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もう一つの… 2

「あ〜あ、くっそつまんないの。⋯なんでいつもは居ないくせに⋯」 「⋯⋯おい、やめとけって。治してもらったんだろ?」 普段から生徒のサボり場として教師不在のまま使用されていた保健室の中には珍しく先生が居て、事務作業か何かをしていた様だった。空いたドアの音に気付いて近付いて来てくれている先生の姿を見るやいなや、ぶすっ、と不機嫌に膨らむ夕の頬。 何がそんなに不満なのか、手当をしてもらってる間も始終不機嫌で、全てを終えて外に出た瞬間に始まる先生に対しての愚痴。中に居る先生に聞こえるだろ、と軽く小突きながら、グチグチと止まらない不満を聞き流す。 「アキがやってくれないと意味無いじゃん。⋯⋯他の人だったら、⋯⋯どうでもいい」 「⋯⋯どうでも良くは無いだろ。俺がやるより綺麗にやって貰ってんじゃん。」 「そんなの関係ないし」 「⋯あっ、馬鹿!!⋯お前さぁ〜⋯⋯」 あくまでも夕を気遣う為に告げた言葉は、逆にその機嫌を損ねてしまったのらしい。 丁寧に貼られた額の絆創膏をベリっ、と剥がしてしまった夕の行動に気付いた頃には時すでに遅く、そのまま窓の外に投げ捨てられてしまったそれを視線で追うことしか出来なかった。 「アキのため、なのに⋯⋯⋯」 「⋯⋯何が?」 「別に、なんでもない。」 『俺のため』、あまりにも身に覚えのないその言葉に疑問を抱き緩く首を傾げるが、再び、ツン、とした態度ではぐらかされてしまう。 ⋯⋯訳が分からねえ。 夕の言葉や態度の意図が理解出来ず、コロコロと変わる機嫌に振り回されてしまっていて。 ──ドンッ。 突然、俺の前を歩いていた夕が突然立ち止まった事でその動きに反応出来ず、その背中に顔面からぶつかってしまう。 「⋯⋯っ、止まるなら言えよな。⋯何、急に」 「アキさぁ、俺と⋯⋯イケない事してみない?」 「⋯⋯っは?」 ──目の前の夕は、またニコニコとご機嫌に笑っている。 さっきの不満は何処に行ったんだよ。 俺の返事を待たずとも、腕を引かれて戻る場所とは真逆の方向にずんずんと突き進んでいく夕の後ろ姿を必死に追い掛ける。 廊下を進んで突き当たりを曲がり、そして階段を登って1階から2階、3階⋯⋯そして辿り着いた先には屋上に繋がる扉が一つが目の前に存在していた。 「ここね、いつも鍵が閉まってて開かないの。だけどね、ちょっと裏技があって⋯⋯」 ドアの前まで近付けば、そこには『使用禁止』と書かれた札がドアに掛けられていて、しっかり施錠されている。その存在だけは知っていたが、普段から近付く様な場所でも無ければ何気に初めて来る場所でもあった。 何やらガチャガチャ⋯⋯と夕が鍵穴に何かを差し込みながらドアノブを捻って何かを確かめる様に、ドアに聞き耳を立てている。 ──そしてしばらくすると、『ガチャリ』と簡単に鍵は開かれてしまった。 ドアを押して外に出る夕の後に続いて屋上に足を踏み入れると、俺の全身を冷えた風が通り抜けていく。 ⋯流石に寒いな。 ジャージのポケットに手を突っ込んで、寒さから逃れるように肩を竦めながら改めて周囲を見渡してみる。 目の前に広がる光景は見慣れた筈の景色なのに新鮮で、知ってる筈のに知らない場所だと不思議な感覚を覚える。 思ってたよりも綺麗に整備されている分、何だか広く感じてしまう。 「ここね、時々俺達みたいに授業サボって寝てる人とか居るんだけど⋯⋯今日は流石に居ないか。」 「⋯こんな所で寝てたら凍えんじゃねえの?」 「確かにねえ〜。寒くなって来たら余計に来る人は減っちゃうのかね」 寝る場所に丁度良い場所でもあるのか、物陰を覗き込んだ夕が、誰も居ない。と再び戻って来る。 他にも細々と説明してくれる夕の話を聞きながら、その後を着いて歩いて居れば、再び、急に立ち止まった夕の背にまたしてもぶつかってしまう。 「ちょっと〜、なんかアキって結構どんくさいよね」 「⋯お前に1番言われたくない言葉だわ。」 「ちゃんと前見てよね!⋯⋯で、え〜っと⋯⋯ここなんだけどさぁ⋯」 ⋯まあ、俺も俺で初めての場所が物珍しく、前後の確認を怠ってた事位は、自分でも理解している。だからこそ夕の言葉に対してふつふつと怒りが湧いてしまえば、ジロリ、と睨み付けるが、当の本人は目の前のフェンスに夢中で何も聞いていない様だった。 「何してんの?」 「いや〜?⋯あ!此処だ。」 しばらくフェンスの向こう側を眺めていた夕が、見つけた!と徐に目の前のフェンスをよじ登る様に足を掛けて上がっていく姿に、ドキッと血の気が引いてしまう。 「っおい⋯!何、してんだ馬鹿、危ねえだろ!!」 慌ててその後ろ姿に近付き背後からジャージの襟元を掴んでフェンスから引き剥がしてしまえば、逆に、俺以上に驚いた表情を浮かべている夕と視線が合う。 「⋯な、に⋯⋯ビックリした。⋯⋯別に大丈夫だって」 「何も大丈夫じゃねえだろ。⋯そっから落ちたらどうすんだお前。助けられるもんも助からねえだろ」 「⋯あ、あぁ。なるほど⋯違うよアキ。そこの下、ちゃんと降りても大丈夫な場所だから」 夕の指さす方に視線を向けてみれば、⋯確かに。 フェンスを乗り越えた先にはもう一段、下に繋がる広めのスペースがあって、そこがお気に入りだと嬉しそうに語っている。 ⋯にしても、心臓に悪いわ馬鹿。 普段から落ち着きが無く、危なっかしい夕の事。 それでも手を滑らせて落ちてしまうのでは無いかと気が気では無かったが、そんな心配を他所に手馴れた様にフェンスを乗り越えて先に降りた夕が、「おーい」とフェンス越しに俺に向かって手を振っている。

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