286 / 341
夢から覚めました16
新宿西の小さな書店前で、スーツの二人が並んでいる。
一人は煙草を噛むように咥えて。
もう一人は細い身体を壁に寄せて腕を組み。
「まあ、そういうわけや。抜けたお前には一応伝えんとなって」
「そうですか……」
愛が重苦しい表情で地面を見つめる。
汐野はそれを鼻で笑った。
「鵜亥はんがおかしくなったんは、巧のせいだけやないで? 東京来る言いだした時から、変になっとってん。おれはあの人の傍にずっといられるんやったら、今の状況もそう悪くない思っとる」
プッと煙草を吐き捨て、靴で踏みにじる。
眩しい日差しに目を細め、汐野は呟くように言った。
「宮内瑞希を……あの小僧を抱いとった時の鵜亥はんは、久しぶりに楽しそうやったな」
嫉妬だけではない。
心の底から上司の幸せを願い続ける汐野の漏れ出した本音。
だから、巧を会わせてしまえば鵜亥が壊れてしまうと知っていても、実行した自分への強い自責。
脆さを知っていたから。
高い車のハンドルを助手席の自分に託すようになってからだろうか。
いや、きっともっと前から。
もしかしたら、戒が現れたあの日からもう……
考えても仕方ない。
「お前はシエラに残るんか」
「はい」
「楽しいか?」
「……はい」
「はっ。ならええわ」
愛が意外そうに眼を見開いた。
汐野らしくない、嫌みのない言葉に。
「なんや?」
「いえ……」
ちらりと腕時計に目を落として、頭をぽりぽりと掻く。
「そろそろ行かんと。あの人迎えに」
「あの」
歩き出そうとした汐野を呼び止める。
「本当に……鵜亥さんは、記憶を無くしてしまったんですか……?」
汐野は振り向かずに手を振って去って行った。
あの日の悪夢は、おれにとっては正に夢だったのかもしれん。
巧の姿を見た瞬間に、席を立った鵜亥はんを追いかけて。
その直前に、篠田とかいう男に瑞希のいる部屋の鍵を投げて渡したん。
ああ。
あれはおれの独断やったね。
もう見たくなかったから。
あの小僧に夢中な鵜亥はんなんて。
恵介と戒は追ってきたな。
柾谷とか言う奴の話ごちゃごちゃ言いよって。
そんなん知らん。
おれには鵜亥はんだけや。
「鵜……亥、はん?」
机に両手を突いて肩を怒らせた後姿をよく覚えている。
震える手を無理に押さえ込むように。
あんたらしなかった。
ともだちにシェアしよう!