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其ノ肆、恋
【主要登場人物】
ふゆは ナギ 劔咲
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鍛錬のない晴れた日。
午前中の仕事を終えたふゆはは、屋敷の縁側で休息をしていた。
庭園周辺の竹林から、穏やかな風が吹き抜けてくる。
『あの沈黙寡言なナギの心を動かすなんて、ふゆはさんも凄いですね。』
「はあ…。」
以前、伊丹が発した何気ない言葉に、ふゆはは思い悩んでいた。
本当に、大したことなどしていないはずなのだけれど。
あの日から、何故かナギのことばかりを考えてしまう自分がいた。
相変わらず、仕事中も上の空になってしまう。
考えては溜息をついての繰り返し。
一体、どうしてこんなことに。
「どうした?ふゆはちゃん。そんなところで溜息などついて。」
「劔咲…。」
家事が一段落したのだろう。
劔咲は縁側に座り込むふゆはの隣へ座布団を置き、そこへ腰を下ろした。
劔咲が隣に座るも、ふゆはの頭はナギのことを考えていた。
「……、ナギって…好きな食べ物とかあるのかしら…。」
ふゆはは晴天の空を見上げながら、ぽつりと呟いた。
それは決して質問しているのではなく、なんとなく、呟いてみただけなのだ。
「ナギか?」
突然、ナギの話題を出された劔咲は、返答に悩みつつもふゆはと同じ様に空を見上げた。
「まあ、特別好き嫌いせずに食べているとは思うが…。」
劔咲は、いつもの食卓の風景を思い出しながら、ナギは何を好み、何を好まず食事をしているのかを考えた。
ナギはいつも食べ残しをせず、米も一粒残さず綺麗に平らげる類いだ。
かと言って、好物でありそうなものにがっつく事もなく、おかわりもすることはない。
勿論、他の者とは違い、うまい、まずいといった感想を言うことも一切無いのだ。
正直、彼は食事そのものに関心があるのかも謎であった。
それでも、そんな事すら今や当たり前の光景であり、深く気にしたこともなかったが。
「しかし、どうしてまた急に?しかもナギなんだ?」
話を戻し、何故ふゆはがナギについて、今更ながらの疑問を抱いているのかを聞いた。
「あっ…、いえ、その…、なんでもないの…。」
突然、ふゆはは慌てふためいた。
どこからどう見ても、なんでもないようには見えなかった。
「ほんとに…何でも…、」
消え入りそうな声で、ふゆはは俯く。
「気になるか?」
「…!そんな、ことは…、」
顔を赤くするふゆはに、劔咲の疑惑は確信に変わった。
劔咲は、何気となくふゆはの手を取った。
「自分の気持ちを、無理に否定しなくてもいいんじゃないか?」
私でよければ、聞くぞ?
そう言いながら、ふゆはに笑いかけた。
突然の行動に、ふゆはは思わず口を開けてポカンとした。
本当に、こういう事が難なくできるのが、劔咲の凄いところだ。
「うう…。」
「ハハッ、ふゆはちゃんも女の子だなあ。」
劔咲に手を取られながら、両方の意味で恥ずかしくなったふゆはは益々俯いてしまった。
そんなふゆはが、劔咲には可愛くて仕方がなかった。
自分と違い、本当に、全てが”女の子”であるふゆはが、劔咲には愛おしかったのだ。
「ううう、だって、本当にどうしたら…、」
「…今日は鍛錬はないのか?ふゆは。」
突然、二人の背後から低い声がした。
「!!」
「これはこれは…」
噂をすれば影がさす、とはまさにこの事だろう。
振り返れば、そこには銀髪で相違した色の眼を持つ者、ナギの姿があったのだ。
「…さて、私はそろそろお暇させていただこうか。」
咄嗟に、劔咲は立ち上がり、自身が使っていた座布団を裏返し、ここに座るようナギに促した。
「なっ…!劔咲…!」
置いていかないで〜〜〜!
と、声には出さずとも、精一杯体で表現するふゆはに吹き出しそうになりながら、劔咲は背を向けた。
すれ違いざまに、劔咲はナギの肩を軽く叩いた。
しかし、それがどのような意味を成すのか、ナギにはわからなかった。
「…すまない、邪魔したか?」
劔咲が座っていた位置に、今度はナギが座る。
「…い、いえ…、」
先ほどとは打って変わり、一気に静寂が訪れる。
ふゆはは相変わらず、顔を赤くしながら俯いていた。
沈黙が続いた。
晴天の下でさえずる小鳥の声が、笑っているように聞こえた。
今のふゆはには、この沈黙を破る勇気は毛頭なかった。
「…鍛錬は、うまくやっているか…?」
この沈黙を破ったのはナギだった。
まさか、ナギから沈黙を破るとは思ってもおらず、ふゆはは動揺した。
「え、えぇ、なんとか…、お陰様で…。」
ナギのおかげで気持ちを切り替えることができ、辛い結界の術の鍛錬も、なんとか順調に進んでいた。
故に、きちんとお礼を言わないといけないのに、今のふゆははその顔を見ることが出来なかった。
「…以前、ふゆはが話していた事について考えていた。」
はて、自分は何か言っていただろうか。
動揺する頭で、ふゆはは必死に何を言っていたのかを思い出そうとしていた。
「…皆と同じになれずとも、それに近づくことは出来るだろう、という話だ。」
突然の思わぬ話題に、ふゆはは顔を上げ、期待で目を光らせた。
ナギもナギなりに、きちんと考えていてくれた。
そう思うと、ふゆはは緊張以上に期待が膨らんだ。
「…、正直、実感というものがない。」
期待とは逆の答えに、ふゆはは狐耳を下げてガクッとした。
「…皆に近づこうにも、所詮は鵜の真似をする烏だ、と。」
「そんな、ことは…、」
自分が何気なく発した助言が、思いの外ナギを悩ませてしまっていた。
そして皮肉にも、彼はその答えを見つけることも出来ず、結果的には更に悩ます形となってしまった。
ふゆはは自分の無責任な言動に酷く落ち込んだ。
余計なお世話だ、そう思われてもおかしくない。
「…故に、ふゆはは俺をどう思う。」
「えっ…。」
「…元よりこの村に存在し得ない種族が、今目の前に存在するという現実を。」
落ち込むふゆはに、ナギは問いかけた。
ふゆはの狐耳が、不安と動揺に揺れ動く。
ナギが自分をどう思っているのかはわからない。
逆に自分は、ナギのことを…。
「わ、わたし、は…」
当たり障りのないように。
ふゆはは慎重に、言葉を選びながら発した。
「でも…、その現実が、私には当たり前だから…、その当たり前の現実が、私には幸せだから…。」
不安と緊張に駆られる中、ふゆはは自分の巫女服の裾をギュッと握りながらナギの方を見上げた。
「だから、これからも…、今まで通り一緒にいてほしいの…。」
声が震えた。
それでも、ふゆはは懸命に自分の思いをナギに伝えた。
「そう、か…。」
「…!!」
ほんの僅かに、ナギが動揺した。
その動揺に、ふゆはもハッとした。
懸命に、言葉を選んでいたはずだったが、自分はまた、解釈次第ではとんでもない事を言ってしまったのではないだろうか。
そう思うと、ふゆはは平常心を保てなくなった。
「ちがっ、だから、あのっ、変な意味じゃ、なくてっ…!」
「…変な意味…。」
墓穴を掘った。
完全に、やらかしてしまった。
思わず、ふゆはは自分の服の裾で顔を覆ってしまった。
「その、ナギが思っている以上に、私はナギが大事だから…。」
咄嗟に弁解するも、これもまた、変な意味として捉えられてしまうかもしれない。
嗚呼、自分は、なんて愚かな妖狐なのだろうか。
どうしていつも、伊丹や、劔咲の様に上手く出来ないのだろうか。
「ごめんなさい…、私が変なことを言ってしまったばっかりに…そんな思い悩ませてしまって…。」
大切な人を振り回してばかりの自分に泣きそうになった。
ふゆはは益々、ナギの方を見ることは出来なかった。
「…いや、」
気にするな、とナギは付け加えた。
「…それより、話が出来て良かった。」
そろそろ村の巡回に出る時間なのだろう。
ナギは腰を上げつつ、自身の左手で、落ち込んでいるふゆはの頭を優しく撫でた。
ナギの左手は、自分たちと同じ様に柔らかく、そして暖かかった。
頭の上のその感覚に、思わずふゆはは目頭に涙を溜めながらもナギを見上げた。
久方ぶりに、きちんと見るナギの顔は、いつもと同じで無表情だった。
「…、困り顔も悪くはないが、ふゆはは笑い顔の方が、俺は好きだな。」
「!?」
そう言い残し、ナギはその場から立ち去った。
嵐が去った後のようだった。
今、何が起きたのだろう。
ふゆはが理解するまで、そう時間はかからなかった。
風にせせらぐ葉の音以上に、自身の心の鼓動が騒がしく聞こえた。
………
タラシだ。
彼はきっとタラシなのだ。
だから思い上がるんじゃない、ふゆは。
これは罠なのだ。
「うう…。」
そう思えば思うほど、逆の感情が高ぶり、平静でいられなくなる。
「劔咲…」
「おっと、ふゆはちゃん…。」
ふゆはは、居間で本を読んでいる劔咲の元へ歩み寄った。
先程ふゆはを置いてきぼりにした事に、劔咲は少しばかり詫びの気持ちを感じていた。
「もうわけが分からない…。」
ふゆはは劔咲の前で、困ったようにぺたんと座り込んだ。
…案外、事はそう深刻ではないようだ。
「成る程、そうなると、私もどうすることも出来ないな…。」
ふゆはが一体何に対して困っているのかを聞く前に、その声色と表情で、劔咲は大凡の事態に感づいていた。
「…多分、私…、…!」
咄嗟に、劔咲はふゆはの唇を二本指で差し押さえた。
ふゆはは驚き、目を丸くする。
「この先の言葉は、私ではなく本人に言うべきだろうな。」
劔咲は真っ直ぐ、ふゆはを見つめた。
鮮やかな新緑の色をした眼が、宝石のように光り輝き、ふゆはは思わず見惚れてしまった。
「その時まで、今の気持ちを大切に秘めておけ。」
二重の意味で、ふゆはは呆気にとられてしまった。
「ッハハ、まさかこんなに可愛いふゆはちゃんを見れる日が来ようとはな。今日の晩御飯は赤飯にでもするか?」
「っ…!?か、からかわないでって…!」
漸く、我に返ったふゆはは、劔咲の計画を阻止すべく、ぽかぽかと優しく叩いた。
これ以上、気持ちが舞い上がってしまったら、本当にどうにかなってしまいそうだ。
「ああ、わかっている、わかっているさ。」
勿論、ふゆはの純粋な気持ちを囃し立てるなど冗談だ。
彼女には、女として、汚れのない真っ当な一生を送ってもらいたい。
劔咲は心の中でそう呟いた。
………
あれから、ナギは再び村の巡回に出ていた。
もう一度、ふゆはと対談すれば、あの日の夜から心を覆い続けている靄のようなものが晴れるかもしれない。
そう思っていたのに。
心の靄は、益々濃くなる一方だった。
この感情は、一体なんなのだろうか。
「…わからない…。」
ナギは自問自答するかのように、静かに呟いた。
「なあなあ、いいだろ?」
「や、やめて下さい!困ります!」
ふと、そんな非道徳的なやりとりが聞こえ、ナギは相変わらずの無表情のまま、声の方に顔を向けた。
そこには、ガラの悪い中年の男が、若い女の腕を掴んでどこかへ連れて行こうとしていた。
「やめて下さい!嫌!離して!」
「ヘッヘッ、嫌がる顔もまた最高に…、ん?」
「…離せ…。」
ナギは女を引き離そうと、男の二の腕を掴んだ。
「あ?何だおめぇ?ああ、さてはあの神社の用心棒ってやつか?」
男は酒を飲んでいたのだろう。
泥酔した顔で、ナギをジロリと睨みつけた。
「ヘッ!なぁにが離せだ!おめぇの方こそ離し…ぐあっ!?」
ナギは掴んでいた手に、より一層の力を込めた。
「もう一度言う、離せ。」
普段とは違う、そのはっきりとした口調は、少しばかり感情的だった。
左右異なる色の目が、静かに怒り輝く。
掴んだ男の腕からミシミシと骨が泣き叫ぶ。
「痛っ!?いってぇ!!何だコイツ!!うあぁぁぁ!!わぁかったから離せ!!やめてくれ離してくれ!!」
漸く、男は女から手を振りほどいた。
同時に、ナギも男から手を離し、女を庇うように前へ出る。
「クッソ…!!何なんだよコイツ…!!」
男は少しばかり酔いが覚めたのだろう。
そう愚痴を吐きながらも、渋々とその場から立ち去った。
「あの、あのっ、ありがとうございます…!」
助けた女は、ペコペコとナギに頭を下げて礼を言った。
「…当然のことをしたまでだ、礼には及ばない…。」
ナギはいつも通りの口調で、そのまま立ち去ろうとする。
「ま、待って!待ってください!」
女の声に、ナギは足を止め振り向いた。
「あの、万華鏡神社の方、ですよね…?どうか、どうかお礼をさせて下さい…!」
女は悲願するような顔でナギを見上げた。
その目の奥には、感謝以外の感情が揺らいでいた。
しかし、ナギにはその感情が理解できなかった。
「…、言ったはずだ、礼には及ばないと。」
「でも、私…、」
何かを言おうとした女に、ナギは口を挟んだ。
「…俺は、ただ為すべきことを為したまでだ。」
これ以上つきまとわれては、任務に支障が出る。
そう付け加え、女を無理矢理振り払った。
「…そういう事情に、興味はない。」
特別、礼を断る行為を悪いとも思わなかった。
呆然と立ち尽くす女に、ナギはそう言いながら立ち去った。
そういう事情には、興味関心以前に、理解が出来ないのだ。
自分は半魔だ。
失敗作として生まれたことにより、そのような感情を理解することも出来ない。
それはきっと、これからも。
「…これから、も…?」
その理解できない気持ちに、ナギは若干の違和感を感じていた。
その違和感を感じる脳裏には、ふゆはの姿があった。
何故ふゆはの姿が浮かぶのが、その気持ちに疑問を抱きながら、ナギは再び歩み続けた。
その疑問が解明されるまで、そう長くかからない事を、ナギはまだ知らなかった。長くかからない事を、ナギはまだ知らなかった。
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