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転校生 11
手馴れた手順で開いたアプリゲーを進めていく。
一度始めてしまえば夢中になれるもんで、ケツの痛みの事なんか一瞬で俺の脳内から消え去り、気が付けば一時間近くの時が経ってしまっていたのらしい。
その間、一切動きの無い夕の存在さえも忘れていた事に気付き、画面を静かに閉じてその姿を確認する為に振り返ってみる。
「⋯⋯そうだよな。」
俺が携帯に触れている間、大体コイツは寝てしまってる事が多い。
何をする訳でも無く俺に身を寄せ、座ってるだけの何が楽しいのかよく分かんねえが、それでもこの時間が幸せだと嬉しそうに笑っていた気がする。
覗き込んだ夕の顔面は相変わらずぐちゃぐちゃで、腫れた目元や鼻周りには血の跡が媚びり付いたままスヤスヤと寝息を立てて寝ている。
なんでコイツの方が被害者ヅラみたいな見た目してんだろうな。
──そろそろ起こすか。
暫くその顔面を眺めた後、夕の肩に触れて身体を揺さぶりながら声を掛けていく。
「おい、そろそろ起きろ」
「⋯⋯、ん⋯」
「風呂に入って来い。顔汚ねえだろ」
普段ならここで「眠たい」だの、「起こさないで」だのと始まる我儘タイムも今回に関してはその片鱗さえ見えず、静かに開いていく夕の瞳に気付けば膝の上から降りてやり、風呂に促す。
俺の言葉を素直に聞き入れて立ち上がった筈、だったが、まだ完全に覚醒してなかったのか覚束無い足取りのまま歩き出したその身体は突然傾き、俺の視線の先から一瞬の内に消えてしまった。
そして続けざまに聞こえてくる鈍い音。
「⋯⋯っ、おい!!」
「だい⋯⋯じょうぶ。大丈夫だから。お風呂行ってきます」
どうやら足元に置かれているリビングテーブルの存在を忘れていたのか、派手に足を掛けて転んでしまったのらしい。
咄嗟に腕を伸ばすも間に合う筈も無く、床に伏せてしまった夕に声を掛けるがゆったりとその身体が起き上がり、再びフラフラと覚束無い足取りで歩き出すその後ろ姿を呆然と見送る事しか出来なかった。
⋯…冷静すぎんだろうが。
普段はある程度甘えという形で取り繕って居るのだろうが、今は多分まともに頭も回んねえんだろうな。
再び静寂に包まれるリビングで1人、為す術なくその場で呆然と立ち尽くす。
風呂は入った。飯は⋯昼の分がまだ腹ん中に残ってる。
後は⋯⋯寝るだけか。
別に今すぐに寝ろと言われても何も問題は無い。朝までぐっすり熟睡出来るだけの自信はある。
……の筈だが、何となく、別に今は良い。
あの状態の夕を放って寝てしまう程俺も酷な人間では無い。
⋯⋯まあ、この重い空気感を作り上げたのは俺なんだけどな。
夕が風呂を上がるまでの暇潰しなんてそう容易く思い浮かぶ筈も無ければ、再びソファーの上にごろんと体を横たえてリモコンを手に取り、適当なチャンネルをテレビに映し出す。
ニュース番組にドラマ、バラエティに⋯料理番組。
強いて言えば、⋯…まあ、、、コレで良いわ。
何となく選んだバラエティ番組にチャンネルを合わせると、それをぼんやりと眺める。
静かな室内に響く無機質な笑い声と、様々な人間から飛び交う言葉の数々。流石の大衆向けに企画された番組の進行は目に留まる内容ばっかで、気付かない内に俺の興味はテレビ番組一直線だった。
「その番組って真顔で見れるものなんだ」
「⋯⋯っ、⋯もう上がったのか」
「⋯長湯する理由も無いしね」
突然機械越しの音声とは異なる声が俺の耳元まで届けば、ビクリと肩が跳ね上がり、高鳴る鼓動を押さえ付ける様に胸元を掴みながら声の方向に視線を向けていく。
──いつの間に。
実際目の前のテレビ番組に夢中になり過ぎていたのか定かでは無いが、風呂上がりの音なんて一切聞こえる事の無いまま、突然掛けられた声でその存在を認める。
心の中の動揺を誤魔化す様に再び目の前のテレビ番組に視線を戻してしまえば、やがて離れた場所から聞こえてくるドライヤーの音の存在を生活音の一部として、意識の中に留めておく。
やがてテレビの賑やかな音に混ざってその存在を主張していたドライヤーの音がカチリ、と止まり、続け樣に俺の所までやって来る夕の姿を視界に捉える。
「アキ、お腹空いてる?」
「別に空いてねえけど」
「そう⋯なるよね。じゃあ俺の聞き方が悪かったかも。今からご飯作るから、そこで待ってて」
「だから要らねえ、って⋯⋯っ、⋯はぁ」
こういう時のコイツは意地が悪い。どんな状況だとしても俺の生活に直結してしまう事には遠慮が無く、断る術も全て奪われてしまう。
俺の言葉が夕に届く事は無く、さっさとキッチンまで向かって行ってしまうその後ろ姿に溜息を漏らす事しか出来なかった。
普段なら機嫌良く飯を作ってるその後ろ姿も、流石に今の状況では大人しく淡々と夕食作りが進められている。
俺に対しての気まずさか、それとも単に集中しているのか定かでは無いが、普段と違う空気感が漂っている事だけはヒシヒシと伝わってくる。
テレビから流れてくるバラエティ番組特有の笑い声と、包丁がまな板を叩く音。リズム良くトントントン、と一定のリズムで刻まれている。
初めの方こそテレビに向けられていた好奇心も今は既に消えてしまい、ただ画面を眺めるだけの暇潰しにもならない空間が永遠と続いていく。
その間にじんわり、と少しづつ広がっていく今日一日の疲労感。
──⋯飯が出来るまで。
僅かな間だけだと軽く閉じた瞳はやがて時が進むと共に、意図せずとも重く、本格的な眠りへと誘われる様にやがて意識を手放してしまっていた。
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