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其ノ伍、落

【主要登場人物】 ふゆは ナギ 伊丹 *CP* ナギ×ふゆは(NL) ---------- あれから3回ほど月と陽が回った。 その間も、ふゆははナギのことばかりを考えてしまい、時にぼんやりしたり、時に慌てふためいたりと、はたから見れば怪しいにも程がある、挙動不審な生活を送っていた。 その日は土砂降りの雨が降っていた。 あの時のように、初めて結界の術の鍛錬を受けた日のようだった。 こんな日でも、ナギ、幻洛、裂は村の巡回に出ている。 伊丹は仕事の都合で神社へこもり、劔咲は村へ買い出しへ行ったままだ。 自分は、独りで、一体何をやっているのだろう。 生まれつき、身体が弱いこともあり、良く言えば”特別扱い”されてきた。 『…皆と同じではない…。』 ふと、ナギもそんなことを言っていたような気がした。 …みんなと同じになれていないのは、私だって…、 「きゃっ!」 突然、辺り一面がまばゆい光に包まれ、耳を貫くような轟音が鳴り響く。 屋敷の壁が、窓が、震音によりミシミシと揺れ動いた。 近くで落雷があったようだ。 ふゆはは雷が大の苦手で、思わず頭に座布団を被せてしまった。 大嫌いな雷の鳴る中、一人でいるというこの状況が非常に心細かったのだ。 「ナギ…、大丈夫かな…。」 滝の様に打つ豪雨、鳴り響く雷鳴。 ふゆはは居ても立ってもいられず、屋敷の玄関に向かい、引き戸を開けた。 誰か、帰ってこないだろうか。 「…!」 吹き付ける雨風の中、一人の人影がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。 銀髪で、黒の羽織を着た者。 ナギだった。 「あ…、お帰り、なさい…。」 「…。」 この夕立の中、傘もささずに帰ってきたナギの銀髪は、雨に濡れ、ぐっしょりと滴っていた。 それでも、やはり、彼は無口で無表情だった。 「あっ…、ちょっと待ってて。今、何か拭くものを…、…っ!?」 突然、ナギに腕を掴まれた。 そして、ふゆははそのまま引き込まれるように、その魔物の右腕と、ヒト型の左腕の中に収まった。 いつもと同じナギが、いつもと違っていた。 「えっ!?な、なな、ナギッ…!?」 突然の出来事に、ふゆはは混乱した。 その腕から脱しようと必死に藻掻くも、ナギはびくともしなかった。 病弱なふゆはと半魔のナギ、その力の差は歴然としていた。 「…俺は……ふゆは、が………、…。」 いつも以上に、消え入りそうな声で呟くナギ。 最後の方は、聞き取ることすら出来なかった。 その鍛えられた大きな身体が、突然ふゆはにドサッとのしかかってきた。 思わず、ふゆははナギを支えようと、膝を付きながら背に手を回した。 「え…、」 ぬる…、と、ナギの背から、雨以外の濡れた感触があった。 支えていた自身の手は、真っ赤に濡れていた。 大量の、血だ。 「嫌……、いやあああああっ!!!」 ふゆはの叫び声が、雷鳴の様に貫き、響き渡る。 「嫌…!!嫌!!たすけ、たすけ、て!!助けて!!伊丹助けて!!」 恥や矜持など、そんなものは無に等しかった。 恐慌しながら、ふゆはは必死に助けを求め、叫び続けた。 「…!ナギッ…!」 ふゆはの叫びを聞きつけ、屋敷に付属する神社にいた伊丹が駆けつけた。 血に塗れ倒れているナギの姿に、伊丹は顔をしかめた。 「ナギを部屋へ!急ぎ手当を!」 後に続いてきたヒト型の式神に、伊丹は精悍に指示を出す。 「ふゆは様、後は我々にお任せください。」 そう言いながら、式神たちは気を失っているナギを抱え、部屋へ連れて行った。 「…嫌、いやあっ…!!伊丹…!!ナギがっ…!!ナギ、が…!!」 伊丹にしがみつきながら、ふゆはは錯乱し、体を震わせていた。 手についたナギの血が、伊丹の白い狩衣を赤く染めた。 「…びっくりしましたね、ふゆはさん。後は僕の式神たちが手当をしてくれますから。僕たちも、部屋に戻りましょう?ね?」 よしよし、と伊丹は宥めるように、恐慌するふゆはを抱きながら、その藤色の頭を撫でた。 玄関が、ナギが歩いてきた道が、鮮血で真っ赤に染まっていた。 ……… ナギは治療を終え、駆けつけた式神たちも、それぞれ元居た場所へ戻っていった。 ナギは静かに眠っていた。 あれだけの大怪我をすれば当たり前ではあろうが、眠るナギの姿を見るのが初めてだったふゆはは、心配そうな顔でその傍らに座っていた。 「…それにしても、今回は随分と派手にやられたものですね…。」 誰宛にでもなく、伊丹はナギを見下ろしながら一人呟いた。 「どうして…、どうしてそんなに冷静でいられるの…。」 仕方のない様な言い草に、ふゆはは疑問を抱いた。 「ああ、ふゆはさんには、まだ伝えていませんでしたね。」 伊丹はふゆはの隣に座り、話を続けた。 「ご存知の通り、ナギは身体の半分が魔物で構成された、通称”半魔”と呼ばれる生き物です。…僕も、詳細はわかりませんが、その特殊な力で身体が構成されている事により、彼は僕ら以上の治癒力、生命力、寿命を兼ね備えているようです。」 深海の色をした伊丹の左目は、眠るナギを見据えていた。 「この光景を見るのは2度目ですが、当時は僕も、相当驚かされましたよ。」 当時の慌てふためく自分を思い出したのか、伊丹は苦笑いをした。 「ナギ曰く、こうなっても時間が経てば治る故、手当をする必要もないと言っていましたが…、それでも、心配になってしまいますよね。」 「…。」 自分たち以上の治癒力、生命力、寿命を持つ者。 そして、欠けた彼の感情。 魔物とは、一体何だのだろう。 状況が読めないふゆはは、少しばかり放心していた。 「…さて、僕はそろそろ神社の方に行きますね。思わず書類を投げてきてしまったもので、式神たちが混乱しているかもしれません。」 ハッと、ふゆはは我に返った。 「…!ご、ごめん、なさい…、私…。」 「いいのですよ、とにかく、ふゆはさんも無事で良かったです。」 この場を後にしようと、立ち上がる伊丹。 ふと、ふゆははその赤く染まった裾が目に入った。 「そ、その裾も…。」 「ああ、これですか?これくらい、落とす方法はいくらでもありますから、大丈夫ですよ。」 ナギのものではあるものの、血に汚れた自分の師。 その光景に、ふゆはは何故か背が凍った。 「何かあったら、式神越しでもいいので呼んでくださいね。」 伊丹はいつもの笑顔をふゆはに向け、そのまま立ち去った。 ……… 「…。」 ナギが目を覚ました頃、周囲は既に暗くなっていた。 あれほど激しく振り続けていた夕立も、その存在すら無かったかのように静まり返っていた。 強制的に眠る、という思考が働いたのは、いつぶりだろうか。 そして自分は、どれだけ眠っていたのだろう。 ナギは目を覚まし、その負傷した身体を起こそうとする。 「っ…、」 体格の良い背に、鈍い雷撃のようなものが走った。 久方ぶりに、はっきりと感じる”痛み”という感覚に、ナギは顔を歪めた。 「…、ん、なぎ…?」 自身が横たわる布団の脇から、か細い声が聞こえた。 藤色の頭が、むくりと起き上がる。 「ごめんなさい…、私、また寝てしまって…。」 眠そうにこする目の下は、少しばかり腫れているように見えた。 泣いて、いたのだろうか。 「その…、背中、大丈夫…?」 あれだけ深い傷を負っていながらも、今や普通に起き上がり、動かすことが出来ている。 伊丹の言う通り、ナギの治癒力は自分たち以上に高いものだと、ふゆはも理解した。 「…ああ、…、驚かせてすまなかった…。」 無意識に、ナギは左手でふゆはの顔に手を添え、その腫れた目元を親指で触れた。 ふゆはは微かに肩を震わせた。 「…異形の邪狂霊だった…。」 「えっ…」 それは以前、ナギが助けた、あの女だった。 女はあの後、自分の想いを捨て去ったナギに恋い焦がれ続け、いつしかその想いが制御出来なくなり、生きる意味を失い、自ら命を絶った。 その恋は怒りへと化け、柵に囚われた魂は成仏することが出来ず、強すぎる想いに異形の邪狂霊へと成り果て、ナギを襲撃したのだ。 ナギは、その女が持っていた鉈により背中を深く負傷した。 ナギは負傷しながらも、”女だった”邪狂霊に真っ向から立ち向かい、その魂ごと無に還した。 異形となった邪狂霊は、一層の危険性がある。 故に、事が悪化する前に、一刻も早く事を成さねばならない。 非常に厄介な怪異現象だ。 「…そう、だったの…。」 ナギが遭った出来事を聞き、ふゆはは己の巫女服の裾をギュッと握った。 「…ただ、ふゆはに、会いたかった…。」 「…!」 頬に感じる、ナギの左手の感触。 そして、魔物として輝く赤紫の右目と、青空のように輝く水色の左目。 「…俺は、あの邪狂霊に成り果てた女の気持ちが理解できなかった。ただ、その思いを理解しようと思えば思うほど、女ではなく、ふゆはの事を考えていたことに気がついた。」 ふゆはは全てが捕らえられていた。 「…この気持を、どのような言葉で表現したらいいのか、俺はわからない。」 そういうナギの表情は、少しばかり悲しそうに見えた。 「…ただ、もう少し、ふゆはに近づきたい。…この気持は、ふゆはには迷惑か?」 不安そうに、ふゆはの気持ちを伺うナギ。 普段から口数が少ない上に、常に無表情で何を考えているのかわからなく、 そのくせ言うことは直球で心に突き刺さる言葉ばかり… そんなナギの事が、ふゆはは少し苦手だった。 …苦手だった、はずなのに。 彼はこんなにも、失われた感情で他者の心を理解しようと尽力していたのだ。 「…だ、大丈夫…、わ、…たしも…、…ナギが、好きだから…。」 たまらず、ふゆはの目から涙がこぼれ落ちる。 それは先程感じていた恐怖ではなく、愛おしさによるものだった。 「…成る程、心の底から相手を想う”好き”というのは、こういう感情なのだな…。」 フッ、とナギから声が溢れた。 本当に、一瞬だけ、ナギが笑った。 その一瞬が、ふゆはにはとても長い時間目に写っていたような気がした。 完全に、見惚れていた。 「っ…!」 ナギはふゆはの頭を抱え、半魔で構成された身体に、その細く脆い身体を引き寄せる。 「俺は、ふゆはが好きだ。だから、その生命を、ふゆはを守らせてほしい。」 はっきりと、自分の意志を刻むように、ナギは抱え込んだふゆはの頭に顔を寄せながら伝えた。 その半魔の身体からは、少しばかり早く打つ鼓動が聞こえた。 「う、ん…。」 目尻から涙を零しながら、ふゆはは頷き、その大きな背に小さな手を回した。 その背の傷は、既に跡形もなく塞がっていた。 「…それから…。」 ふと、思い出したかのようにナギは言った。 「…あまり軽率に、男の前で寝るべきではない。」 「!?」 まさかの言葉に、ふゆはは顔を真っ赤にした。 あのナギも、そんな事を考えるのだろうか。 「…伊丹の前でなら大丈夫だろうが、その無防備な寝顔は、少々警戒物だ。」 「き、気をつける、わ…。」 いつも通りの直球な物言いのナギに、顔を真赤にしながら、思わずふゆはは敬語になってしまった。 今までは、あまり深く考えていなかったけれど、これからは、そういう事情にも注意しなければならない。 ふゆははそう肝に銘じた。 ……… 「…そうですか…。」 時は子の刻。 ナギは、先の件を伝えるべく、ふゆはの師であり親代わりでもある伊丹の自室に居た。 「…気を悪くさせてしまったならば詫びる。ただ、それでも、俺はふゆはを何よりも大切にしたい。」 初めて見る、ナギのしっかりとした表現に、伊丹は驚いていた。 まさか、自分の愛弟子が、ナギの心をこれ程まで動かしたとは。 「ええ、わかっています。…まさかふゆはさんが、ナギを、ね…。」 それは想定外であり、想定内でもあった。 ふゆはも、一人の女性だ。 いずれは誰かと恋に落ち、その者の元へ行く日が来るであろう。 そんなことは、元より覚悟していた。 ただ、その相手がまさか、自分と古くから親しく、今や家族同然とも言えるナギだったとは。 「…いいでしょう。…僕はナギの事を、信用していますから。」 むしろ、相手がナギで良かったのかもしれない。 伊丹は心の中で、そう自分に言い聞かせた。 「…ただし、今回の件のように、僕の大切なふゆはさんを悲しませたり、泣かせでもしたら、例えナギでも容赦することは出来ませんので。」 そこンとこ、夜露死苦お願いしますね…? と、伊丹は綺麗な顔を傾けながら、真っ黒な笑顔をナギに向けた。 正直、今日出会った怪異以上に、身の危険を感じたナギであった。 「…すなわち、怪異の相手をする時は、決して無理をしないことです。」 伊丹は真剣な面持ちで伝えた。 「貴方は半魔という特異体質上、一人で戦うことに慣れているかもしれません。が、事が悪化する前に、必ず、幻洛さんや裂さんにも知らせるようにして下さい。」 その為に、皆さんには護符を持たせているのですから。 伊丹はそう付け加えた。 「僕たちは、仲間であり、家族でもあるのですから…。忘れないように。」 真剣な面持ちから一変、伊丹は少し困ったように微笑みながら、ナギに伝えた。 「…ああ、わかった…。…すまなかった…。」 ナギは素直に、今回起こった怪異の件を謝った。 仲間であり、家族でもある。 あたり前で、近すぎて、見失っていた答えだった。 皆に近づくどころか、ナギは、元より皆と同じ場所に居たのだ。 その事に、漸く気付かされたナギは、心の中で何かが揺れ動いた気がした。 「ふゆはさんのこと、頼みますよ。ナギ。」 伊丹は優しく、ひたむきに伝えた。 「わかった。」 ナギははっきりと、そう言葉を返した。 その相違する色の眼は、伊丹も知らなかった程、誠実な想いで満ち溢れていた。 ……… ナギが部屋から去り、伊丹は浴衣に着替え、寝支度をしていた。 普段、一つで結っている柳緑色の髪は解かれ、艶々と宝石のように煌めいていた。 その姿は、男である性を疑いたくなるような姿だった。 ふと、伊丹は嵐の去った夜空を自室から見上げる。 あの日の夜とは違い、月は半分ほどに欠け、その輝きも半減していた。 「フフッ…、我ながら、自分で自分の首を絞める言葉だったなあ…。」 伊丹は自分で自分を嘲弄した。 その深海の色をした左目は、月よりも鈍い輝きをしていた。 ふゆはさんがナギを選ぶのは、こちらとしても好都合だった。 彼のその特異体質であれば、この先も、僕以上に、確実にふゆはさんを守り続けることが出来る。 ふゆはさんがナギを選び、ナギがふゆはさんを選んで、本当に良かった。 大丈夫、ナギなら、この先もふゆはさんを幸せに出来る。 僕がふゆはさんに出来ないことを、ナギなら、あの半魔という特性を持つ彼なら、出来るはずだ。 「…ふゆはさん…、…ごめんなさい…。」 これで、これで良かったんだ。 もう、思い残すことは何もないんだ。 そう思いながら、伊丹はそっと目を閉じ、眠りについた。

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