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【7】
夕貴はまだ、テーラーとしての情熱を忘れてはいなかった。宏海のことを想いながら一心不乱に製作した初めてのスーツ。
そう、あの時よりももっと大きな力が夕貴を突き動かしていた。
宏海のためにできること――。それはオメガ性としてただ子を成すだけでなく、共に想い支え合って生きること。
そのチャンスを与えてくれ、現実に背を向けた夕貴に手を差し伸べて歩み寄ってくれた最愛のパートナー。
目を閉じていても分かる宏海の体。ほんのわずかな違いも見逃さず、彼のサイズ変化に対応できるのは自身だけだと自負する夕貴。
内覧会までの間、夕貴は他の客からのオーダーをすべて断った。かつて父、滉平がしていたこと。今になって彼の想いが分かった気がした。
一着のスーツを丹精込めてゼロから作り上げるにはかなりの体力と集中力が必要となる。それだけじゃない。仕上がり時の依頼主の体型の変化も考慮しなければならない。その人の生活習慣や仕事内容、趣味や嗜好などによっても左右される体型。それを採寸から仕上がりまで維持して欲しいと逆オーダーするなんてことはできない。
だから滉平はその人のことを知ろうと努めた。
頑固で融通の利かない職人気質。今では隠居して、損得抜きでのんびりと慕ってくる上客のスーツを作って過ごしている。
楽しみながら作る喜び――それを夕貴が知るのは、まだまだ先になりそうだ。
シックな秋冬ものというコンセプトに、宏海自身が選んだのはエンジ色のツイード生地を使用したブリティッシュと青みのあるグレーのフランネル生地でのイタリアンスタイル。
知らない者が見ればどれも同じように見えるスーツではあるが、肩のラインや襟の開き、ウェストのシェイプ位置やスラックスの裾の形までありとあらゆるところで異なり、着こなしによってそれぞれの美しさを魅せる。
ボタンの素材・形・数、ポケットの形状、襟の大きさによっても雰囲気が変わる。
我がパートナーながら、宏海自身が一番似合うデザインを選んだことが夕貴にとっても嬉しかった。
早朝から深夜まで仕事場に籠る夕貴を心配する宏海だったが、彼もまた夕貴の出す答えが良いものに変わってくれることを祈っていたに違いない。
番を解消することは簡単だ。でも、一度縺れた糸を解くのは容易なことではない。それを半年という時間の中で、以前よりももっと強固で真っ直ぐなものにしようと足掻いている。
子供ができないというだけの理由で壊れてしまうカップルは多い。そんな概念を覆そうと、宏海も夕貴も必死になって一つのことに取り組んだ。
その間にも、否応なく訪れる発情期。夕貴は持て余す熱を宏海の腕の中で解放し、心の拠り所を探った。
力強く、優しい彼の腕に抱かれ、愛されていることを実感し、また作業に戻る。
時計の針は止まることはない。仕事場に置かれたトルソーに新たなスーツが掛けられると、心が弾むようなむず痒い感覚に夕貴は頬を染めた。
最愛の人が身に纏う姿を思い浮かべては、初めて作ったあの時のように不安と喜びが交錯する。
その度に宏海の満足げな笑顔が夕貴を包み込み、自信が不安を凌駕する。
(これを着てランウェイを歩く姿を見たい……)
夕貴は、あらゆるプレッシャーから宏海を守る鎧に願いを込めてそっと口づけた。
「あの人を守って……」
テーラーが抱く、着る者に対しての切なる想い。それを一針一針に込めながら夕貴は丹念に仕上げていった。
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