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仁哉編10

 ネットカフェで泊まるのは危険だ。  個室にはなっているが、パーティに参加していた連中が待ち構える可能性もある。香水の男が俺を売る可能性もないわけではない。  結局隣の市まで車を走らせ、適当な駐車場に停めて寝る事にした。既に東の空が白んでいる時間だ。  仮眠になってしまったが、昼前には体を起こして車を動かす。    ナンバープレートを変更した方がいいと男は言ったが、車ごと乗り換えたほうが早い。  この県には、周囲の県の中では最も大きい守人組織がある。そこから暖簾分けして出来た組織のひとつが、俺がかつて所属していた守人組織だ。組織同士横のつながりがあるから、俺が車の乗り換えをしたいと話に行っても、すぐに対応をしてくれた。 「あぁ…『パーティ』の連中か」  買い取った車に荷物を積み替えていると、初老の男が一人近付いて来る。 「よく逃げれたな。リーダー格の狩人は、トップクラスだが」  ブラックリストに載っている狩人にはランクがあるのだが、トップクラスと言うことは上位ランクだという事だ。 「災害級ですか?」 「鬼王ほどではないが、人間を懐柔し自分の組織を作っているのが厄介だ。我々は宴王と呼んでいる。以前はもう少し北にいたのだが、少しずつ南下しているな。君が仕事をしている県にも来るんじゃないか?」 「迷惑ですね」 「宴王は本人の能力も高いが、奴には協力的な狩人がいる。パーティ中に遭遇すれば逃げ延びることは不可能。過去には警察と組んで大規模な作戦を決行したこともあったが…宴王を斃すことは出来なかった。他の狩人は斃せたがね。代償として25人の守人が死に、100人近い負傷者が出た」  その事件は、俺も聞いたことがあった。  俺がまだ組織に属していた頃の話だ。守人が28人参戦するというかなり大規模な作戦だったが、25人が死亡。残る3人も守人の仕事を続けることは出来なかったと聞いている。作戦は山中で行われ、重火器まで投入されたという噂だが、何がその時起こっていたのかは分からない。  主目的である『上位ランク狩人の殲滅』が果たされなかった時点で、その作戦は成功とは言い難かった。そう伝わっているだけだ。 「俺が会った狩人は…少し若いように感じました。まだ20代前半に見える男でしたが」  身体能力は、若いほうが高い。それは狩人も同じだ。  だが狩人の強さは身体能力だけに限定されない。歳を取った狩人は修羅場を搔い潜って来たこともあって、基本的には強い。そう言われている。 「…宴王は40歳前後だったはずだ。そうか。また他の狩人を使役しているのだな。…何にせよ、情報を持ち帰ってくれたことは助かった。君の車は有効活用させてもらおう」 「俺も助かりました。ありがとうございます」  礼を言うと、男は何度か頷いた。彼はこの組織の支部長だ。『パーティ』を行う狩人達を追っている立場でもある。今後は彼らに入手した情報を報告したほうがいいだろう。    連絡先を交換し、この県で追っている狩人の情報を何件か聞き、俺のほうからも北谷正人について情報が無いか確認してから、この組織の敷地を出た。  既に時刻は日没間近だ。昨日行った温泉地に向かっても良かったが、今日も平日ではない。何かと迷惑だろう。  それに、今日は新しい情報を得ている。  北谷正人が、他の狩人と接触していた可能性だ。   話によると、動向をマークしていた狩人に、新顔の狩人が近付いていたらしい。それは12月20日の出来事だったが、その日以降、新顔の狩人を見る事は無かったようだ。  組織の守人がマークしていた狩人は繁華街で獲物を狩るタイプだから、人が集まる所に現れる。  何箇所か狩場としている場所があって、駅で物色をする事も多いらしい。基本的には単独で行動するのだが、とにかく逃げ足が速くなかなか捕まえられずにいるという話だった。    休日の夜に人が多く出入りする駅は、限られている。  繁華街の近くの駅駐車場に車を停め、駅の外にあった時計台の下で周囲を確認した。  夜の闇を明るく照らす町の光の中、人々は賑わいを求めて駅を出入りしている。駅へと入っていく人数よりは、出て行く数のほうが多い。それを眺めていると、駅へと続く道を歩いていた人物が一人、俺のほうへと歩いて来た。 「お兄さん、1人?」  まだ若い男だ。昨日の『パーティ』の中には居なかった顔だが、多少警戒してその男を眺める。 「スーツ着てるし、ホストやってる?」  黒の上下を着てはいたが、狩人に守人と分からないよう、ネクタイは締めていない。上着のボタンも外して中にチェック柄のシャツを着ていたから、遊びで着ていると思われたのか。 「ホストはしていない。…待ち合わせしているんだ」  話しながらも狩人が通らないかどうかを確認する。夜の闇の中で狩人の目はひと際輝くから、分かりやすい。 「何だ。お客さん待ちか。残念。まだ売れてないなら買いたかったな」 「…ん?」  通りを眺めていた目を、目の前に立つ男に移す。  何の話だ? 「あれ?売り専してるよね?」 「…何を…」  その男が何を言っているか理解はできなかったが、何となく思い当たる物がある気がした。  だが、丁度駅から出てきた男の双眸が明るく輝いているのを見て、俺はその若い男の傍を離れる。 「ごめん。人が来た」  一応そう伝えて、俺は狩人のほうへと歩いて行く。  狩人は駅から出ると壁際にある茂みの傍に立ち、通りを行く人々へ視線を送った。だがその目が近付く俺のほうへと向けられる。 「…チッ」  目が合った瞬間、男の体は明らかに強張った。まだ捕まえる事が出来るほど距離を詰めていない。思わず舌打ちしたが歩みを速めて近付く。 「…貴方に用がある」  その狩人は、怯えているようにも見えた。まだ夜は深くないが、逃げようと思えば逃げる事が出来たはずだ。ただ俺が歩み寄るのを眺めているだけのその態度には、違和感がある。 「…何ですか」  狩人の目は、爛々と輝いていた。その目だけを見ていると今にも飛び掛かって来そうなのだが。 「話が聞きたい。場所を移せるか?」 「…ここでいいですか」  狩人が、獲物である人間を前に、狩りやすい場所へ移動しようとしないのも不思議な話だ。不特定な人間が多い場所で狩るのは正気を失った狩人だけだろう。  逃げ足が速いという事だったから、慎重で臆病な性格なのかもしれない。それなら怯えているのも納得できる。 「この男と会った事はあるか?」  スマホに保存しておいた北谷正人の写真を見せると、男はそれを見て首を傾げた。 「…この人が、何か?」 「この男の行方を捜している」 「…何か、したんですか?」 「まだ分かっていない」 「…この辺りでは、見たことが無いと…思います。僕は、余り他の人とは…会わないので」 「そうか」  スマホをポケットに戻すと、男の視線は再び俺の顔に向けられる。  この距離なら捕まえる事が出来そうだが、周囲に人が多すぎた。いざとなれば簡単に人間を盾にできる程度には人の往来がある。 「一応、言っておくが…」 「はい。今日は帰ります」  狩人は、俺が警告をする前に軽く頭を下げた。 「…貴方の邪魔はしません」 「…邪魔?」 「…それから、可峨に桐の名を持つ方がいます。この辺りの情報を…全部知っていると思います。だから、お探しの男についても…知っているかもしれません」  可峨は地名だ。この県の中で最も人口が多い、中心的な市の名前なのだが。 「それでは、失礼します」  男はお辞儀して、駅の中へと去って行った。  狩人に、このような丁寧な態度を取られたことは無い。  勿論、友好的な狩人の中には、俺を守人と知って、敵では無い事を示そうと丁寧な態度を取る者もいたが、今日初めて会った狩人だ。しかも、獲物を求めてやって来た所で遭遇した。  訊きもしない情報を話し、狩場を去る事は有り得ない。    そう。  あるとすれば…。    俺はすぐにその場を立ち去った。  駅から少し離れた所にあったコンビニに入り、トイレの傍に設置された洗面台の前にある鏡を、見る。 「…」  照明が照らし出す鏡の中に、男が一人立っていた。  黒いスーツにチェック柄のシャツを合わせている姿は、自分が思っていたより似合っていない。ホストがどんな恰好をしているのか知らないが、カジュアル過ぎる。    とっさに服に視線を向けたのは、鏡を見た瞬間に、理解したからだ。    目に。  宿る、光。    それはまだ微弱な物だったけれど。    どう見ても、狩人の目だった。

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