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第68話
「梓さん、一人暮らしするんですか?」
夏目さんが俺と志乃の会話を聞いていたようで、そう聞いてきた。
「えっと···はい。記憶戻ったんで···って、俺が記憶無いの知ってました?」
「志乃さんから聞いていました。記憶戻って良かったですね」
「はい」
何故かありがとうの五文字が言えない。
いつもならすっと出る言葉なのに。
「大学もまた行かれるんですよね。明日からですか?」
「はい。久しぶりだからちょっと緊張しちゃうなぁ···」
「大丈夫ですよ。梓さんは素敵ですもん。すぐにお友達も前と同じ距離感を持って接してくれるようになります」
夏目さんは、俺にとって嬉しいことを言ってくれている。その筈なのに、どうしてだろう。すごく胸の中がモヤモヤして、苦しい。
「梓さん?」
「ぁ···いえ、あの···ごめんなさい」
「え?」
「俺···ちょっとトイレ」
逃げるようにトイレに行って、用を足す。
早速今日、不動産会社に行こう。その前に親父さんのところに行って···
トイレから出て寝室に行きパーカーを羽織った。よし、と体に力を入れてリビングに行く。
志乃は夏目さんと話していて、それを遮るように声を出した。
「親父さんのところ行ってくる」
「は?···あ、おい!待て梓!」
靴を履いて家を飛び出す。行き方は何となく知っている。だって眞宮組は有名だし、前に一度行ったことがあるから。
ふらふらと迷いながらも、暫く歩くと厳つい見たことのある門が現れた。
その前でふらふらと立ち往生していると、門の端にあったドアから男の人が出てくる。
「おい、お前誰だ」
「···佐倉梓です。あの···親父さんはいますか」
「佐倉梓···ああ、梓さんでしたか。申し訳ありません。親父は中にいます、どうぞ」
男の人に連れられて中に入る。
そのまま親父さんの部屋の前に来て、男の人が中に向かい声をかけると低い声が返ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ドアを開けて待ってくれている男の人に頭を下げて、部屋の中に入る。
「梓、どうした」
「···あの、えっと、おはようございます」
「ああ、おはよう」
志乃と同じようなオーラに空気を纏っているのに、優しく笑ってくれているからだろうか、怖くない。
「あの···俺、記憶思い出しました。」
「···そうか。その話を志乃には?」
「しました。思い出したから、出て行くって」
「家は決まったのか?」
親父さんは特別驚くこともなく、そう聞いてくる。俺は正直に左右に首を振った。
「眞宮組が所有してるマンションがある。そこの部屋をお前にやるから、暫くはそこで暮らせ。」
「でも、迷惑じゃ···」
「そんな訳ねえだろ。大丈夫だ、お前は俺の可愛い甥なんだからな。もっと甘えろ」
頭を撫でられる。一瞬、昨日思い出した記憶と重なって殴られるんじゃないかと思ったけれど、親父さんはそういうことをしない人だってわかっている。気付かれないように小さく息を吐いた。
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