5 / 26
其ノ伍、落
【主要登場人物】
ふゆは ナギ 伊丹
*CP*
ナギ×ふゆは(NL)
----------
あれから3回ほど月と陽が回った。
その間も、ふゆははナギのことばかりを考えてしまい、時にぼんやりしたり、時に慌てふためいたりと、はたから見れば怪しいにも程がある、挙動不審な生活を送っていた。
その日は土砂降りの雨が降っていた。
あの時のように、初めて結界の術の鍛錬を受けた日のようだった。
こんな日でも、ナギ、幻洛、裂は村の巡回に出ている。
伊丹は仕事の都合で神社へこもり、劔咲は村へ買い出しへ行ったままだ。
自分は、独りで、一体何をやっているのだろう。
生まれつき、身体が弱いこともあり、良く言えば”特別扱い”されてきた。
『…皆と同じではない…。』
ふと、ナギもそんなことを言っていたような気がした。
…みんなと同じになれていないのは、私だって…、
「きゃっ!」
突然、辺り一面がまばゆい光に包まれ、耳を貫くような轟音が鳴り響く。
屋敷の壁が、窓が、震音によりミシミシと揺れ動いた。
近くで落雷があったようだ。
ふゆはは雷が大の苦手で、思わず頭に座布団を被せてしまった。
大嫌いな雷の鳴る中、一人でいるというこの状況が非常に心細かったのだ。
「ナギ…、大丈夫かな…。」
滝の様に打つ豪雨、鳴り響く雷鳴。
ふゆはは居ても立ってもいられず、屋敷の玄関に向かい、引き戸を開けた。
誰か、帰ってこないだろうか。
「…!」
吹き付ける雨風の中、一人の人影がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
銀髪で、黒の羽織を着た者。
ナギだった。
「あ…、お帰り、なさい…。」
「…。」
この夕立の中、傘もささずに帰ってきたナギの銀髪は、雨に濡れ、ぐっしょりと滴っていた。
それでも、やはり、彼は無口で無表情だった。
「あっ…、ちょっと待ってて。今、何か拭くものを…、…っ!?」
突然、ナギに腕を掴まれた。
そして、ふゆははそのまま引き込まれるように、その魔物の右腕と、ヒト型の左腕の中に収まった。
いつもと同じナギが、いつもと違っていた。
「えっ!?な、なな、ナギッ…!?」
突然の出来事に、ふゆはは混乱した。
その腕から脱しようと必死に藻掻くも、ナギはびくともしなかった。
病弱なふゆはと半魔のナギ、その力の差は歴然としていた。
「…俺は……ふゆは、が………、…。」
いつも以上に、消え入りそうな声で呟くナギ。
最後の方は、聞き取ることすら出来なかった。
その鍛えられた大きな身体が、突然ふゆはにドサッとのしかかってきた。
思わず、ふゆははナギを支えようと、膝を付きながら背に手を回した。
「え…、」
ぬる…、と、ナギの背から、雨以外の濡れた感触があった。
支えていた自身の手は、真っ赤に濡れていた。
大量の、血だ。
「嫌……、いやあああああっ!!!」
ふゆはの叫び声が、雷鳴の様に貫き、響き渡る。
「嫌…!!嫌!!たすけ、たすけ、て!!助けて!!伊丹助けて!!」
恥や矜持など、そんなものは無に等しかった。
恐慌しながら、ふゆはは必死に助けを求め、叫び続けた。
「…!ナギッ…!」
ふゆはの叫びを聞きつけ、屋敷に付属する神社にいた伊丹が駆けつけた。
血に塗れ倒れているナギの姿に、伊丹は顔をしかめた。
「ナギを部屋へ!急ぎ手当を!」
後に続いてきたヒト型の式神に、伊丹は精悍に指示を出す。
「ふゆは様、後は我々にお任せください。」
そう言いながら、式神たちは気を失っているナギを抱え、部屋へ連れて行った。
「…嫌、いやあっ…!!伊丹…!!ナギがっ…!!ナギ、が…!!」
伊丹にしがみつきながら、ふゆはは錯乱し、体を震わせていた。
手についたナギの血が、伊丹の白い狩衣を赤く染めた。
「…びっくりしましたね、ふゆはさん。後は僕の式神たちが手当をしてくれますから。僕たちも、部屋に戻りましょう?ね?」
よしよし、と伊丹は宥めるように、恐慌するふゆはを抱きながら、その藤色の頭を撫でた。
玄関が、ナギが歩いてきた道が、鮮血で真っ赤に染まっていた。
………
ナギは治療を終え、駆けつけた式神たちも、それぞれ元居た場所へ戻っていった。
ナギは静かに眠っていた。
あれだけの大怪我をすれば当たり前ではあろうが、眠るナギの姿を見るのが初めてだったふゆはは、心配そうな顔でその傍らに座っていた。
「…それにしても、今回は随分と派手にやられたものですね…。」
誰宛にでもなく、伊丹はナギを見下ろしながら一人呟いた。
「どうして…、どうしてそんなに冷静でいられるの…。」
仕方のない様な言い草に、ふゆはは疑問を抱いた。
「ああ、ふゆはさんには、まだ伝えていませんでしたね。」
伊丹はふゆはの隣に座り、話を続けた。
「ご存知の通り、ナギは身体の半分が魔物で構成された、通称”半魔”と呼ばれる生き物です。…僕も、詳細はわかりませんが、その特殊な力で身体が構成されている事により、彼は僕ら以上の治癒力、生命力、寿命を兼ね備えているようです。」
深海の色をした伊丹の左目は、眠るナギを見据えていた。
「この光景を見るのは2度目ですが、当時は僕も、相当驚かされましたよ。」
当時の慌てふためく自分を思い出したのか、伊丹は苦笑いをした。
「ナギ曰く、こうなっても時間が経てば治る故、手当をする必要もないと言っていましたが…、それでも、心配になってしまいますよね。」
「…。」
自分たち以上の治癒力、生命力、寿命を持つ者。
そして、欠けた彼の感情。
魔物とは、一体何だのだろう。
状況が読めないふゆはは、少しばかり放心していた。
「…さて、僕はそろそろ神社の方に行きますね。思わず書類を投げてきてしまったもので、式神たちが混乱しているかもしれません。」
ハッと、ふゆはは我に返った。
「…!ご、ごめん、なさい…、私…。」
「いいのですよ、とにかく、ふゆはさんも無事で良かったです。」
この場を後にしようと、立ち上がる伊丹。
ふと、ふゆははその赤く染まった裾が目に入った。
「そ、その裾も…。」
「ああ、これですか?これくらい、落とす方法はいくらでもありますから、大丈夫ですよ。」
ナギのものではあるものの、血に汚れた自分の師。
その光景に、ふゆはは何故か背が凍った。
「何かあったら、式神越しでもいいので呼んでくださいね。」
伊丹はいつもの笑顔をふゆはに向け、そのまま立ち去った。
………
「…。」
ナギが目を覚ました頃、周囲は既に暗くなっていた。
あれほど激しく振り続けていた夕立も、その存在すら無かったかのように静まり返っていた。
強制的に眠る、という思考が働いたのは、いつぶりだろうか。
そして自分は、どれだけ眠っていたのだろう。
ナギは目を覚まし、その負傷した身体を起こそうとする。
「っ…、」
体格の良い背に、鈍い雷撃のようなものが走った。
久方ぶりに、はっきりと感じる”痛み”という感覚に、ナギは顔を歪めた。
「…、ん、なぎ…?」
自身が横たわる布団の脇から、か細い声が聞こえた。
藤色の頭が、むくりと起き上がる。
「ごめんなさい…、私、また寝てしまって…。」
眠そうにこする目の下は、少しばかり腫れているように見えた。
泣いて、いたのだろうか。
「その…、背中、大丈夫…?」
あれだけ深い傷を負っていながらも、今や普通に起き上がり、動かすことが出来ている。
伊丹の言う通り、ナギの治癒力は自分たち以上に高いものだと、ふゆはも理解した。
「…ああ、…、驚かせてすまなかった…。」
無意識に、ナギは左手でふゆはの顔に手を添え、その腫れた目元を親指で触れた。
ふゆはは微かに肩を震わせた。
「…異形の邪狂霊だった…。」
「えっ…」
それは以前、ナギが助けた、あの女だった。
女はあの後、自分の想いを捨て去ったナギに恋い焦がれ続け、いつしかその想いが制御出来なくなり、生きる意味を失い、自ら命を絶った。
その恋は怒りへと化け、柵に囚われた魂は成仏することが出来ず、強すぎる想いに異形の邪狂霊へと成り果て、ナギを襲撃したのだ。
ナギは、その女が持っていた鉈により背中を深く負傷した。
ナギは負傷しながらも、”女だった”邪狂霊に真っ向から立ち向かい、その魂ごと無に還した。
異形となった邪狂霊は、一層の危険性がある。
故に、事が悪化する前に、一刻も早く事を成さねばならない。
非常に厄介な怪異現象だ。
「…そう、だったの…。」
ナギが遭った出来事を聞き、ふゆはは己の巫女服の裾をギュッと握った。
「…ただ、ふゆはに、会いたかった…。」
「…!」
頬に感じる、ナギの左手の感触。
そして、魔物として輝く赤紫の右目と、青空のように輝く水色の左目。
「…俺は、あの邪狂霊に成り果てた女の気持ちが理解できなかった。ただ、その思いを理解しようと思えば思うほど、女ではなく、ふゆはの事を考えていたことに気がついた。」
ふゆはは全てが捕らえられていた。
「…この気持を、どのような言葉で表現したらいいのか、俺はわからない。」
そういうナギの表情は、少しばかり悲しそうに見えた。
「…ただ、もう少し、ふゆはに近づきたい。…この気持は、ふゆはには迷惑か?」
不安そうに、ふゆはの気持ちを伺うナギ。
普段から口数が少ない上に、常に無表情で何を考えているのかわからなく、
そのくせ言うことは直球で心に突き刺さる言葉ばかり…
そんなナギの事が、ふゆはは少し苦手だった。
…苦手だった、はずなのに。
彼はこんなにも、失われた感情で他者の心を理解しようと尽力していたのだ。
「…だ、大丈夫…、わ、…たしも…、…ナギが、好きだから…。」
たまらず、ふゆはの目から涙がこぼれ落ちる。
それは先程感じていた恐怖ではなく、愛おしさによるものだった。
「…成る程、心の底から相手を想う”好き”というのは、こういう感情なのだな…。」
フッ、とナギから声が溢れた。
本当に、一瞬だけ、ナギが笑った。
その一瞬が、ふゆはにはとても長い時間目に写っていたような気がした。
完全に、見惚れていた。
「っ…!」
ナギはふゆはの頭を抱え、半魔で構成された身体に、その細く脆い身体を引き寄せる。
「俺は、ふゆはが好きだ。だから、その生命を、ふゆはを守らせてほしい。」
はっきりと、自分の意志を刻むように、ナギは抱え込んだふゆはの頭に顔を寄せながら伝えた。
その半魔の身体からは、少しばかり早く打つ鼓動が聞こえた。
「う、ん…。」
目尻から涙を零しながら、ふゆはは頷き、その大きな背に小さな手を回した。
その背の傷は、既に跡形もなく塞がっていた。
「…それから…。」
ふと、思い出したかのようにナギは言った。
「…あまり軽率に、男の前で寝るべきではない。」
「!?」
まさかの言葉に、ふゆはは顔を真っ赤にした。
あのナギも、そんな事を考えるのだろうか。
「…伊丹の前でなら大丈夫だろうが、その無防備な寝顔は、少々警戒物だ。」
「き、気をつける、わ…。」
いつも通りの直球な物言いのナギに、顔を真赤にしながら、思わずふゆはは敬語になってしまった。
今までは、あまり深く考えていなかったけれど、これからは、そういう事情にも注意しなければならない。
ふゆははそう肝に銘じた。
………
「…そうですか…。」
時は子の刻。
ナギは、先の件を伝えるべく、ふゆはの師であり親代わりでもある伊丹の自室に居た。
「…気を悪くさせてしまったならば詫びる。ただ、それでも、俺はふゆはを何よりも大切にしたい。」
初めて見る、ナギのしっかりとした表現に、伊丹は驚いていた。
まさか、自分の愛弟子が、ナギの心をこれ程まで動かしたとは。
「ええ、わかっています。…まさかふゆはさんが、ナギを、ね…。」
それは想定外であり、想定内でもあった。
ふゆはも、一人の女性だ。
いずれは誰かと恋に落ち、その者の元へ行く日が来るであろう。
そんなことは、元より覚悟していた。
ただ、その相手がまさか、自分と古くから親しく、今や家族同然とも言えるナギだったとは。
「…いいでしょう。…僕はナギの事を、信用していますから。」
むしろ、相手がナギで良かったのかもしれない。
伊丹は心の中で、そう自分に言い聞かせた。
「…ただし、今回の件のように、僕の大切なふゆはさんを悲しませたり、泣かせでもしたら、例えナギでも容赦することは出来ませんので。」
そこンとこ、夜露死苦お願いしますね…?
と、伊丹は綺麗な顔を傾けながら、真っ黒な笑顔をナギに向けた。
正直、今日出会った怪異以上に、身の危険を感じたナギであった。
「…すなわち、怪異の相手をする時は、決して無理をしないことです。」
伊丹は真剣な面持ちで伝えた。
「貴方は半魔という特異体質上、一人で戦うことに慣れているかもしれません。が、事が悪化する前に、必ず、幻洛さんや裂さんにも知らせるようにして下さい。」
その為に、皆さんには護符を持たせているのですから。
伊丹はそう付け加えた。
「僕たちは、仲間であり、家族でもあるのですから…。忘れないように。」
真剣な面持ちから一変、伊丹は少し困ったように微笑みながら、ナギに伝えた。
「…ああ、わかった…。…すまなかった…。」
ナギは素直に、今回起こった怪異の件を謝った。
仲間であり、家族でもある。
あたり前で、近すぎて、見失っていた答えだった。
皆に近づくどころか、ナギは、元より皆と同じ場所に居たのだ。
その事に、漸く気付かされたナギは、心の中で何かが揺れ動いた気がした。
「ふゆはさんのこと、頼みますよ。ナギ。」
伊丹は優しく、ひたむきに伝えた。
「わかった。」
ナギははっきりと、そう言葉を返した。
その相違する色の眼は、伊丹も知らなかった程、誠実な想いで満ち溢れていた。
………
ナギが部屋から去り、伊丹は浴衣に着替え、寝支度をしていた。
普段、一つで結っている柳緑色の髪は解かれ、艶々と宝石のように煌めいていた。
その姿は、男である性を疑いたくなるような姿だった。
ふと、伊丹は嵐の去った夜空を自室から見上げる。
あの日の夜とは違い、月は半分ほどに欠け、その輝きも半減していた。
「フフッ…、我ながら、自分で自分の首を絞める言葉だったなあ…。」
伊丹は自分で自分を嘲弄した。
その深海の色をした左目は、月よりも鈍い輝きをしていた。
ふゆはさんがナギを選ぶのは、こちらとしても好都合だった。
彼のその特異体質であれば、この先も、僕以上に、確実にふゆはさんを守り続けることが出来る。
ふゆはさんがナギを選び、ナギがふゆはさんを選んで、本当に良かった。
大丈夫、ナギなら、この先もふゆはさんを幸せに出来る。
僕がふゆはさんに出来ないことを、ナギなら、あの半魔という特性を持つ彼なら、出来るはずだ。
「…ふゆはさん…、…ごめんなさい…。」
これで、これで良かったんだ。
もう、思い残すことは何もないんだ。
そう思いながら、伊丹はそっと目を閉じ、眠りについた。
ともだちにシェアしよう!