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3.孕み腹(2)

「随分と舐めた口を聞くガキだ……おい店主」 「はい、生意気でしょう本当に。捕らえた時からずっとこんな調子でして」 「これを売れ、いくらだ」 「は?」  ガマ蛙よりも、え? とリョウヤの方が狼狽えた。どう見ても気に入ったようには見えない相手の購入を即決するなんて、この男は頭がおかしいんじゃないか。 「で、ですから旦那様、既に買い手が決まっておりますと申し上げましたが。それに、確かに稀人は貴重ではございますが、あと数年ほどお待ちいただければきっとまたどこかで見つかると思います」 「これ以上待つ気はない。それに、これだから購入を決めたんだ」 「な、なぜこの稀人なのですか……?」 「これなら情もわかない」 「ああ! なるほどなるほど」  唇が痺れていたので、納得するな! とリョウヤは心の中で叫んだ。 「あっ、いえいえダメですダメです。理由は十分にわかりましたが」 「ぐだぐだとうるさいな……これでもか」  ガマ蛙が首を横に振る前に青年が懐から紙を取り出した。その紙切れ一枚をひょいっとのぞき込んだガマ蛙はこれ以上ないほどに目を見開き、わなわなと震え出した。飛び出た目玉がそのまま落ちてしまいそうだ。落ちてしまえ。 「こっ、そっ、は、え」 「どうする。バスティン子爵とはうちも懇意にしている。これを僕に譲るというのならば、僕の方から先方と話を付けておこう」 「あ……そ、あの」    その狼狽っぷりを見るに、もしかしなくてもとてつもない金額が書かれているのかもしれない。だが、そんな大金になんの意味があるというのか。リョウヤの行く末が、そんな紙切れ一枚で決められてしまうなんて。   「そ、そういうことでしたら……あの、しかし、ええっと、本来であればこういうことは」 「いいからさっさ切ってこい。でなければこれを破き捨てるぞ」 「はっはい! かしこまりました、少々お待ちくださいませ!」  首がもげそうなほど頷いたガマ蛙は、紙切れをひったくるように受け取ると、短い足でぺたぺたと走り去っていった。支えを失い、上半身が崩れ落ちる。それでもまだ地面に額を擦り付けてはいない。ぐわんぐわんと揺れる頭、今にも途絶えてしまいそうな意識の中、心で叫ぶ。絶対に嫌だ。こんな冷酷そうな青年に買われたら、リョウヤの夢は儚く潰えてしまう。 「話がついたようだからな、先に言っておこう。今この瞬間おまえは僕に買われた。つまりおまえは僕の所有物となった。もちろん対等な関係でもない。抵抗するな、無駄口を叩くな、反論するな。常に大人しくしていろ、決して僕には逆らうな。これまでどんな世界でどう生きてきたのかは知らんが、おまえは僕に物を申せる立場じゃない。わかったな」  今、気付いた。この男、一人称が「僕」だ。いかにも金持ちのお坊ちゃんらしい。  どうしてここまでこの男がリョウヤを買いたがるのか、理由はわかっている。普通、人と忌人との交わりにおいてできた子は忌人として生まれるが、例外がある。  稀人が生んだ子は忌人としてではなく、「人」として生まれる。  そればかりか、性格等に多少の違いはあれど、父親である「人」と見た目がほとんど生き写しの子が生まれるのだ。性別、その他の才能も全てだ。  つまり稀人は、父親の才能を受け継ぐ新しい個体の製造機といってもいい。ここに、孕み腹と呼ばれる所以がある。  それ故に、己と同じ才能を持つ子を欲する者は、忌人なんちゃら法に基づいて稀人を妻とし跡継ぎを生ませ、用済みとなれば離縁し、その後本来妻として迎えるべき令嬢を娶るのだ。  要らなくなった稀人は離縁され捨てられればまだいい方で、人知れず処分されることだって少なくない。そんな稀人の特性を利用した、倫理に背いた商売の話も数多くあると聞く。  稀人は、人にとっての良質な子を生み落とすためだけに使用される、ただの器に他ならない。捕まれば最後、人間としての矜持も、砕かれる。  兄は砕かれた。そして今、リョウヤも。 「安心しろ。もちろんこれはおまえが僕の子を産み落とすまでの関係だ。用済みとなったらさっさと離縁し、どこぞの娼館にでも売り飛ばしてやる。それまでは従順でいろ、気が変われば優しくしてやるかもしれん──返事」 『……、から、主語、じゅつご……ちゃんと言えっての』 「──なに?」 「ぜったい、やだね……おかしいと思ったら、抵抗するし、無駄口叩くし、反論だってするよ」  痛みで出にくい声をなんとか振り絞る。何が優しくするだ、そんなの嘘に決まっている。それは、この男の顔を見ればわかる。   「大人しくも、従順にもなってやらない。あんたの子だって、生んでたまるか……!」  ぺっと唾を吐き捨てる。クソまみれの世界であっても、リョウヤが持つリョウヤらしさだけは絶対に譲れない。頬に付着したリョウヤの血交じりの唾を、青年は不愉快そうに拭い、目を鋭利に細めた。 「その目、気に食わんな」 「ッ……ぐ」  今度は脳天に重さが直撃した。頭を足蹴にされ、ついに地面に顔を伏せてしまった。 「そこにひれ伏せ、稀人風情が」  言われなくとも既にひれ伏している。視界がどんどん狭まり、ついでに手足の末端が痺れて動かせなくなってきた。これはヤバいかもしれない。傷や汚れの1つもない、綺麗に磨かれた青年の革靴に霞がかかる。 「これをさっさと馬車に放り込め。暴れるようだったら任せる、死なない程度に躾けろ」 「承知いたしました」  だからそんなことを承知いたすなと、言いたい。  ふわりとした浮遊感。きっと男の後ろに控えていた従者たちに持ち上げられたのだろう。ただでさえ頭がぐらぐらするというのにさらに気持ちが悪くなった。荷物のように肩に担がれまま左右に揺すられて、吐きそうだ。  周囲からは波のように人が引いていった。誰もリョウヤを助けようとなんてしてくれない。この世界にいる誰もが、リョウヤのような人間が、非人間として扱われているこの状態を当たり前のことだと思い込んでいる。  この世界の普通は、今日も異常だ。  せめて、ガマ蛙に目を付けられたあの美しい少年が、リョウヤを買ったこのクソ男よりもましな人間に買われますように。  ただただ、願うことしかできないけれど。  ──ナギサにいちゃん、俺、がんばるから……傍に、いてね。  薄れゆく意識の中、リョウヤはまぶたの裏に今は亡き優しい兄の微笑みを思い浮かべ、刻みつけた。  

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