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3.孕み腹(1)
「僕が直々にここに来たのは、稀人を捕らえたと情報が入ったからだ。店主、おまえではなく別の伝手からな」
「ご存じで、いらっしゃいましたか。そうとは知らず、失礼いたしました」
「理由は」
「と、申しますと……」
「半年前には既に稀人を希望していたはずだったんだがな。まさか忘れていたとでも?」
顎でしゃくられたガマ蛙は、暑くもないのにだらだらと冷や汗をかいていた。
「いえ、覚えておりましたが、その……入荷した直後、本当にすぐに買い手が決まってしまいまして……」
「どこの家だ」
「バスティン子爵でございます。なんでもご子息様への成人祝いに、と」
「へえ。バスティン子爵よりもチェンバレー家は格下だ、と。ミスターチェンバレーには一報を知らせる時間も惜しかったと。そういうことか」
「め、滅相もございません! わ、わたくしめはただ……」
「ただ?」
「その」
「そうか、わかった。おまえとの関係も見直す時期だな」
「そ、そんな! おっ、お、お待ちください、今お見せ致しますので……!」
檻が開けられた。そろそろと入ってくる腕がびくびくしているのは、前に血が滲むほど噛み付いてやったことがあるからだ。今でもガマ蛙の手の甲にはうっすらと赤い噛み痕が残っている。ざまあみろだ。噛みつきグセがあるというガマ蛙の紹介に嘘偽りはない。もちろんその分激高したガマ蛙に散々殴打されはしたが、そんなことじゃへこたれない。へこたれて、なるものか。
「う、ウぅう、う゛、──ッ!」
「この、暴れるな!」
首をわし掴みにされて強引に檻の外に出される。両手は後ろで固定されているし、足は枷のせいで重く、まともに立ち上がることさえできやしない。膝をつかされた状態で、頭に被せられていた麻袋を剥ぎ取られる。髪の毛が逆立つ勢いだったので、乱れた髪が目の隙間に入ってしぱしぱ痛み、直ぐには開けられなかった。
「確かに髪は黒いな」
「は、はい、見ての通り正真正銘の稀人でございます」
「目の色は」
ぐいっとガマ蛙に顔を上げさせられ、男と視線がかち合った。
そこに立っていたのは、鮮やかな青のコートをまとった、すらっとした体付きのちょっとびっくりするぐらい美しい顔をした青年だった。。背丈があり、一本一本光りを受けてキラキラと輝く白銀の髪は頬にまでかかっていて、少し長めだ。彫りの深い二重と切れ長の目尻が前髪の隙間からのぞき、白い肌は陶器のようにすべらかそうで、髪と同じ色をした眉は目頭から太く伸び、凛々しさがある。
なんというか、全体的に華々しい男だ。レースの刺繍が入ったコートもよく似合っている。ただ全体的にチカチカしているせいか、光りの感じられない赤い瞳だけが異質だ。白いシャツの襟元についているキラキラした赤いブローチと比較してみても──死んだ魚みたいな目してるなこいつ。第一印象はそんなものだった。
「こちらも黒か。病気は」
「ございませんが」
「この世界の言葉は話せるのか」
「ええ、日常生活に差支えの無いほどには話せるようですが……」
「年齢は」
「年齢は、なんとも言えません。血統書も飼育書も存在しておりませんので。ただ、見た目からいって15……いや16歳以上、20未満では、あるかなぁ、と……思うのですが……」
「まあ何歳でもいいか、子が産めるのなら」
青年は20歳そこそこのように見える。忌人は人と比べても骨格が華奢で、そもそも背が低く童顔なので、20、30歳をすぎても10代に見られることがままある。対してリョウヤは、自身の年齢を数えることはもうやめていた。兄は誕生日を祝ってくれたが、兄が死んでしまってからは日々を生きることに必死で、余裕がなかった。
「それにしても不細工な面だな。本当に売り物なのか? これは」
顔が腫れているのは、そこのガマ蛙に暴行されたせいだ。声が出せないので再び唸って抗議すると、眉をひそめた青年は何を思ったのかガマ蛙に新たな指示を出した。
「おい、口枷を外せ」
「は? い、いえあの、この稀人は本当に口が悪く乱暴でございまして、か、噛み付くかもしれませんし」
「いいから外せ」
「は、はい……」
恐る恐る涎にまみれた口枷を外され、ぱっと手を引っ込められた。ぷは、と口内にたまっていた唾液が口の端から零れる。久しぶりに唇が動かせたので、噛み付くの前にまずは言おう言おうと思っていたことを叫んだ。
「汚い手で触んな、ガマ蛙のくせに! はやく池に帰れよ!」
「だっ、誰がガマ蛙だ!」
怒りで顔が真っ赤になったガマ蛙にぐんと髪を引っ張られた。ギリギリと頭皮が軋み、再び赤い瞳と目が合った。火のような色をしているというのに、全く温度が感じられない目だ。
「ぅ、ッ……」
突然、青年に顎の下あたりをわし掴みにされる。キリキリと首に指が食い込んできて苦しかった。
「なるほどな。顔の美醜を抜きにすればいい跡継ぎが産めそうだ」
懸命に首を振れば振るほど力は強まっていく。苦しんでいるというのに乱暴に顎を押し上げられて、値踏みするように鼻、目、髪、耳、首筋、顔のあちこちを覗かれる。ざらざらとした手袋が肌に擦れて痛い。
『っから、触る、な、はなせってば……!』
「……これがあちらの言語というやつか。今こいつはなんと言ったんだ」
「申し訳ございません。私めもまったく聞き取れなくてですね……」
「はなせって、言ってるだろ!」
ぎん、と力の限り睨みつけてやる。
「……ほう」
「あのぅ、旦那様、お気に召して頂けて有難いのですが、先ほども申し上げた通りこれはもう買い手が決まっておりまして」
「未使用か?」
「ああ、はい。調べたところ処女でした。出産経験もございませんが……」
「へえ。なら具合もいい、か」
ぞっとする。経験のない忌人との性交にまさる快楽はない、そんな薄ら寒い侮蔑の言葉は何度も耳にした。この男にとって稀人は人間ですらないのだろう。
気持ちを鼓舞し、相変わらず冷ややかな赤を睨み続ける。
「おい、名前」
「……」
「名前」
「……」
「名前だ」
「何が言いたいんだよ」
「教えろ」
「嫌だね、教えない」
主語述語をちゃんと言え、それで話が通じると思っているなら大間違いだ。べえ、と舌を出した瞬間、バァン、と骨に響くような鈍い音がして、右の頬に痛みが集中した。くらくらと視界が揺らぎ、殴打された内頬が切れ口内に血の味が広がった。重い一撃に倒れそうになるもガマ蛙に支えられ、だらりと項垂れるだけだった。
舌を噛まなかったことは幸いだが、今のはガマ蛙の一撃よりも重く、新しい痛みはだいぶ染みた。
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