前で息絶えた彼女の兄は、ニコを仇だと憎しみをぶつけてきた。  ではどうすればよかったのだろう? やはり絶対的な力を見せつけるほかないのか? 力でねじ伏せて、恐怖で魔族を従わせることなど、ニコの力ならたやすいことだ。  ニコがそう思った次の瞬間、断末魔で地面が揺れる。苦しみもがき、泣き叫ぶ声が辺り一帯に響き、耳が壊れるかと思うほどの凄惨な声に、ニコは意識が遠のいた。

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