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蛙縫編2

● 「なぁ、ケイ。大人になったらさ」  夕日がまぶしい公園の鉄棒の上。子供が1人座っていた。 「一緒に、船にのろーぜ。船で、世界の裏まで行くんだ。すげーだろ?」  子供は笑いながら、俺へと片手を伸ばす。夕日を背に受けた子供の顔は、よく分からなかった。 「…裏は行ったことないけど、隣の国には行った」  子供の笑顔が、不思議そうな顔に変わる。  あぁ、違うな…。  俺は、何となく思っている。  言いたかったことは、それじゃなかった気がしている。  俺は…。     「おじさん!おい!起きろ!」  突然、背中を叩かれた。 「何だって夜中に寝てるんだよ!おい!」 「…あ?」 「寝ぼけてる場合か」 「…寝てたか」 「寝てた!」  そこは、倉庫前だった。椅子に座り、テーブルに突っ伏して寝てたらしい。  倉庫を改造したのかしてないのか分からない店は全部閉まっていて、街灯の光だけが点々としていた。 「まだ寒いのに、よく外で寝るね」 「寒いか?」 「上着着ないと寒いし」 「俺は暑がりだからな」  カリビトは、暑がりが多いらしい。俺にとっちゃ丁度いい温度なんだが、ハルカは少し寒そうにしている。 「おじさんは他所から来たんだよね。どこに泊まんの」 「その辺かね」 「野宿?凍えるよ」 「そんな寒くもねぇだろ」  どこへ向かうのか歩き出すハルカに並んで歩くと、ハルカは俺を見上げながら話しかけている。 「イヤだよ。明日朝のニュースで『凍死』って出るの。一晩くらいなら泊めてあげるし、うちに来る?」  獲物のほうから誘ってくることは、無いわけじゃない。けど、こいつはただのお節介なヤツなんだろう。相手を誘うときは匂いで分かる。俺に対して性的な感情を持ってるなら、俺にはすぐ伝わるってことだ。でもこいつからはそんな匂いはしないし、まぁ、男だしな。 「お前、1人暮らしか?」 「そうだよ」 「じゃあ、世話になるか」 「大したもてなしは出来ないけどね」  ハルカは少し笑って見せた。俺も笑みを返して、ハルカについていく。  まぁ、この夜の間に食べるつもりはない。  この時は、そう思っていたんだけどな。   ● 「あっ…やだ…そんな、あっ…」  ハルカの部屋は狭かった。台所のほかには部屋がひとつだけあるって話だったが、部屋が狭いかどうかはどうだっていい。ただ、狭くて密閉されたところに居れば、嫌でも人間のイイ匂いが充満する。  部屋の中で俺用の布団だと言ってハルカが敷いたところで、俺はガマンが出来なくなった。 「嫌なら、窓でも開けておけ」 「は?こんな寒いのに…っあ! ちょ、待って、無理っ…」  空腹なら犯しはしない。ただ喰らうだけだ。だが腹がそれなりに満たされてるなら、性的なものに欲望が変換される。 「無理じゃあねぇだろ。…じっくり指で開いてやったしな」 「あああっ…はっ・・むりぃ…だっ、て…」 「そんな顔じゃあ無理って感じじゃねぇよなぁ」  根元まで収めると、ハルカは涙目で小さく首を振った。確かに男のものを入れたことはないんだろう。慣れたヤツなら何でもくわえこむが、ハルカの中はキツい。 「まぁ…じきによくなるだろ」  一応、ゆっくり動かしてやる。ハルカは悲鳴に似た声を上げたが、ハッキリとした抵抗はしなかった。  カリビトに犯されるヤツっていうのは大体抵抗しないが、そういうものらしい。何度も突き上げていると、その内、ハルカも悲鳴とは違う色の声をあげはじめた。 「あっ…ん、あぁ…そこ…なんか、変な感じ…っ」 「あぁ、ここがイイんだな」 「んっ…ふ、あ…」  ハルカの反応がいい場所を突いてやると、ハルカは何度も首を振った。 「なんかっ…すごく、変、だ…っ」 「それでいい」  獲物が俺のもので好きに蹂躙される様を見るのは、心地いい。犯した後に喰らうなら、一晩で二度楽しめる。  ただ、余程安全な場所じゃないと、それはしない。犯すのも喰うのも、何かと時間がかかるからだ。  それに、楽しみは多いほうがいい。 「イけそうか?」 「…」  一応聞くと、ハルカは困ったように首を振る。初めての感覚なんだろう。よく分からないってとこか。  ハルカの棒を掴んで扱きながら腰を振ると、途端にハルカは悲鳴を上げた。熱の篭もった、快感を示す声だ。 「やっ・・むり、それ、むりっ…」 「お前は無理なことばっかだな」  構わず突いてやると、不意に掴んでいたものが膨張して吐き出した。力を失ったハルカの肩を掴み、俺も一気に頂点へと昇りつめる。 「…信じられない…」  ハルカの体から離れると、ぐったりと仰向けに倒れたまま、ハルカがぼやいた。 「見知らぬヤツを泊めるからだ」 「…まさか、男を襲うなんて…思わないだろ…」 「そうか?」 「…おじさん、そっちの人だったんだ」 「どっちだ」 「男が好きな」 「気にしたことはないな」  俺みたいなでかい男を犯したことはさすがに無い。鍛えてるヤツは人間でも危ないからな。気絶させて喰らうのが精々だ。  ハルカの隣に寝転がると、ハルカの視線を感じた。少しだけ起き上がったその体が、俺に少しだけ重みを預ける。 「…おじさんは、名前、何て言うの」 「アヌイ」 「…変わった名前だね」 「まあな」 「…しばらく、泊まってく?」  甘い響きが混ざった声に、俺はその顔を見つめた。 「何だ、そんなに良かったか?」 「良かったか、は…よく、分からないけど」  俺の胸に顔を埋め、ハルカは呟く。 「でも、何か…そういう、気分」  小さなささやきは独り言なんだろう。俺は目を閉じ、浅い眠りについた。   ●  ハルカの部屋で寝泊りするようになって、3日が過ぎた。  ハルカは毎晩、バイトに出かける。日中は、大学に行っているのだと言った。だがそんなに真面目には大学に行っていないらしい。それでも3日の内2日は、昼から大学へ行くと行って出て行った。  毎日ハルカを犯す以外、俺にはやることがない。だが3日も居れば、腹も減る。ハルカがバイトに出かけてから遠出し、出来るだけ離れた場所で狩りをした。普段は転々と移動するから気にしないが、拠点に長居するなら食事は遠いところがいい。カリビトが居るようだとバレたときに、拠点が気付かれにくいからだ。  同じヤツと、これだけ長く、一緒に居たことはない。大体は、長くても1日だ。犯して喰ったら終わり。  だが、日に日に色気を増していくハルカを見ていると、喰ってしまうことが惜しくなる。『ハルカ』が、12年前に俺を助けた子供と同じヤツかどうかは、どうでもいい。ハルカという名前に執着しているわけじゃない。でも、喰ったら終わりだ。 「アヌイって、漢字でどう書くの?」  バイトから帰ってきたハルカが、俺の腕にもたれかかってそう聞いてくる。  紙を置かれたので書いてやると、ハルカはその文字を見つめた。 「…標本」 「ん?」 「自分で付けた名前?」 「イイ名だろ?」 「本名は、ダメだったの?」 「さあなぁ」  自分の子供の頃のことは何も覚えていない。何もかも。  ただ…最近、夢を見る。ほとんど夢など見たことのなかった俺が、最近夢を見る。その夢の中で、俺は『ケイ』と呼ばれていた。もしかしたら、何も無かったはずの俺の子供の頃の記憶なのかもしれない。 「…ねぇ、アヌイ。明日、俺がバイトから帰ってきたら、出かけない?」 「構わねぇが…寒くないのか」 「上着着れば大丈夫だよ」  ハルカは笑い、俺に抱きついた。 「海を…見たいんだ」 「それはいいな」  海には、記憶がある。  俺が日本を離れた日も、夢の中でも。 「お前は、夜中に海が見えるのか?」 「真っ黒い海も嫌いじゃないんだ。…音もいいしね。静かで」 「そうだな」  波音だけが聞こえる世界もイイだろう。ただ、何をするでもなく、そこに佇むことも、たまには。     「…ケイ。諦めんなよ」  海を眺めながら、その子供は言った。  子供…という歳では、もうない。大人になろうと成長している最中の、少年の姿形で、俺の背に手を添える。 「絶対に行こうぜ。海を越えて、遠い国じゃなくても、この海の向こうにある国に」 「無理だよ…」  『俺』は、呟いた。その少年に向かって、首を振っている。 「俺は、もうすぐ…」     ● 「また、寝てたの?」  ハルカの声を聞いて、俺は目を開けた。  床に寝転がってる俺を、ハルカが上からのぞきこんでいる。 「…眠みぃんだよな…最近」  ゆっくり起き上がって、見ていた夢を思い出そうとした。思い出したほうがいい。何となく、そう思う。 「…アヌイは夜型って言ってたよね。でも眠いなら…出かけるのはやめとく?」 「いや…行こうぜ」  海が見たい。夢で見ていた、あの海を。  行けば、思い出せる気がした。何も無かったはずの俺の中に残っていた…何か。  今まで俺の中にはナカッタモノだ。それを取り戻す必要なんかないはずなのにな。 「こっちだよ」  上着を着て先に出たハルカが、俺の隣を歩く。時々走って俺の前に出て、海の方向を指差した。  やがて、道は大きな広い空間につながった。そのでかい敷地に、巨大な長方形の箱がたくさん積んである。何て言うんだったか…輸送コンテナだったかな。近くにはクレーン車だとか大型トラックが何台もとまっていたから、ここは港だろう。  波の音は聞こえないが、これだけでかい港なんだ。だいぶ歩かなければ海には着かないだろう。 「おい。別の道は無ぇのか?まだだいぶ歩くぞ」  ハルカは楽しそうに俺よりだいぶ前を歩いていた。俺の声を聞いて振り返ったけど、軽く手を振る。 「ここが一番近道なんだよ」  そう言って笑う声は、何か変な感じがした。  何かが、おかしい。  それは勘だ。今までそれに従って俺は生きてきた。だから俺は生きてこれたんじゃねぇか。 「チッ…」  ハルカについて行くのは危険だ。そう判断して、俺はハルカに背を向ける。  すぐに走り出そうとしたその時、風を切り裂くような鋭い音が聞こえた。 「サカキ!」  俺の背後から聞こえた声と同時に、トラックの陰から人間が飛び出てきた。 「祓います!リッシン!」  その声が俺の耳に届くと、右脚に力が入らなくなる。 「クソッ!」  呪言か何か知らないが、そいつがまだそれを唱えているのは聞こえてた。引きずる右脚を奮い立たせ、むりやりまた走り出すことができたのは、俺のほうがそいつより強いっていう証だ。 「ぐっ…!」  走り出したばかりの俺の背に、何かが当たる。俺の体だけじゃない。何かがあちこち地面に当たって割れた。それは強烈な臭いを噴き出して、俺にまとわりつく。 「…アレ…か…!」  人間がカリビトを狩るために使う『武器』だ。何でかわからないが、俺たちはその臭いをかぐと力が抜ける。けれど、少しくらい遠くからでもその臭いは俺たちには分かるはずだ。何で、気付かなかった…? 「く…」  地面に膝をついたが、それでも俺の体は前に進もうともがいた。  逃げなければ。  逃げて、俺は、あの、海に…。 「…やれ」  その声は、俺の逃げようとしていたほうから聞こえた。  まだ、だ。  まだ、俺は動ける。  まだ、逃げられる。  俺は…。 「…かえ…で…?」  かろうじて顔を上げた俺の視界に、その男は立っていた。  俺は、知っている。  そいつを、知っていた。  お前か。  お前が、何で、ここに。 「…残念だ」  男の声は、突然傍で聞こえた機械音にかき消される。  俺を照らし出す丸い光がまぶしく、振り返った俺の目の前に、巨大な影があった。  ふりかざされた、それは、てつの、かたまりだ。  あぁ、そうか。  おれは。 ●  ガシャン、ガシャンと、金属が打ち付ける音が辺りに響いた。  誰もが黙ってそれを見守る中、仕事を終えたその機械はゆっくり頭を上げる。 「…楓さん」  離れた所に立っていた男が、俺の傍にやって来た。  俺の目の前で起こった惨状を目に入れないようにしながら、俺を見る。 「この男…お知り合いですか?」 「あぁ。『桂』だ」 「かつら…ですか…『また』」 「『桂』はもう駄目だな」  煙草を出して火を点けると、男は少し嫌そうな顔をして俺と距離を取った。 「山谷。お前もご苦労だった」  少し遠回りして俺に近付いて来たのは、今回の立役者だ。山谷遥。まだ若いが度胸もある。守人としては大事だが、早死にするタイプだ。 「俺もスッキリしました。狩人なんて…とっとと全滅すればいいのに」  可愛い顔してハッキリ言う。笑みを浮かべているくらいだから、狩人への憎しみは高いほうだろう。狩人を騙し切るほど演技が出来る人材はほとんどいない。 「榊も悪かったな。引っ張り出して」 「いえ。守人になる事をお断りしているのですから…ご助力くらいは」  榊は神社の神主だ。彼の声には力がある。守人なんかさせるより、遥かに有意義な仕事だろう。 「…じゃあ、俺は行きます」  ショベルカーから下りてきた者たちに指示を出していた男が、最後に俺の傍までやって来て挨拶した。 「…黒木」  呼び止めると、男は振り返る。 「こいつも『桂』だ。『桂』はもう終わりだ。…解ってるよな?」  振り返った男の顔には何の表情も浮かんでいなかった。  この男はいつもそうだ。別におかしな事じゃない。感情を殺して仕事をしているヤツも少なくない。だが、いつまでも感情を殺し続けるのは難しい。そうして死んでいく人間も、たくさん見てきた。 「…『終わり』にしたいだけじゃないんですか。漣さん」  しばらく無言で俺を見つめた後、黒木はそう言って少し笑った。  そのまま去っていく黒木の後姿を眺めていると、榊も俺に向かってお辞儀する。 「では僕も…。せめて、その魂だけでも」  そして、榊は塊のほうへ向き直って頭を下げた。死者を悼む言葉を捧げるのだろう。  魂なんてものがこの世にあるのかどうかは知らないが。  まだ頭を下げている榊を、少し離れたところで山谷が見ている。だが、その目は一度も死者のほうへ向けられなかった。 「…」  俺には、その化け物に声を掛ける資格はない。  けど…。  なぁ、桂けい。  お前、海を渡れたじゃないか。  何で、戻って来たんだ?  戻って来る必要なんて、無かっただろ?  俺は、願ってたんだ。  海の向こうで生きてる事を。  それでいいと…思っていたんだ。

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