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仁哉編1
その年の冬は、珍しく雪が深かった。
雪解けの後に現れるのは、春の気配だけではない。
「あぁ、黒木さん。こっちだ、こっち」
それは、雪の中に埋められ隠されていたのだと言う。
「これで3人目だ。…どうなってんだ?一体」
現場検証をしている人たちの間をすり抜けて、手招きしている男の所まで歩いて行く。春になったばかりの朝の山は、まだ寒いのだろう。皆、しっかりと着込んでいた。
「…よく、この状態で検死できましたね」
それは、ほぼ骨だ。土の中に入っていた部分は完全に白くなっていて、雪の中に入り込んでいた部分だけがかろうじて残っている。
「人間と狩人の区別を付ける技術は、だいぶ発達したからなぁ」
彼らは警察の人間だ。30代から40代の男ばかり5人。更に、周囲を警戒する為の人材が8人と犬が2頭。
「この5日で、狩人の死体が3体もこの山に眠ってやがった。狩場が被ったにしては、やり過ぎじゃないか?この辺りが根城だと考えたら、ぞっとしない話だ」
「これを捨てたのが狩人なら、この辺りには住んでないですよ。自分のテリトリー内に証拠は残さないはずなので」
「だったら、尚更…3体もやった奴が、どこかに居るって事だ。…なんでこんなややこしい事、うちのシマでやるかねぇ…」
男は疲れたように首を振った。
狩人を斃せるのは守人だけではない。銃一発じゃ死なないのが狩人だが、何発も撃ち込めばだいぶ動きも鈍くなる。頭を潰して動ける狩人は居ないから、最終的にはそれを目指せばいい。警察の人間なら銃の扱いを訓練されてるし、銃撃班もいる。だから、狩人退治に警察が駆り出されるのもよくあることだ。
「前の2体は特定できなかったが…こいつは、所持品があった。珍しく免許証を所持しているんだが」
そう言って見せられた身分証明証には、北谷正人の名があった。
「こいつが奪っただけかもしれないがね」
「分かりました。調べてみます」
「頼むよ」
他に分かったことがあれば、また連絡する。
そう言われて、俺はその場を後にした。
俺の名前は、黒木仁哉(くろきじんや)。
狩人からの護衛や調査を主な仕事としている守人だ。
元々は大きめの守人組織に所属していたが、今はほぼ1人で行動している。警察とは組織に居た頃からの付き合いで、狩人の特定や捜索をよくやらされていた。
俺が未だに依頼をされるのは、他の守人より狩人の特定が早いからだ。
目を見なくても、俺には相手が狩人かどうかが分かる。それは主に狩人独特の臭いだったり、その仕草だったり、或いは…だったりするが、優秀な守人として、組織に居た頃から表彰されたりもしていた。
所属していた組織には世話になったと思う。
けれど、俺は人に合わせて一緒に行動するのが、昔からあまり得意じゃなかった。一人で突っ走ることもあった。その事で迷惑をかけたこともあったし、大きな事故を引き起こす寸前だったこともある。
だから、俺は一人になった。
一人なら、何をしても自分だけの責任だ。他人に迷惑をかけることも、極力避けられる。
時には請われてチームで仕事をすることもあったけど、必ず人より前に出ないように心がけた。
冷静でいよう。いつでも。
何があっても。どんな時でも。
それが、俺の信条になった。
●
北谷正人という名前には聞き覚えがあった。
守人だけが見れるネットワークに登録されている『協力的な狩人』の中の一人。それが北谷正人だ。
守人組織に居た時には彼の協力で狩人を斃せたこともあるし、潜伏場所が判明したこともある。
人間に友好的な狩人のほとんどは、『消極的な友好関係』だ。人間に必要以上に関わることを恐れているから、進んで情報を落とすことはない。だが、彼は違った。自分の居住地に入って来た狩人の情報はすぐに報告してきたし、他の狩人を憎んでいるような言動をしたこともある。
狩人にとって他の狩人はライバルでもあるから、憎む気持ちは分からないでもない。だが、大体の狩人は自分でそれを解決しようとするものだ。北谷正人のように、簡単に人間の協力を仰ぐような狩人は、他に知らなかった。プライドが無いと言えばそれまでだが、自分の力を過信しない慎重さもあった男だ。
勿論、人間に協力することによって、自分の食料を安全に確保する目的はあっただろう。実際の話、1人の狩人を保護してその何倍もの狩人を消滅させることが出来るなら、組織はそうする。それは警察も同じことだ。だから彼は、安全で快適な生活を保障されていた。
だが…。
それを知った狩人に恨まれる可能性も、高い。
だから他の狩人に殺されて埋められたとしても、おかしな話ではないのだが。
問題は、わざわざ狩人が敵を埋めるかどうか、ということだ。
自分が潜んでいることを知られない為に、餌である人間を隠すことはよくあるが、敵を埋める必要はない。埋めるとしても、わざわざ山に捨てる必要もない。
「家賃の支払いが止まって無かったんで、気付かなかったんですけどね…」
北谷正人が住んでいたマンションのオーナーは、俺が身分証明書を出すと首を捻った。
それなりに家賃が高そうなマンションだが、北谷正人は報酬として相当な金も貰っていたはずだ。こういう所に住んでいてもおかしくはない。
部屋の鍵は管理人が持っていると言うので開けてもらい、中に入った。
守人なら誰でもこんな警察まがいのことが出来るわけではなく、俺は警察公認で許可を得ている。というか、許可証を持っている。実際、この件だって警察から依頼を受けているのだから、捜査対象の狩人に関しては、ある程度の自由が保障されているのだ。
狩人の住処と分かっている場所に、警察が先に調査に入る事はない。入るなら、大人数になる。今回俺一人が先に調べているのは、狩人ばかりが死んでいる事件だからだ。人間が無関係であるなら、最後まで警察が関わる事は無い。
「…物が多いな…」
2LDKの室内は、家具や物で溢れ返っていた。整理整頓なんてしないんだろう。何ヶ月も放置されていたから全体的に埃まみれだ。
床に落ちていた本を拾って、軽く叩く。魚や肉や野菜などの…食材の保存方法が書かれた本が、何冊もあった。
「あぁ…そこ、電気切れてますね。LEDは持つはずなんですけどねぇ…」
管理人がぶつぶつ言いながら出て行く。誰も住んでいなければ、故障があっても気付かれないだろう。
一応、冷蔵庫と冷凍庫を開けて中身を確認する。中にはほとんど何も入っていなかった。クローゼットや収納ケースも中を確認したが、乱雑に服や小物が入っていただけだ。
結局、室内から目ぼしいものは見つからなかった。
あえて言うなら、『見つからなかった』のが有力な情報とも言える。
「北谷さんは、隣国に旅行すると聞いていました」
俺が元々所属していた守人組織とは、今も交流はある。
北谷正人の部屋に行く前に組織に連絡して確認したところ、北谷正人は4ヶ月に旅行に行くと言って日本を離れたらしい。
「それで、戻って来たという連絡は無かったのか?」
「えぇ。ありませんでした。北谷はもう3年も『協力者』でしたし、今更こっそり日本に帰って来て潜伏するはずも無いでしょう。それに…」
「それに?」
「あの国には、『薬』を買いに行くと言っていたんです。世界中で研究者たちがこぞって開発してる…あの治療薬ですよ」
「…あれか」
人間に対して有効的な狩人は皆、人間になりたいと口にする。
こんな制約のある生活ではなく、自由になりたい。食べる物を自由に選べるような生活をしたい。人間より多少強いことが、一体何の得になると言うのか。だから、人間になれるなら…多少無理してでも、その手段を手に入れたいと。
「警察からの話によると、北谷正人は3ヶ月前に飛行機で日本に帰って来てる。誰も、連絡は受けていないんだな?」
「はい。毎週、全員分の居場所報告会議がありますし、仮に連絡ミスだったとしても、どこかで分かったはずです。3ヶ月も放置している事はありません」
他国に行った狩人について、その行き先を把握することはほぼ無い。危険な爆弾は自国に少なければ少ないほうがいいから、他国から送り返されないよう、あえて言わないのだ。
北谷正人は日本国籍を持ち、パスポートがある。パスポートには狩人である事は書いてないが、要注意人物として、日本に戻って来た時には必ずチェックを受けるはずだ。その後、警察と北谷正人を管理している守人組織との両方に連絡をする。その管理体制にミスが起こったのか、それとも。
「…内通者が居るか、か」
「北谷さんの帰国を隠して、何か得でもありますか?」
「狙うとしたら、北谷正人が持って帰ったはずの薬だろうな」
「…見つかったと言う狩人の遺体は、本当に北谷さんだったのでしょうか。他の狩人に免許証を持たせた可能性もありますよね」
「その可能性も高いな」
北谷正人が殺されたのであれば、持っていたはずの薬を奪う目的だった可能性が高い。そうであれば、山に埋めたという行為は理にかなう。ただし、殺した狩人が『自分が薬を所持している』ことを知られて困るような場面は、少ないように思う。他の狩人に知られないようこっそり殺したなら、尚更だ。
北谷正人が狩人を殺し、それを自分であるかのように見せかけたのだとすれば、北谷正人には隠さなければならない何かがあったという事になる。その場合も、北谷正人が死んでいると思わせたいので山にわざわざ埋める理由はないのだが、昨今遺伝子検査の技術が発達しているので、肉が残れば北谷正人ではないと分かると思ったか…。『協力者』である北谷は、自分の血液を組織に提供している。その遺伝子細胞と死体の細胞が一致するかどうか、だが…。
実際の話、骨があれば検査はできる。ただ、狩人は人間とは遺伝子情報が異なるし、体が変化すれば細胞も遺伝子も変化すると言われている。
その辺りの調査結果が出るのは、まだ時間がかかるだろうな。
北谷正人の部屋を出、俺は次の目的地へと向かった。
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