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仁哉編19
「…移植…?」
涼しいクーラーの効いた部屋で、桂はよく分からないと言う顔をして俺を見ていた。
桂は大人しい少年だ。あまり自己主張をせず、周囲に従って生きるような男だった。華奢で運動が苦手で穏やかな性格。俺の兄を思わせる部分もあって、俺は桂を気にかけていた。
俺がその中学3年のクラスに転校してきたのは、5月だ。俺にとって中学3年という年は2回目になる。
俺は14歳から15歳までの間の8ヶ月ほどを、特殊な施設で過ごした。それは、15歳になる直前に狂暴化した兄と同様、狩人として覚醒する可能性が高かったからだ。15歳を過ぎても変化が無かった俺は、改めて中学3年のクラスに編入された。
桂も、兄を失った子供だった。桂の場合は、15歳になる前に兄が病死している。
狩人になる人間にはある特徴があった。
それは、人間である間は体が弱いということだ。
学校にまともに通えないほど病弱な子供もいれば、風邪を引きやすく学校をよく休む…程度で済む子供もいる。
狩人になる人間は、鬼の因子を持っていた。つまり、鬼となる遺伝子を持っている。その遺伝子が二次性徴時に活性化して狩人になると言われているが、15歳という年に目覚める理由は分かっていない。この鬼の因子に肉体が耐えられなければ、その人間は鬼になる前に死ぬ。
桂は病弱というほどでは無かったが、幼少時から熱を出しやすかったそうだ。体を鍛えるために習わされた水泳も、長くは続かなかった。なかなか体力が付かないとぼやいていた記憶がある。
桂は、クラスメイトの一人だった。特別仲が良かったわけではない。
だが、夏休みに入る直前、初めて彼から相談を受けた。
「…クロは、楠木先生が叔父さんなんだよね?」
楠木啓志。俺の父親の弟である彼は、医師でもあり研究者でもある。
狩人にならないよう鬼の因子の活性化を抑える薬は、彼のチームが開発した。だがこの時はまだ開発中だったと思う。
桂が叔父を知っていたのは、彼の兄の主治医だったかららしい。今は診察医の仕事はしていない叔父だが、当時は金稼ぎの目的もあったのか、病院でも働いていた。
「…聞いたんだ。クロのお兄ちゃんは、狩人になってしまったんだ、って」
「…あのクソジジイ。死ね」
「叔父さんになんてこと言うんだよ」
「あんなクソ親戚いらねぇ」
「…僕も、狩人になるのかも」
ぽつりと呟いた桂は、下を向いた。
「この前、病院に行ったんだ。血液検査…あって。いつも、血を見るのがキライで…見ないようにしてるんだけど。注射器の中に…血が。…見てしまって。それで…」
彼の話は結論までなかなか辿りつかなかったが、血を見てゾクゾクとしたという話だった。帰りにたまたま輸血用の点滴袋も見てしまったことで、血を欲する自分に気付いた桂は、それを誰にも言えずに黙っていた。
「楠木先生が言ってたんだ。…狩人になる人は、その前に血が水に見えるようになるんだ、って…。クロのお兄ちゃんもそうだったんだ、って…。だから、鬼にならず死ねた、僕の兄ちゃんは…きっと、幸せだったんだ、って…」
目に涙をためて悲しむ桂を、俺は怒っても良かったんだと思う。
確かに俺の兄は苦しんだだろう。だが解放された気分は味わっただろう。桂の兄が幸せだと感じていたはずがない。病気で死ぬことが幸せだなんて、言いたくない。
「狩人になんて…なりたくないよ。僕も、このまま死んでしまえたら…」
「考えよう」
同じ中学3年生ではあったが、実際の俺は高校1年の年だ。1歳違いの気弱な桂を、弟のように感じていたのかもしれない。
「お前、いつ誕生日なんだ?」
「10月…」
「自覚してすぐに狩人になるわけじゃないって言ってた。だから、まだ時間はあると思う」
『あなたがこの先、誰かを救いたいと思ったなら、その時は…』
母が残した言葉が、俺の中に突き刺さって抜けないトゲのようになっていた。
『鬼になる前に、救ってあげなさい』
それは、兄を救えなかった、母の願いだ。祈りだ。でも、俺の願いでもある。
誰でも良かったんだ。桂を救いたかったわけではない。
ただ、俺が救えるのなら、誰かを救いたかった。
俺の血が。
救えると言うのなら。
俺の血には特殊な力がある。
俺の体を散々研究対象にしていた叔父に頼み込んで、桂を救うために俺の血を使いたいと話した。
母が兄を救うために、自分の血をどうやって使ったのかは知らない。何となく、飲ませるとかそういう事なんだろうと思っていたが。
「移植だな」
叔父はしばらく考えた後に、そう言った。
「血液の型が合っていないと難しいが、人間と狩人では血液の種類も異なる部分がある。成功すれば他にも応用が効くが…どうだろうな。過去に各国で人間の骨髄を移植する試験は行われていたが、成功例は無い」
「狩人になってからじゃ遅いと思うけど」
「人間の間に行った例もある。鬼の因子の活性化は防げない。それが今の科学の限界だ」
「母さんは、癒やすって言ってたんだ。昔、成功したことがあったんじゃないかな。だから、試してみたい」
母は、兄を癒やすと言った。救うと言った。
人間に戻すとは言っていない。母が想定していた結果が何だったのかは分からないが、覚醒時の暴走を抑える為の話だったのではないかという気がしている。
だから、桂に移植の話をした。
クーラーのよく効いた俺の部屋で、桂はよくわからないという顔をする。
「だから…一回血液検査して、色々調べて、それからって話だけど。親とか…お前は、いる?」
「いる…けど…」
「だったら親の許可とかいるから、病院に一回来てもらえって言ってた」
「親に…僕が狩人になるって話、するの?」
桂は怯えた顔をしていた。家族にも友達にも知られるのは怖いだろう。その気持ちは分からないでもない。
「そこはごまかすらしい。お前の兄みたいに病気見つかったとか、そういう話になるらしい」
「そっか…」
「お前が…狩人にならないかどうかは、分からないけど。でも、俺の血は特別らしいから。何かは変わるんじゃないかなって気がする」
「…いいの?クロが…そこまでしてくれて」
「たまたま、お前が狩人になるかもしれなくて、俺には何とかできるかもしれないから、やるだけだ。狩人なんて居ない世界のほうがいいに決まってる。これが成功したら、狩人がいない世界になれるかもしれないだろ」
狩人になりそうな人間を片っ端から殺して行けばいい。そう考える場所も、世界のどこかにはあるんだろう。
けど、生み出さない方法を探すほうが、気持ちは楽になれる。今は無理でも、将来的に成功するかもしれない。その可能性を俺も持っているなら、やらない理由はなかった。
そうして夏休み終盤のある日。
その手術は行われたのだ。
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