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21.マティアス・フランゲル(4)
「アレクと同類の臭いがする。誰かの無駄な努力を影でせせら笑ってそうだ」
「そんなこと……ないよ。ただ、これを読んだのは随分昔のことだからねぇ……ぼんやりとしか覚えてないんだ。でも、すごく面白い本だったよ?」
「そうかな、あんたの面白いって愚かって意味に聞こえるんだけど」
口許は笑みの形を模ってはいるが、マティアスの目はじわじわと細められていった。図星の顔だ。
「アレクの言う愚か者と、響きが全くおんなじだ」
「おい、いい加減にしろ」
礼儀知らずの愚か者に立ち上がりかける。
「いいか、そいつはフランゲル家の次男だ」
「いや、だから誰って」
「フランゲル家は今のエリンヒス領内の貴族で、その家祖は14世紀に遡り西アリアーネ帝国のブルンヒル地方の」
「ごめん、そういうのいいや。言われてもわかんねーし」
そもそも興味ないし、とさらりと失礼なことを付け加えられて結局立ち上がり、睨みつけた。
「貴様はそろそろ謙虚さというものを身に着けろ」
「あんたに謙虚さ発揮してどーすんだよ。まだそのお説教モドキって続く?」
「……、このっ」
埒が明かないと判断したのか、リョウヤはマティアスに矛先を変えた。
「ねえ、そろそろあっちの部屋行ってもいい? 腕痺れてきちゃった」
「あ、そ……うだね、ごめんねぇ」
「いいよ別に。じゃあマティアスもごゆっくり」
執務室から繋がっている隣の部屋へさっさと入っていったリョウヤの後ろ姿を、マティアスと共に見送る。中に入る直前、「あ、そうだ」とくるりとリョウヤが振り向いた。
「そういえば、今朝パンにジャム付けるの許可してくれたよね」
「……は?」
「まだお礼言ってなかったから。ありがとアレク」
言われてみれば数日前の妊娠検査時に、この稀人はまず栄養を取る必要があると専属医に忠告されたので、糖分を取らせるため適当にジャムでも付け加えておけと料理長に告げていたのだ。果物の搾りかすでもいいと。どう伝え聞いたのかは知らないが、曇りなき眼とでも言うのだろうか、そんな目で見つめられて視線の置き場に困る。
「あと前から思ってたんだけど、そんなに眉間にしわ寄せてたら取れなくなっちゃうぜ? 少しは肩の力抜いたら、そこの人みたいに。じゃーね」
後ろ髪を引かれる様子など微塵もなく、ばったんと閉じられた扉。ガタガタと椅子が引かれ、どさどさと重そうな本が無造作に置かれる音も聞こえた。
かれこれ数時間、リョウヤはこうして離れた書斎とここを何度も行き来し、集中力を途切らせることなくせっせと書物を読み漁っていた。書斎の利用は許可しているし、本を読む時は見える所でしろと命じてあるので、こうして隣の部屋を使われるのは別に構わないのだが。
たっぷりと長い時間、それぞれが押し黙る。
なんとも言えない顔でマティアスが振り向いてきた。
情報量があまりにも多すぎて、全てを把握し切れていない様子だった。
「……あのさぁ、アレクシス」
「なんだ」
「うーん…………今の坊やは、なにかな?」
そんなのこっちが聞きたいと思ったのは、二度目だ。ぎしりと椅子の背もたれに体重を預け、天井を仰ぎ目頭を押さえる。今のリョウヤとの会話で、眉間のしわは確実に増えた。
「闇市で買った孕み腹用の稀人だ」
「いや、それはわかるんだけど……ぇ……ええーっと……?」
あんなんだったっけ……? と続けられたが、その質問にははっきりと答えられる。
断じて、あんなんではない、と。
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