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ふたつの雪だるま 18

濡れた髪からポトポト、と雫が流れ落ちていく。 軽く済ませる筈だった二度目の風呂。身体だけ洗ってさっさと出る。そう伝えた直後に普段の癖で頭上から豪快にシャワーを被ってしまった事で不思議そうな視線を向けていた夕の顔が、ふとぼんやり脳内に浮かび上がる。 乾かす事も綺麗に拭きあげる事も面倒で、適当に水気を拭っただけの頭にタオルを乗せて結局リビングまでやって来てしまったが、その途中で戸棚から取り出した救急箱を膝の上に乗せたまま、ソファーの上でぼんやりと箱を眺める。 人の傷口の手当には慣れているが、それが自分となれば話は変わってくる。 シャワー中でもその飛沫が傷口に当たる度に走る痛みや、ボディーソープは更に沁みて億劫だと何度も身体を洗う手が止まってしまう。それは夕も同様だった様で、互いに唸りながらシャワーを浴びる異様な光景だったと思い返すだけでも再び傷口が疼いてしまう。 仕方無い、と気合いを入れ直し、それでも手当の準備を進めるにはダラダラと気乗りのしない手元でゆったりと消毒液や絆創膏を取り出し側に並べて。 全てが揃った事を確認して居れば、ペタペタと風呂場から出て来る足音。ちらり、と視線を向ける事で夕の存在を視界に捉えるが、俺の姿を確認した直後に再び脱衣所まで戻ってしまう事で、すぐに消えてしまった。 再び姿を現した夕の手にドライヤーが握られている事を知れば、なるほど、とその意図を理解してる間に真っ直ぐに俺の元までやって来ていたのらしい。 目の前にしゃがみ込む様に腰を下ろして覗き込む夕の瞳。その腕がそっと頬に触れては、額から伝い落ちる雫を指先で拭って。 「風邪引いちゃうよ?絶対めんどくさい〜ってそのまま来たでしょ。……しかもちゃんと拭いてないなぁ」 「放ってたらその内乾くだろ。夕みたいに髪が長い訳でもねえし」 「⋯⋯俺よりもアキの方が世話焼かれないといけないんだよねぇ。いつもしっかりしてます〜って顔してるけどぉ」 「…わざと甘ったれて出来ないフリしてるお前よりはマシじゃねえの?世話焼きは俺の心優しい親切心だって、いつ気付くんだろうな」 「ふ〜ん?良いの?俺だってちゃんと知ってるけどねえ。実は運動出来ないとことか、ご飯食えって言う癖に見てない所で自分は全然食べてないじゃん。だからそんなガリガリなっちゃうの。髪も乾かしてないし、……消毒だってまだ出来てないじゃん」 「………うっせえ」 人に自分の事を良く見せる事は簡単に出来てしまう。今までその様に過ごして来た筈だが、一緒に居る時間が増えてしまえばそれこそ段々と気付かれる事も多く、正面から改めてその一つ一つを指摘されてしまえば返す言葉も無く。 ちゃんとやってるけど?そう歯切れの悪い言葉を返すが、今更甘えが嘘だと指摘されても気にならないと腹を括ってる夕には一切響く事の無い言い訳は拾われる訳でも無く、静かに流されてしまう。 「熱かったら教えてね、俺も気に掛ける様にはするけど」 「⋯⋯助かりマス」 ドライヤーをコンセントに差し込んで頭に乗せたままのタオルで手早く髪の水気を拭ってしまえば、手馴れた様に髪を乾かしてくれる目の前の姿。 時々見える夕の気遣いが、わざと隠された本性だと薄々気付いては居たがそれでも見えないフリをして逆に世話を焼く事で、俺の不器用さが隠れる事を知っていた。 ドジな部分は、まあ半分位はただの注意不足なのだろうが、その一面が特別目立つだけで俺よりも夕の方が、出来る事が多い。悔しいが。 俺の気を引くには十分だと悟ったのか、最近は何だか落ち着いた様に見える夕の言動。 きっと互いの利点が上手く噛み合い計画的に出来上がった関係だったのだろうが、それよりももっと深く、複雑な感情が混ざり合っている事も確かで。まあ、結果的にはそれで良かったのだろうとこれ以上思考を続けるには難しく、面倒だと大人しく身を委ねる事にしては夕の柔らかな指先の感覚にそっと瞳を伏せて乾き切るのを待ち。 「よし、終わったぁ。これで髪の毛はふわっふわのサラサラです!……消毒もやってあげよっか?俺得意だよ、アキよりも」 「⋯⋯俺の事はどうぞ気にせず、さっさとその口でもどうにかした方が良いんじゃねえの」 「コレ絶対痛いんだよねえ…しばらくご飯食べるの大変そ」 耳許で鳴り響く騒音が止んだ事で目を開ける。最後に撫でる様に俺の毛先に指を通した後、そのまま首筋を通り噛み痕で指を止める感覚に気付けば、膝の上の消毒箱を夕に押し付けて自分の事は自分で。と今回は任せる事にし。 隣に腰を下ろした夕がダラダラと過ごしていた俺とは比較出来ない位スムーズに箱の中から軟膏を取り出したり、手早く準備を始めてしまえばいつまでもうだうだと時を過ごす訳にはいかず。 仕方ない、そう覚悟を決めて消毒液のボトルを手に取れば自分の傷痕と向き合う事にして。 「……ねえ、アキ!まただよ。聞いてる??俺明日の話してるんだけど」 「聞いてる聞いてる。足りない食材買いに行くんだろ?」 「は〜?全然違うし!さっき終わったでしょ、その話は。……あ、分かった。まだそこが痛いんでしょ?アキって案外ヘタレくんだねえ」 「……何、逆にもう痛くねえって事?お前のそれは。不公平過ぎ。もっかい噛んでやるから同じ位痛い思いでもしてろよ」 「げっ、そうやってすぐ人の事噛むの良くないって教えられなかったのぉ?」 消毒を無事終えてやっとベッドに潜り込んだ頃には深夜を示す時間帯。 ヒリヒリと痛む傷痕が気になって仕方無く、明日の予定を楽しそうに語る夕の言葉は半分以上聞き流してただ頷いていた。 のだが、流石に噛み合わない相槌や妙に開く会話の間でそれが何度もバレてしまう。 誤魔化す様に覚えてる範囲で言葉を返す。だが、違う。すぐに否定されてしまえば何度も続く同じ問い掛けに飽きたのか、それとも呆れられたのか。多分後者だろうが。 その理由にも同様に勘付いたのか疑う様に瞳を細めながら告げられる嫌味。 そう言えばコイツは毎回処置後でもケロッと何事も無かったかの様に過ごしていたな。なんて今更その異常性に気付けば、痛覚でさえも回数を重ねてしまえば慣れるものだろうか、試してみるべきだろう。と適当な理由付けで『 ヘタレ』と表現するその言葉に反撃すべく、目の前で横たわる夕に腕を伸ばして頬を挟む様に片手で掴めば顔を寄せる。 が、すぐに押し退けられてしまい眉を寄せるその反応から、確かに痛みは感じているのだと悟る。「やめてよ」とげんなりとした表情で、改めて聞き逃した言葉の続きを諦めた様に続けてくれるその内容に、今度はちゃんと耳を傾ける。

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