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其ノ参、異

【主要登場人物】 ふゆは 伊丹 【その他登場人物】 ナギ 幻洛 ---------- 爽やかな朝日が部屋を照らし、ふゆはは目を覚ました。 「ん…、あれ…?」 確か、眠れなくて、居間に行って、ナギと話を…。 昨日の出来事を思い出そうと、朝から頭を抱える。 「!」 そこで、そのまま寝てしまっていたことに気付く。 まさか、あのナギが、途中で寝てしまった自分をここまで運んできたのだろうか…? 途端にいたたまれない気持ちになり、ふゆはは急ぎ身支度をする為、布団から飛び出した。 ……… 「あっ…、ナギ…!」 身支度を終え、朝食を食べる為に居間へ向かっていたところ、 玄関先で巡回の任務に出ようとしているナギを見つけた。 ナギはいつものように、変わらぬ表情で無言のままふゆはに振り向いた。 「その…、昨日はごめんなさい。私、いつの間に寝てしまって…。」 自分の失態に、ふゆはは顔を上げられなかった。 「…疲れていたのだから、無理もない…。」 何事もなかったかのように、ナギは淡々と答えた。 「…それより、体調は?」 「えっ?」 ナギの事だから、いつも通り、そのまま任務へ出るかと思い込んでいた為、突然の質問にふゆはは呆気を取られた。 ようやく、ふゆはは下げていた頭を上げる。 「あ、ええ、大丈夫…。」 まだ寝起きだからだろうか。 ぼんやりする頭で辿々しくも、ふゆははなんとか返答した。 「…そうか…、なら、良かった…。」 心配、していた…?ナギが…? 「…、一つ言っておく…。」 ぽかんとするふゆはに、ナギは真っ直ぐ向き合った。 「…結界で外敵から身を守る際、己ではなく、仲間を守る気で立ち向かえ。そうすれば、事はそう難しくないはずだ…。」 「…!」 この言葉が、予想以上にふゆはの心に突き刺さった。 『ナギも、幻洛さんも、劔咲さんも、裂さんも、みんな同じ気持ちでいるはずです。』 『ふゆはさんの事を大切に想う仲間ですから…。』 ふと、ふゆはは昨日の伊丹の言葉を思い出す。 もしかしたら、伊丹が言っていた事は、今ナギが口にした言葉に紐付いているのではないだろうか。 「なっ、ナギ、も…!」 そのまま、任務に出ようと玄関先へ向かうナギを咄嗟に呼び止める。 何故だろうか、気持ちより先に言葉が先駆けてしまったふゆはは、自分自身の行動に戸惑った。 「ナギも、その、…そういう思いで立ち向かっているの…?」 ふゆはは戸惑いながらも、率直に、今自分が聞きたい事を問う。 ナギは再び足を止めた。 「……、そうだな…。」 少し間を開けて、短く返答したナギは、ふゆはに振り向く事なく、そのまま玄関を出て行った。 「あ…。」 取り残されたふゆはは、少々複雑な心境でナギの背を見送った。 ……… 「…ふゆはさん、大丈夫ですか?」 「!」 伊丹の声に、ふゆははハッと我に返った。 「あ、ええ、ごめんなさい…、ちょっと…上の空だった…。」 仕事中だというのに、今日はやけに集中できない。 書かなければならない御朱印の山を目の前に、ふゆはは溜息が漏れる。 「今日も昼過ぎより結界の鍛錬を予定していますが…、やはり、まだ疲れが…?」 いつもより調子の悪そうなふゆはに、向かい側で墨を磨っていた伊丹は心配そうに声をかけた。 「ううん、大丈夫…。むしろその件で考えていたから。」 「…そうでしたか。」 大丈夫、とは言うものの、相変わらず心ここに在らずなふゆはに、伊丹は益々心配になりながらも苦笑いをした。 やはり、彼女が真の一人前になるにはまだまだ時間がかかりそうだ…。 「…ねぇ、伊丹…。」 清々しいほど晴れた外を眺めながら、ぽつり、とふゆはは呟いた。 そよそよと、緩やかな風が書斎を通り抜ける。 「私も、いつか伊丹のような凄い術者になれるのかしら…。」 ふゆはの独り言のような問いが、風と共に流れて伊丹の元に届く。 「フフ、凄い術者だなんて…照れてしまいますね。」 伊丹はその緩やかな風に、擽ったそうに笑う。 磨っていた墨を、そっと硯に横たえた。 「…きっと、きっとなれますよ。勿論、この先も学んでいただくことは多々ありますが。」 それは決して、楽なことではない。 伊丹は、これまで自分が学んできた過程を振り返りながら伝えた。 ふゆははふっと溜息をつく。 「…そう…、覚悟はしているけれど、道のりは長そうね…。」 わかりきっていたものの、改めて自分の師から伝えられると、ふゆははどうしても先の見えない不安に駆られた。 「この道のりに終着点はありません。どんな近道しても、終わりが見える事はありませんから。」 ふゆはと同じように、伊丹も外の景色を見つめていた。 広々と広がる屋敷の庭園。 一本の、立派に育った桜の木。 その下に作られた小洒落た池の水面が、静かに波紋を描いていた。 「それでも、どの道にも通過点というものはあります。まずはそれを目指して、ゆっくり着実に進んでいきましょう。」 吹き抜ける風のように優しく、伊丹は先の見えない道の進み方を伝えた。 「…ええ、ありがとう、伊丹…。」 ふゆはは振り返り、少し安心したような表情で礼を言った。 大丈夫、ふゆはさんは僕のようになることはない。 だから、安心してその道を進んでもらえばいい。 儚い笑みを浮かべながら、伊丹は再び墨を磨り始めた。 ……… 昨日と同じ時間、同じ場所で、同じ鍛錬が始まろうとしていた。 「昨日と同じく、結界生成後、外部の襲撃から三十秒間耐えてもらいます。耐えられれば、今日の件は終了となります。」 「ええ、わかったわ。」 伊丹の顔つきが、師としてのものに変わった。 途端に、彼の隣には昨日の、あの禍々しい姿の怪異が姿を現わす。 ただ、昨日と違うのは、その身体中にまで触手のようなものが這っていたこと、 また、昨日以上に殺気が溢れていたのは一目瞭然だった。 「っ…!」 その形容し難い姿を目の前に、ふゆはは怯んだ。 邪狂霊は、もとより自分と同じく、この世界を生きていた者。 その者が、この世に対する怒り、悲しみ等を抱えながら死を迎えることにより、己自身のしがらみに魂を囚われ、成仏することなく邪に狂った霊として延々と彷徨うことになる。 また、邪狂霊の怨念が強すぎる場合、生前の姿を維持できなくなり、正に”バケモノ”の如く異形へと姿が変わってしまう。 伊丹が言うには、この異形状態になった邪狂霊は、退治をしても成仏できずに消滅するため、どの道をたどっても救われる事がない、と聞いていたが…。 フッと、空気が揺れ動いた。 「!!」 しまった、と思ったときには既に遅かった。 邪狂霊を目の前に、一瞬ながらも気を緩めていた自分をふゆはは呪った。 「ぐ、あっ…!」 あの虫唾の走る忌々しい腕に、ふゆはは脇腹を殴られ、そのまま庭園の先に投げ出された。 「っ…!」 急ぎ体制を立て直す為に起き上がろうとするふゆは。 同時に、邪狂霊は容赦ない速さでふゆはに追撃しようと仕掛けて来る。 「ぐ…!!」 ふゆはは咄嗟に結界を張り、邪狂霊からの追撃に身を守った。 足が震えるものの、このまま三十秒間耐えれば、今日も鍛錬が終わるのだ。 だが、それだけでは許せない。 今日の私は、昨日までの私と違うのだから。 「負け、る、ものかっ…!!」 ふゆはの背後から突然、光り輝く、真っ白で大きな龍が現れる。 「…!?」 これに驚いたのは伊丹だった。 まさか…この状況で十二支の術…!? 十二支の術は、伊丹がふゆはに教えた、一番最初の術だ。 一番最初に教えた術とはいえ、一番簡単な術というわけではない。 この術を繰り出すにも、呼び出す十二支の内の一匹に意識を集中させ、自らの意志と繋がらなくてはならない。 そんなことが、崩れかけた結界を維持する中、この術の発動に機転が利くとは、伊丹は予想だにしなかった。 昨日より、ふゆはの気迫が違うのは一目瞭然だった。 ふゆはの繰り出した龍が、迫り来る邪狂霊に牙を剥きながら反撃を仕掛けた。 触手が生えた邪狂霊の身体に、龍の鋭い牙が深く突き刺さる。 邪狂霊は耳を貫くような叫び声を上げながら、自らを喰らう龍を振り払おうと、激しくのたうち回った。 「はっ…、は…。」 この間、ふゆはには十分すぎる時間と余裕が生まれた。 この鍛錬は、邪狂霊の攻撃から三十秒間、結界を張った状態で耐えなければならない。 故に、邪狂霊そのものを倒すことが目的ではないのだ。 ふゆははゆっくりと息を整え、再び怪異に立ち向かうために、しっかりとした意識で結界を張った。 頃合いと見て、ふゆはは十二支の術を解く。 同時に、ぱりん、と硝子が割れる様に龍は姿を消した。 龍から開放された邪狂霊は、激しく体力を消耗したことにより、蹌踉めきながらも立ち上がろうとしていた。 そして、ふゆはが視界に入った途端、今まで以上の叫び声を上げながら突撃してきた。 「っ…!!」 ガッ!と結界越しに衝突した邪狂霊と立ち向かう。 怒りにより、その触手のようなものが生えた身体は、凄まじく巻き上がっていた。 「っ…!負けて、たまるか!!」 これは自分自身を守るためではない。 今、自分の後ろには、伊丹が、ナギが、みんながいるのだ。 仲間を守るために、眼の前の邪狂霊と立ち向かわなければならないのだ。 そう思いながら、ふゆはは邪狂霊から一切目をそらすことはなかった。 ふゆはの急成長に、伊丹は傍らで黙って見ていた。 ふわっと、邪狂霊が煙のように姿を消した。 今日も、伊丹の言う時間どおり耐えきったのだ。 「はっ…、は…」 夢中で応戦していたふゆはは、そのまま糸が切れたかのように地に膝をついた。 それでも、昨日のように心まで疲弊することはなかった。 「お疲れ様です。よく頑張りましたね。」 昨日と同じ様に、伊丹は優しい笑顔を向けた。 「…、まさか一日でこれほどまで成長するとは…。」 あの状況で十二支の術を繰り出すという判断に、伊丹は素直に驚いてた。 「ん…、ありが、と…。」 荒れる息を整えながら、ふゆはは礼を言った。 「…ナギに、教えてもらったの…。」 「!」 ナギ、という単語に、伊丹は更に驚いた。 本当に、今日は驚くことが沢山ありすぎだ…。 …二度あることは三度ある、なんてことにならなければいいけれども…。 伊丹は独り心の中で失笑していた。 「ナギ、ですか?」 改めて、何故ナギが関与しているのかを質問した。 「仲間を守る気で立ち向かえ、って…。だから私、みんなを守ろうと、その一心で戦ったのだけれど…。」 仲間を守る気で…。 確かに、その心境で敵に立ち向かうのも一つの答えだ。 ただその一言で、彼女がこれほどまで変わるものなのだろうか。 ナギと同じ前線で戦う幻洛さんや裂さんか、ふゆはさんと同じ女性である劔咲さんから聞いた話であれば、ある程度納得はできるが…。 「…あのナギが、ふゆはさんに…。」 「?」 「いえ…、昔から、彼は一匹狼的なところがあるので…、まさかふゆはさんにそんな助言をするだなんて、思いもしなかったんですよ。」 本当に、意外だった。 驚きと意外という気持ちが相混じり、伊丹は思わず素で笑ってしまった。 「フフ…、あの沈黙寡言なナギの心を動かすなんて、ふゆはさんも凄いですね。」 「!?そ、そんな事は…!」 ただ、たまたま、偶然教えてくれたに違いない。 自分はそんなに凄いことはしていない、はずだ。 慌てふためきながらも、ふゆははそう思い込んだ。 「ともかく、今日の鍛錬は花丸をつけたいくらいですよ。本当に、よく頑張りました。」 伊丹は、ふゆはの汚れた巫女服の裾を手ではたき落とした。 「明日から暫く、神社の仕事で術の鍛錬をする時間が取れませんが、今日の感覚をよく覚えておくように。」 「わかったわ。いつもありがとう。」 昨日と同じ様に、師弟は屋敷へ戻る為に足を運んだ。 ただ、その心境は昨日とは異なっていた。 遠くの山で、今日一日この村を照らし続けていた陽が、真っ赤に燃えながらその姿を消そうとしていた。 ……… 日付が変わる頃、伊丹は屋敷から出てすぐ裏手にある、小高い丘にいた。 「…。」 今夜は満月だ。 神々しく輝く黄金の月を見上げながら、今日一日の事を思い出していた。 『私も、いつか伊丹のような凄い術者になれるのかしら…。』 彼女には、これからも様々な術を身につけてもらいたい。 そして、いずれ”親離れ”をしたとしても、この世界を生き抜いてもらいたい。 今日の鍛錬の成果を見れば、案外、その日は近いのかもしれない。 たとえ、僕がいなくても、 「何をしている。」 「!」 突然、背後から声をかけられた伊丹は思わず息を呑んだ。 振り返ると、そこには紺色の長髪を一つに結び上げ、右目が前髪で覆い隠された、背の高い男の姿があった。 「幻洛さん…?」 迂闊だった。 まさか物思いにふけて、この者の存在に気付かなかったとは…。 伊丹は自分の失態に、心の中で舌打ちをした。 幻洛は身体の半分に覚の血が流れている者。 故に、彼は他者の思考を読み取ることができる。 下手に動揺した状態で目が合えば、考え事や悩み事が余すことなく彼に知られるのは言うまでもない。 彼の能力を否定するわけではない。 しかし、伊丹にとっては唯一関わりたくない相手だった。 二度あることは三度ある…、よりにもよって、これがその三度目か…。 「…幻洛さんこそ、こんな時間にどうしました?」 そんな気持ちとは裏腹に、伊丹はいつもの笑顔で幻洛に問いかけた。 「まあ、ただの気晴らしだ。」 先に問いかけていたのは俺の方なのだがな、 そう幻洛は鼻で笑いながら、誰宛にでもなく呟いた。 「そうですか、奇遇ですね。僕も少し気晴らしに出ていまして。…ほら、今夜の満月はとても綺麗でしょう?」 まるで全てを見透かすように輝く黄金の月。 伊丹は再び夜空を見上げながら、他愛の無い世間話を続けた。 そんな伊丹を、幻洛は黙って横から見ていた。 「ふゆはを差し置いてどうするつもりだ。」 不意に出されたその言葉に、伊丹は思わず幻洛の方を向いてしまった。 満月と同じ色で輝く彼の黄金の左目。 青く沈んだ己の深海色の左目。 両者の目が、合ってしまった。 それは本当に一瞬だったが、一瞬ではなかった。 「…お前、」 「さて、僕はそろそろ屋敷に戻りますね。いい気晴らしができました。」 咄嗟に顔を逸らし、何かを言おうとした幻洛に良からぬ予感がした伊丹は、無理矢理話を割り込ませた。 いい気晴らしなど、出来た筈がない。 一番関わりたくない相手と、一対一でいるこの状況。 剰え、一瞬ながら目が合ってしまった伊丹は、非常に居心地が悪かった。 「…幻洛さんも、あまり夜更かしせぬよう…。」 それは決して心配しているのではなく、この場から脱する為の捨て台詞だった。 伊丹はいつも通り、優しい口調でそう言い残し、幻洛の方は一切見ようとせず、足早に屋敷へ戻っていった。 そんな伊丹を、幻洛は追求せずにそのまま黙って見送った。 その金眼には、今後の動きを警戒する思いが込められていた。

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