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第85話

志乃は俺を横抱きにし、俺は志乃の胸辺りの服を掴んで、トイレから出る。 トイレを出たところには会ったことのない人が立っていて、建物を出ると俺と志乃が濡れないように傘を指してくれる。 そんな俺たちを、学生はじっと遠目から見ていた。 「志乃···」 「寝てていい。疲れただろ。」 「でも···音が、怖い」 「さっきも言っただろ。俺の声だけを聞いてろ。」 車に乗り、志乃は俺を膝に乗せたまま。 運転手さんに「出せ」と言って車は発車する。 「雨の何が嫌なんだ。前に憂鬱になるとは言っていたけど、ここまではならなかっただろ。」 「······記憶を、思い出しちゃったから、かな」 目に溜まっていた涙がポロリと落ちる。 それを志乃が拭ってくれて、その手に甘えるように頬をすり寄せる。 「お前、もう俺に怒ってないのか?」 「···今は怒ってない。」 志乃の心音を聞きながら、目を閉じる。少し疲れた。 志乃の温かい手が俺を撫でて、それを感じながら眠りに落ちる。 *** 目を開けると見慣れた天井で、ここは志乃の家だとすぐにわかった。 起き上がってリビングに行くと志乃がいて、まだ昼なのにカーテンが全部閉められている。 そんなリビングでソファーに座りテレビを見ていた志乃。 「志乃」 「ん、起きたか」 「カーテン、何で閉めてるの?」 「···雨が怖いんだろ」 志乃は俺の方に体ごと顔を向け「もう大丈夫か?」と聞いてきて、それにゆっくり頷いた。 「さっき天気予報見たら暫くは雨だ。雨が止むまでここにいろ」 「···うん」 「まだ本調子じゃねえだろ、休んでろ」 「···志乃」 「あ?」 何も考えないで名前を呼んだから、なんて言えばいいのかわからなくて、でも俺を迎えに来てくれたことと、ここにいていいって言ってくれたことは嬉しかった。 「···ありがとう」 「お前、素直になったな」 「前からだよ!」 「はいはい。···俺もお前に言いたいことがある」 じっと志乃を見つめる。それは夏目さんの事なのだろうか。 「夏目のことだ。お前は誤解してる」 「誤解?」 「見たんだろ。俺と夏目が···してるところ」 そう聞かれ、思わず唇を噛む。 あれを見てしまったショックは、未だに消えていない。

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