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蛙縫編1
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アヌイなんて名前を付けたのは、俺自身だ。
蛙縫。なかなかに気に入っている。イイ漢字だろう?
自分が元々どんな名前で呼ばれていたのかは、覚えていなかった。覚えてないのは俺だけじゃないって話だ。まぁ、バケモノらしい話か。小さい頃のことなんて誰も覚えてないっていうのはさ。
俺は、カリビトと呼ばれてる一族の1人だ。カリビトは、人間を食う。人間が牛や豚を食うのと同じことだ。俺たちにとって、人間は牛や豚と同じってことだ。人間が、牛や豚をどう思ってるのか知らないが、俺らカリビトにとっての人間は、飯でもあり、楽しめる玩具でもあり、話もできる、なかなかに色んな使い道がある存在かな。
カリビトは大体、気付いたら1人で生きてる。1人で生きれなきゃ、死ぬしかない。結構なデス・レースだ。
俺だって、若いときは死に物狂いで生きてきた。人間を食い損ねたことだって山ほどあるし、色んな奴に追いかけられて逃げ隠れるなんて、しょっちゅうだ。それでも生きて生きて生きまくって、結構年数も過ぎた。ちゃんとは数えてないけど、もう20年くらいになるか。1人で生き始めてからさ。
日本の土を踏むのは、それでも結構久しぶりだった。
12年間、俺はずっと日本を離れてたからだ。隣のでっかい国に行って、そこでも追いかけられたりしたけどあちこち転々として暮らしてた。でかい国はいいよな。小さい村ひとつ荒らしたって、すぐには見つからない。日本みたいな狭い国だと、狩りの現場で他のカリビトと遭遇することもあったけど、でかい国では一度もなかった。人間の数もかなりいるし、ああいうでかい国は、カリビトにとっての天国じゃねぇかな。
そんな天国を離れて日本に帰ってきたのは、ちょっとした理由があった。
日本を離れると決めた12年前のその日に出会った、ある人間が気になっていたからだ。
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「・・・ちっ・・・あっちもか」
港近くの歓楽街で狩りをしていたのが、良くなかった。
歓楽街にカリビトが出るって噂になってたらしい。罠を張られて大勢に追いかけ回され、俺は逃げ場を失って、港の倉庫に逃げ込んでいた。コンテナの陰に潜んだのはいいが、奴らはどんどん俺を追いつめるために倉庫を取り囲んだらしい。
こうなりゃ、どっか突き破って突破するしかないな。見える範囲の人間たちの数を数え、どこから突き破るか考えていたとき、少し離れたところから声がした。
「おじさん・・・何してるの?」
子供だ。振り返ったところに、子供が立っていた。
何で、夜の倉庫に子供がいるんだ?
「隠れてる。見りゃ分かるだろ」
「おじさん、目が赤いね。泣いてるの?」
子供はズボンからハンカチを出した。歩いてきて、俺に渡そうとする。
「泣いてねぇよ」
「でも真っ赤だよ」
「うるせぇ。俺は、それどころじゃねぇんだよ」
「かくれんぼ?」
子供のでかい目が、俺を見ていた。こんな小さいんじゃ、盾にもならんな。銃で蜂の巣にされたら終わりだ。
「まぁな」
そんなことをしている間に、見える範囲の人間が増えてきた。もしかして、この子供は囮か?俺がこいつに構ってる間に、俺を討ち取ろうって魂胆か?
「鬼が多くてしょうがねぇや。どっか、確実に隠れれるところがありゃあな」
「お船は?」
「船は外だろーが」
「そこから行けるよ」
子供は、当たり前みたいに言った。指をさしたところに、鉄板の床がある。地下か。地下からつながってんのか・・・?けど、こんなうまい話はそうないよな。どう考えたって罠だろ。
鉄板を力任せに上げると、確かに階段があった。中は暗いが見えないことはない。
「わー・・・真っ暗だね。いつもだったら電気ついてるのに」
「電気なんて要らねぇよ」
罠だったとしても、行くしかねぇだろ。人間の輪を無理矢理突破するよりは、マシかもしれない。階段を数段降りて子供のほうを見上げると、子供は階段を降りようとしていた。
「おい、お前何やってんだ。ついてくんな」
「こんなに真っ暗なのに、おじさん1人で行くのあぶないでしょ」
危ないのはお前だろ。けれど、人質としてはちょうどいい。俺は子供の手を引いて階段を降りてやった。
子供は携帯用の小さいライトを持っていたらしい。ペン型ライトだ。子供の高さでそれを照らして歩くが、俺にはその高さじゃ意味がない。まぁ俺はライトなんてなくても暗闇でも目がきくから、別にいいんだけどな。
地下道は、不思議なくらい静かだった。歩く音だけが、やけに響いて聞こえる。
「おい、お前。何であんなとこに居たんだ?」
「いつもあそこで遊んでるんだよ」
「夜にか」
「かくれんぼしてたら眠くなっちゃって、起きたら真っ暗になってて・・・そしたらおじさんが来たの」
「お前、明日からあそこで遊ぶのやめろ」
「どうして?」
「危ねぇんだよ。ああいうところはな。あぶねぇ奴がいっぱい来るんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
「おじさんもあぶない人なの?」
「まぁな」
「でもおじさん怖くないよ」
「そうかい」
小さな手は、やけに温かかった。しょせん、こいつだってただの餌だ。飯のひとつなんだけどな。けど、他の奴に食われるのは癪に障る。こんな危機感のない子供は、あっという間に食われて終わりだ。俺が食うまでは、危険から遠ざけといてやらないとな。
歩いた先にあった階段を上がり、蓋になっていた天井部の扉を開けると、目の前に船があった。コンテナ船だ。
「外国行きか・・・」
船体に書いてあった文字を見て、それが外国の船だということが分かった。
「外国も悪かねぇな。この国は狭すぎる」
「どこか行くの?」
「あぁ。鬼に追いかけられない場所にな」
「・・・そっか」
子供は、俺から手を離した。
「おじさん・・・気をつけてね」
「お前もな。もう、あんなところで遊ぶなよ」
「うん、分かった」
子供はうなずく。ほんとにわかってんのか?
「お前、名前は何て言うんだ?」
「はるか」
「ハルカ。いい子にしてろよ。じゃなきゃ・・・鬼がお前を喰いに来るぞ」
にやりと笑って見せたが、よく考えたら真っ暗だから、人間の子供には見えないな。
「鬼が・・・?」
「あぁ。鬼の名前は『蛙縫』。結構怖い鬼だぜ?」
「あぬい・・・」
「じゃあな。早く家に帰れ。ハルカ」
軽く手を振って、俺は近くのリフトに登り、そこからコンテナ船へと飛び込んだ。多少音はしたし腕をしこたま打ったが、その程度大したことはない。
船の中から子供のほうへと振り返ったが、さすがにその距離じゃ子供がいるのかどうかは分からなかった。
そして俺はその船に身を潜め、隣国へと旅立ったのだ。
それから12年。
あの時の子供・・・ハルカは、もう大人になっているだろう。人間の成人年齢は18だとか20だとか聞いたから、多分それくらいだ。
日本が狭いって言っても、さすがにあの時の子供に会うことは出来ないだろう。会っても分からないだろうしな。
けれども大人になっているのかと思ったら、何だか懐かしい気分になった。『ハルカ』に会いたくなったのだ。
同じ『ハルカ』じゃなくてもいいだろう。『ハルカ』を探してみようじゃないか。
そして探し出したら・・・。
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12年ぶりの日本への帰り道も船だった。
船内で飯を食うとバレやすいので、かなり空腹だ。隣のでかい国でがんがん食べまくった俺は結構体格も良くなってたし、数日食べないで居ると体がもたない。だから、日本の土を踏んでまず思ったのは、飯を探すことだった。
「お・・・何だ、ありゃ」
久々に見た日本は、木とビルが増えていた。夜でもまぶしいほど光にあふれてるのは変わらないし、光のかげに広がる闇にうごめく人間たちもいるのは変わらない。けど、何かちょっときれいになってるって言うか、さっぱりしたって言うか。
「異国帰りとはな」
突然、闇の中から声がした。闇の中に闇が広がって見えるのは、そいつがカリビトだからだ。
「いきなりどんなあいさつだ。・・・これだから、狭い国はイヤなんだよ。歩けば同族に当たりやがる」
にらんでやると、闇が揺れた。どうやら明るいところに出てくる気はないらしい。
「確かに・・・同感だが。しかし・・・面白いな。君は、なかなか面白い」
「あぁ?」
木々の間の闇の中にいるそいつは、言っていることもおかしいが、気配がおかしかった。こいつともし狩場で遭遇したら、獲物の取り合いをするべきじゃないだろうな、と思えるくらい、ヤバい奴だ。つまり、俺より強いだろってことなんだが。
「君はてっきり・・死ぬだろうと踏んでいたんだけどね・・・」
「預言者かよ。俺は腹が減ってんだ。お前に構ってる場合じゃねぇ」
「では預言者として忠告しようか・・・。君は、『松原』に帰るべきではない。帰れば君は、死から逃れられないだろう・・・」
「マツバラってなんだよ。どこだ、それ」
「忠告はしたよ・・・若い、若い次代の血族よ」
声は、唐突に消えた。気配を消したんだろう。そんな芸当、俺にはできねぇし、やれる奴を見たこともない。
「もう若かねぇけどな」
それでもずっと生き抜けば、色んな芸当が身につくのかもな。
そんなことより、目の前の飯だ。
俺は、たまたま遭ったカリビトのことは忘れ、飯を探すために歓楽街へと向かった。
腹を満たせば、考えることはひとつしかない。
この国に戻って来た目的・・・『ハルカ』のことだ。
12年前に俺が居たところに行って、『ハルカ』を探そう。トラックの荷台に入り込み、寝転がった。
確か、あの港の名は・・・金崎。
トラックで乗り継げば、きっとそこに着けるはずだ。
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「始めからこうすりゃ良かったな・・・」
トラックの運転席を開き、地面に降りる。
トラックの荷台を転々とする旅は、まったく目的地に着かなかった。その辺に置いてあった地図を取って場所を毎回確認し、毎回違うじゃねぇかと地図を地面にたたきつけた。
結局トラックを奪い、自分で運転して金崎に向かうことにしたけれど、俺は運転なんてしたことはない。あちこちぶつけて変形したトラックで金崎に着いた頃には、日本に帰ってきてから1ヶ月が経っていた。
「田舎だな・・・」
12年前はそんなに田舎だと思わなかった。昼間でも結構人は居た気がする。今は、街中をぶらぶら歩いても、ほとんど人と会うことがなかった。商店街の店も、半分くらい閉まっている。
「・・・ゴーストタウンか?」
商店街を抜けると、神社の鳥居が見えた。見えた時点で、方向を変える。別に神社に入ったって、どうってことは無いんだが、何となく気持ち悪い感覚がある。
「海にでも行くか」
商店街の中にある4階建てビルの屋上に上がり、外を見た。海は見えないことはないが、結構遠い。
まぁ、目的地に着けば急ぐ旅じゃあない。ぶらぶら歩いて海へ向かった。
海に沈む夕日を見たのは久しぶりだ。それこそあのでかい隣国じゃ、西に日が沈むのを見れる場所に行く機会がない。港にはそれなりにでかいタンカーだとかコンテナ船が居るけど、夕方にもなれば、そんなに作業をしている感じでもなかった。
「きれいだな・・・」
夕日の橙が、無骨に立つ鉄骨に反射する。一瞬、その鉄の骨の上に座る子供が見えた気がしたが、それこそ一瞬の幻だったらしい。まばたきすれば、そこにはカラスが止まってるだけだった。
「ちょっと、おじさん!」
橙に広がる空と海を眺めていた俺の後ろから、突然声がした。
なつかしい響きだ。子供の声じゃないようだが。
「・・・何だ」
振り返ると、そこに人間が立っていた。成人はしてるらしいが、まだ若いか?
「そこ危ない」
言われた傍を、トラックが何台か通って行く。タイヤが跳ねた小石が幾つか俺に当たって転がっていった。
「・・・何だ?」
「作業場だよ。何ぼーっと突っ立ってんだか」
「うるせぇぞ、ガキが」
「トラックに轢かれそうだったから注意してあげたのに、おじさんは感謝の心ってものがないわけかー」
「俺が轢かれるわけねぇだろ」
この若い人間がうるさくて、のんびり海も見ていられそうにない。
「だから、そっちは危ないんだって!」
人間は、俺の世話を焼きたいんだか何だか知らないが、やたら付きまとってきた。さすがにこんなに広い場所では食うわけにも行かない。倉庫がある建物のほうへ歩いて行くと、人間は俺の後ろからついてきた。
「・・・何か用か」
「そこの倉庫街でバイトしてるんだよ」
「・・・倉庫街?」
「そう」
人間は倉庫のほうを指差す。倉庫と倉庫の間に、何人かの若い人間が見えた。
「店があるんだよ。俺は右側の喫茶店でバイト」
「喫茶店か・・・」
倉庫の外には椅子やテーブルも置いてある。若い人間が遊ぶ場所のようだった。こんな倉庫で?こんな倉庫の何がいいんだ?
「あんま人いねぇな」
「ちょうど境目だからね。夜になればまた人が増えると思うよ」
となると、若い人間も増えるってことか。だったらそこに『ハルカ』も居るかもしれないな。
「でもおじさんが楽しめる場所じゃないかもね」
「別にいいさ。俺は人を探してるだけだ」
「人探し?何で?」
「そいつに会いに来たからな。まぁ、どこに居るか知らねぇが」
「知らないのに探してるの?無理じゃない?」
「うるせぇ」
いちいち突っかかってくる若い人間が、うざったかった。
「別にいいんだよ。急いでねぇからな」
「そう」
「・・・『ハルカ』って名前の奴なんだが」
そういやこいつも若い人間だな。気付いて、俺はそいつへ振り返った。
「お前の知り合いにそういう名前の奴いないか?」
「・・・いる」
人間は、少し驚いたように俺を見上げている。そして、ぽつりと呟くように言った。
「へぇ・・・それはいいな。どこに居るんだ?」
「・・・俺」
「俺?」
「山谷 遥。俺の名前・・・」
「ヤマヤ ハルカ」
こいつも『ハルカ』なのか。
俺は、その若い人間をじっくり見つめた。何歳くらいなのかは分からないが、まだ若い。背もあまり高くない。体は細くて・・・髪は黒い。
「歳は」
「・・・20歳だけど・・・」
合わないことはない。俺には子供の年齢は外見じゃいまいちわからないが、8歳だったと言われればそうだった気もする。
何より、『おじさん』というときの言い方が、似ている気がする。まぁ、気がするだけだ。12年もたてば、その時の子供の顔もよく覚えていない。
「・・・ハルカ。バイトだって言ったな」
「うん」
「俺に構ってる場合じゃねぇんだろ。行ってこい」
言うと、ハルカは目を瞬いた。そしてうなずき、そのまま倉庫のほうへと走って行く。
それを見送り、俺は沈んで行く夕日に目をやった。
『ハルカ』は、簡単に見つかった。あまりに簡単すぎて、退屈な気がする。それに食ってしまうのは簡単だが、すぐに食うのはもったいないだろう。
少し・・・遊ぶか。
ハルカが入った倉庫だけ確認して、俺は外に出しっぱなしのテーブルのほうへと歩いていった。
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