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今日も朝から蝉が喚いていた。時計の針は午前6時過ぎをさしていて、この時点でも30度近くありそうな気温にうんざりしてしまう。 冷たい水で顔を洗い、朝食を済ませた後は他に用がなければ工房へ向かう。この日も例外ではなかった。 昨日のあれは何だったのだろうか。男同士で、しかも義理の兄にキスをする、昇の常識にそれは含まれない。だからこそあれは夢だったのではないかと、自然とそう思ってしまう。 額から流れる汗を何度も拭いながら、空いた時間に伊月の作った器の絵柄を考える。ただ、その器を見れば自然とあの映像が目の裏側を横切った。 ーー伊月はあの男が好きなんだろうか。 そんな疑問がふと湧いて、瞬く間に思考を支配した。 あの時、キスをしていた時、彼はどんな顔をしていたのか。暗闇に隠れた伊月の顔を思い浮かべながら、昇はひたすら作業を続ける。 伊月は工房には現れなかった。 5時から降り出した雨は、夜の9時を過ぎてもまだやまない。バケツの水をぶちまけたような雨を屋根の下から眺めていたが、どうやら止みそうになかったので傘をさして町の方へと降りていく。 一日中、伊月のことばかりを考えていた。珍しいものを見たという好奇心なのか、はたまたこじれた他人の三角関係がおもしろいのか。そのどちらも見当はずれな感情だと昇は既に気づいて、あえて本心から目を逸らしている。 あいつはもう帰ったんだろうか、俺とはもう会ってくれないんだろうか、そんな女々しい心の声に頭を振りながら、濡れた道を歩いた。 「あ……」 思わず声が出る。進行方向の坂を下って来たのは他ならぬ伊月だった。透明のビニール傘をさしていて、昇に気付かぬまま俯き加減で歩いている。思わず手が伸びてしまいそうになるほど、無防備だ。 また大きく心臓が脈打つ。嬉しいはずなのに声が出ない。それは、少しの気まずさのせいだろう。声が出ないと言うよりは、かける言葉がない、だ。 「……っ」 人の気配を感じて顔を上げた伊月がようやく昇に気づく。息を飲むのと同時に大きく目を見開き、眉根を寄せた。その、こちらまで苦しくなりそうな表情のまま、伊月は足早に昇の横を去っていく。 雨音がうるさい。伊月の声は何も聞こえなかった。それは雨のせいでも何でもないことを、昇は知っている。 「伊月」 気づけば伊月の腕を掴んでいた。傘からはみ出た2人の腕が雨に濡らされていく。ぼたぼたとこぼれ落ちるそれは、誰かが泣いているようだった。 「お前の器、どんなデザインが好きか訊いときたくて。どうせなら、喜んで欲しいし」 自分の行動にすら戸惑っていたが、それでも何とか言葉をつなぐ。嘘でも何でもない気持ちだったからか、すらすらと言葉は出ていった。 こんな必死な姿を見せるのはひどく恥ずかしくて逃げ出したかったが、昇は伊月から目を逸らさなかった。何も言わず去っていく彼の背中を見る方が、ずっと辛いからだ。 ふと、伊月の瞳が揺れる。そう思った直後、雨とは別の雫がそこからこぼれ落ちていった。 「もう、話してくれないと思ってた」 隠そうとも、拭おうともしないまま、伊月が言う。心臓を鷲掴みされたような痛みが走って、昇は唇を噛んだ。 ーーそんなわけないだろ。 心の中でそう叫びながら、無意識に伊月の腕を引く。彼はされるがまま、昇の腕の中に収まった。 視界の隅、手から滑り落ちたビニール傘が地面を転がっていく。

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