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隠し事 15

慌ただしく部屋から出て行ってしまった吉村の後ろ姿を見送った後に残るのは、やけに静かすぎる室内と言葉を無くしたアキと俺の2人だけの空間だった。 アキが力任せにぶん投げた時計を手に取り、ガタン、とサイドテーブルに戻すその音にさえビクリと肩が震え、まるで金縛りかのように俺の身体は完全に動けなくなってしまう。 「⋯⋯で、俺に見られたら何なの?」 「へ、え⋯?なん⋯っの、こと⋯?」 「吉村に言ってたよな?俺にバレたら、なんとか。」 すんごい最悪な聞かれ方をしてしまって居たのらしい。別にアキに見られたらマズイ、とか、⋯⋯まあ実際そんなとこではあったかもしれないけど、何かやましさがあっての言葉では無い事を必死に伝える。 「違っ⋯!!そんな、なんか変な意味とかじゃなくて、アキに見られたら怒られるから止めろ、って言いたかっただけでっ⋯!!」 「だから動くなって言ってんだろ。聞こえなかったのか?」 弁明をする為に咄嗟に起き上がってしまった身体をガッ、と押されて再びベッドの上に戻されてしまえば、静かに「ごめん」と一言、呟くように伝える。 そして、ギシッ⋯と軋むベッドの音と共にアキが俺の元に近づく度に揺れるベッドの振動でさえも、今は恐怖でしか無い。 「⋯⋯お前はこの場に俺が居なかったら、好きにさせてたのか?」 やがて、代わり映えのない天井に視線を向けていた俺の瞳の中に、アキの顔が映る。俺の顔の横に両腕をついて腹部に跨る様に乗ったアキの重みが全身に伝わり、その分ベッドのスプリングが静かに下がっていく。 何かを変に勘違いしてしまったのらしいアキの問いかけはもちろん完全に誤解そのもので、そんな訳はないと首を振り否定をする。 「んなの違うじゃん!!アキが居てもいなくても、駄目な事はだめなの!!」 「例えば?」 「たとえ、ば⋯⋯?⋯こうやって、アキを誤解させちゃう事全部。⋯⋯でしょ?」 「それはそうかもしれないな。⋯後は、ここに傷作んのもな。」 「⋯⋯ッ゛!!⋯ほんっとに、さいあくだよ」 徐に伸ばされたアキの指先が俺の首筋に触れ、忘れかけていた噛み跡に触れられる事でその存在を思い出す。 その瞬間、再び嫌な痛覚がどくどくとそこから生み出されてしまう。 ツッ─⋯⋯と、何度もその傷跡の周りをなぞるようにアキの指先が這っていく感覚に肩を竦めながら、改めて、油断してた俺にも責任がある事を素直に告げる。 「ごめん、なさい。俺も完全に気を抜いちゃってた、から⋯。⋯⋯まだ、怒ってる?」 「お前等ずっとうるせえから全部聞こえてくるんだよ。段々言葉が怪しくなってくし、それで見に行ってみたらこのザマかよ」 「⋯⋯ごめん。」 どうやら俺と吉村の声は綺麗に筒抜けだったのらしい。そりゃ、確かにあんなに加減もなくワーワー騒いでたら聞こえちゃうよな。小さく、消え入る様な声で告げた俺の言葉に対して、アキの雰囲気が少しだけ和らいだような、そんな気がした。 そしていつの間にか俺の瞳に映るアキの表情にはごちゃごちゃと様々な色が混ざり始め、さっきまでの『無』はすっかり無くなっていた。 「⋯なんっか、疲れたわ。もう今日は何もしねえ」 そりゃ、こんな状況じゃ手に着くもんもつかないか。一気に脱力するかのようにばたん、と俺の上に倒れ込んだアキの顔が胸の中に埋まり、そのまま落ち着いてしまった。 「ご苦労さま、お風呂場のとこ1人で頑張ってたんでしょ?」 「⋯⋯別に。」 「えらいえらい。」 そっとアキの柔らかな髪の毛を梳くように撫でてやれば、少しだけその身体がぴくりと震える。そして、俺の手に身を任せるようにアキの身体から更に力が抜けて、その分の重さが俺の体に伝わってくる。 いつだってアキはあったかいんだよなぁ。 「いい加減、そろそろ気付けよ」 「⋯⋯へぇ?なに?」 「別に何も。人の気も知らねえで、いつも自由にやってるよな。お前は。」 「な、なに?なんのこと?」 突然呟かれるように告げられたアキの言葉がすぐには理解できず、俺の頭には疑問符が浮かんでしまう。何か大切な事を訴えかけるような、遠回しな言葉に対して問い掛けてみても一向に返事が返って来ない所か、またアキの機嫌が悪くなってしまったようなそんな雰囲気が伝わってくる。 「俺にも噛ませろよ」 「んっ⋯、何⋯⋯?」 「アイツにやられっぱなしなのが気に食わねえわ」 さっきまでの和やか(?)雰囲気はどこへやら、ガラリ、と空気感がまた変わり、バッ!と起き上がったアキが俺をじろりと睨みつけている。 噛む?⋯何を? ずっと曖昧な会話が続いてしまう事に対して俺の頭は状況把握が中々追いつかずに、更に浮かび上がる疑問符。 やがて、アキの指先が俺の首元の服をガッ、と引き寄せて晒される傷跡。 ⋯⋯あっ、そういう事か。 じゃなくて!! アキの言葉に意味に気付いた瞬間、今まで停止してた俺の思考が一気に動き出す。 そもそも吉村が口付けた場所にアキの唇が触れてしまえば、それはある意味間接キスという形になってしまう。 それだけは絶対にやだ。別にアキに噛まれるのは問題無い。くっっそ痛いけど。 だけどそれ以前の譲れない問題が、俺にはある。 俺の首元に近づくアキの顔を慌ててバッ!と両手で受け止めると、一旦その前に別の条件付きでどうにか出来ないかと交渉を始める。 「ね、ねえっ!!アキ??!ちょっと待って。別に俺の体は好きにしてもらって構わないんだけど、一旦風呂!お風呂に入らせて!」 「あぁ゛?⋯んでだよ。別にお前が汚れてる事とか一々気にしねえよ」 「ちがっ⋯別に汚れてるからとかそんなんじゃないんだけど⋯⋯」 でたでた。アキの乱暴な言葉遣い。 疑問に濁点がついちゃうとこんなにも迫力が増すもんなんだな。 どっかの輩のような言葉遣いに対して思わずぴきっ、と俺の口元が歪んでしまう。 そもそもちゃんと意味が伝わってない事に気づけば、改めてアキと向き合うように視線を戻し、両手でアキの頬を挟み込むように触れてしまえば俺と視線を合わせる。 「吉村の唾液がまだ残ってんじゃん。そんなとこにアキのこの口がくっ付いちゃうのがイヤなの。汚いし。そもそもアキが触るのもやだ。だから、一旦お風呂貸して」 そっと指先でアキの唇をなぞるように触れながら、言葉を伝えていく。そのままアキの顔から手を離して、代わりに服の裾から両手を忍ばせてそっと腹部に触れてみればぴくり、と震えるアキの体。その瞬間、バッ!と俺とアキの距離が離され指先の冷えを指摘されてしまう。 そればかりは仕方ないじゃんね。 「⋯⋯っ、冷てえわ馬鹿。⋯さっさと行け」 「はいはい。じゃあごめんだけど、ちょっと待ってて」 促されるままに身体を起こしてベッドからそのまま降りてしまえば、ついでに部屋着を貸してもらう。整理したばかりのクローゼットの中からガサツに取り出されたそれを受け取れば、早速風呂場に向かっていく。 せっかく片付け頑張ったのに、すぐぐちゃぐちゃにしちゃうんだから⋯⋯。

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