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 穏やかな寝息とさらりとした肌の感触に重い瞼を薄く開けた夕貴は、自身の体に重なるようにして眠っている最愛のパートナーをじっと見つめていた。  乱れた栗色の髪を指先で払い除けると、利発そうな額と長い睫毛に縁取られた端正な相貌が露わになる。  疲れ切って眠っている姿はどこか幼さを残していた。夕貴は出逢った頃の宏海を思い出し、クッと肩を揺らして口元を綻ばせた。  たまたま自分の運命の相手が年上だったというだけで、どれほどの気苦労を彼に負わせてきただろう。思い返せば、宏海が夕貴に甘えたところを見たことがなかった。  年下だからといってナメられたくないという勝ち気な性分からか、それともアルファ性として生まれ、常に主導権を握った生き方をしたいが故の行動だったのか。今更、それを彼に問うつもりはなかったが、夕貴は甘えてくれることを望んでいた。  時には年相応に慕って欲しい……。それが夕貴にとって喜びに変わることを彼はまだ気づいていない。  発情期を終え、心身ともに疲れ切ったあとで見る宏海のあどけない寝顔は何よりの癒しだ。鎧を脱いだ無防備なヤンチャ坊主は、歳上である自身が守らなければ……と、異常なまでの庇護欲に駆られる。  その愛らしさに少しだけ年上としてのプライドを振りかざした時だった。 「ん……っ」  眉根を寄せ、気怠げに体を動かした宏海は薄く開いた目で夕貴を睨んだ。 「ごめん、起こしたか?」 「――夕貴こそ、いつから起きてた?」  のそりと綺麗な筋肉に覆われた体を起こした宏海が、夕貴の額にチュッと音を立てて口づけると、長かった発情期が終わりを告げる。  ベッドの周りに散らかった二人分のスーツが、あの社長室での出来事を思い出させる。共に暮らすマンションの寝室になだれ込み、余裕なく着衣を剥ぎ取った様子がありありと分かる寝室の床。冷静になった今、羞恥に頬が熱くなる。  発情したオメガと、それにあてられたアルファは本人の意思とは関係なく本能のままに獣のように交わる。――そして、子を成す。  三日間、大量に注がれた彼の精で心なしか膨らんだ下腹を撫でながら、夕貴は寝返りをうった。宏海がベッドをおりて歩いていく後ろ姿をぼんやりと見つめていた夕貴だったが、その眼差しがいつになく真剣なものへと変わる。 「――あぁ、俺としたことが、お前の採寸間違えたみたいだ。宏海の背中……思っていた以上に大きい」  額を手で押さえながらボソリと呟いた夕貴に、肩越しに振り返った宏海がふっと嬉しそうに笑みを浮かべながら応えた。 「大丈夫。夕貴はいつも『余裕』を持たせてくれる。スーツだけじゃない……気持ちにも、ね」  低く甘い、そして心に沁み込むような柔らかな声音。八つも年下の彼の口から紡がれる言葉とは思えないくらい安らぎと幸福を感じる。  すべてを背負ってもびくともしないほどに成長した彼の背中は逞しく、そして何よりも綺麗だった。  バスローブを羽織りながら、夕貴のためにミネラルウォーターのボトルを差し出す宏海。わずかに指先が触れた瞬間、夕貴は下腹に微かな疼きを感じて息を呑んだ。 「どうした?」 「ん……何でもない。ありがとう」  宏海に気づかれないように片手で下腹をグッと押えこみ、ボトルを受け取った夕貴は不思議な感覚にとらわれた。  自身のなかで何かが動いたような気がしたのだ。  あるはずのないモノがその存在を夕貴に知らせるかのように、甘い疼きとなって下腹を刺激する。  冷えた水を一口飲んで気持ちを落ち着けると、夕貴は小さく息を吐いた。  過度な期待はまた大きな失望、そして自己嫌悪へと繋がることを知っているはずなのに……。 「――宏海、俺のせいで内覧会が……」  本当は口にしたくなかった。目を逸らしたまま過ごせたらどれだけ楽だろう。  夕貴は自身が発症した発情期のせいで、宏海の大事な企画をダメにしたことを悔やんだ。でも、このまま黙っているわけにもいかないと思ったのは、宏海の夕貴に対する優しさをいつも以上に感じたからだ。 「お前が気にすることは何もないよ。俺さ、心のどこかで社員なんかに任せられないってプライドがあって、何でも自分一人で抱え込んできたフシがあったんだ。それで『余裕』を見失ってた。でも、それを夕貴が吹っ切ってくれた……」  ナイトテーブルに置かれていたスマートフォンを手にした宏海は、液晶に映し出されたメールの画面を夕貴に見せた。  彼の秘書、辻本からのメールには内覧会の報告書と共に、成功を告げる一文も添えられていた。 「――社員を信じて良かった。信頼できるスタッフに恵まれていたんだって気づかされた」 「宏海……」 「それともう一つ。子供ができないのを夕貴一人のせいにさせてごめん……。ツラくて、苦しんでいるのを目の当たりにしながら俺は何もしてあげられない自分が腹立たしかった。 それなのに変なプライドにしがみついて周囲に虚勢を張り続けていた。今に思えば滑稽に思えただろうな。口では『愛してる』なんて言っておきながら、最愛の人の苦しみを救ってやれなかったんだから。夕貴が泣きながら俺のスーツにしがみついた時、俺がそばにいなきゃ……って目が覚めた。夕貴を幸せにするって約束したんだから」  宏海はベッドにゆっくりと近づくと、唇を震わせる夕貴にキスをした。 「ふたりで生きよう……」  彼の言葉で夕貴の憂いがすべて浄化され、番を解消しようとした罪も赦されたような気がした。  重なったままの温かい唇にそれよりも熱い涙が伝った。  小さく頷いて込み上げる嗚咽を堪えている間も、夕貴は下腹部の奥で甘く疼く何かを感じていた。  宏海の声に、夕貴の溢れる想いに応えるかのような疼き。  その心地よさに、夕貴は自然と深い眠りに落ちていった。

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