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22.密約(1)

 * * *   「あの子そんなこと言ったのかい? ミス・ルディアナに!?」  無遠慮にデスクにひょいと乗り上げ、あっははは! と、腹を抱えて笑い出したマティアスをじっとりと睨む。ここまで声を上げて爆笑している友人も珍しい。それほど愉快だったのだろう。  こっちの苦労も知らないで。 「やめろ。笑い事じゃない」 「いやぁ、ごめんごめん……しかしその一言はミス・ルディアナには酷だったろうなぁ……彼女、結構なイイ子ちゃんだったよねぇ。卒倒はしなかったのかな?」 「卒倒どころじゃない、真っ青な顔でふらふらのまま帰っていった」 「いいねえ。見てみたかったなその場面」 「茶化すな、フォローするのも大変だったんだぞ」  あそこまで理解の範疇を超えた生き物など、この21年間の人生において一度もお目にかかったことがない。こうしてたずねて来た友人に、これまでの経緯を愚痴りたくもなるというものだ。 「バートンにも突っかかっていったとはねぇ、ふふ、いいね。君に啖呵切った場面も見てみたかったよ」 「全く。高い金出して買ったもんがあれとは、僕も運が悪い」 「うーん、むしろ運がよかったんじゃない?」 「……どこがだ」 「だって面白いじゃないか。私だったら毎日可愛がってるねぇ」  噛みつかれて唇が切れたことも切々と説明してやったというのに。 「可愛げの欠片もない生き物代表だぞ、あれは」 「その様子じゃあ子どもが生まれても母親面はしないだろう? 楽でいいじゃないか」  ごく稀に、生まれた子ども可愛さに赤子を攫って逃げようとする忌人がいるらしい。忌人が生んだ子どもは主人の貴重な財産であり収入源にもなるのだから、立派な誘拐であり大罪だ。  だが、マティアスの言う通り見ている限りあれにはそういった感情はなさそうだ。だが、そうだとしても。 「隣の芝生は青く見えるってやつだよアレクシス。だって私の家の忌人たちなんて、あんまりにも個性がなくてぱっとしないんだよ? ご主人様ご主人様ってみーんなブルブル震えてるし。父さんの顧客の性接待に使われた日には、死んだような目になってるし。すぐに壊れる子もいるしね」 「それが普通だ」  隣の部屋で、怯えもせずにせっせと本を読み漁っているあれがおかしいのだ。あれが。  ふう、と徒労感に満ちたため息を吐く。 冷遇しても冷遇しても、リョウヤはへこたれない。このまま冷たくし続けていれば、そのうちリョウヤも他の忌人たちのように従順な奴隷となるだろうか。  いや、あれは手ごわい。何をされても「だから?」みたいな顔で、平然とした態度も崩さず涙1つも流さないに違いない。簡単に想像できてしまう。  それによくよく考えてみれば、これまで一度たりともリョウヤが泣いているのを見たことがない。初めてここに連れてきた日も、雨が降りしきる中振り向いた時もそうだった。   『代わりなんかいない。忌人にも、稀人にも、俺にも──あんたにだってな!』  リョウヤの頬を伝ったのは、ただの雨の雫で。 『それでも俺は、人間だよ……』  今にも、泣きだしそうな声だったというのに。 「どうした? 物憂げな顔して」 「いや……どうやったらあれは泣くのかと考えていたんだ」 「泣かせたいのかい?」  おや、とばかりに目を開いたマティアスに、こちらが怪訝な顔になる。 「当たり前だろう。僕があの稀人になめられっぱなしでいいと思ってるのか」 「いやまあ、それはそうなんだろうけど……泣かせたいねぇ。へえ、ほう、ふうん」 「何が言いたい」 「いや別に。ちなみにさぁ、ぶっちゃけ稀人の体ってどんな感じなのかな?」  にやにやと躱されたが、再び理由を聞いても受け流されるだけだろう。マティアスは、常に相手を振り回すことに命をかけているような男だ。 「顔は下の下。体もまるで棒をくっつけ合わせたようで抱き心地も悪くて最悪だ。鳥ガラを抱いた方がまだマシだな、以上」 「あはは、酷い言われよう」 「それに目つきも悪い」 「いうほど悪いかな? どんぐりみたいな目だったけど」 「おまえはあれに睨まれたことがないからそう言えるんだ。ただ……」 「ただ?」 「……まあしばらくは、娼館に通う必要はなくなるな」  やせ細った体は、これまで関係を持ってきた女とはまるで違う。あんなメリハリのない体、誰が好き好んで食べるものか。ただ不本意ではあるが、人間が忌人……稀人に溺れる理由は、わかった。引き抜くたびにざらざらとした突起に擦られ、ちゅうと吸い付いてくる媚肉は、数多くの女を抱いてきたアレクシスからしてみても、性的快感を強く感じられる穴だ。  初めてリョウヤを使った日、誰かと体を重ねるという行為は久しぶりでもなかったはずなのに、何度も突き入れては果て、時間も忘れて熱中してしまった自覚はあった。  あれはある意味で、麻薬だ。一度使えば止められなくなる。  チェンバレー家の主人として、女を相手にする時は常に気を遣い、触れなければならない。噂が広まれば評判はガタ落ちだ。適当に抱くなどもっての外である。しかしリョウヤが相手であれば気負う必要もない。突っ込むために必要なところだけを解せばいいのだから。  ただひたすらに、性欲発散のための道具として扱うのは、なかなかに楽ではあった。   「ふうん、じゃあ具合の良さは相当なんだろうね。俄然興味がわいてきたな……」  マティアスが眦を弧の形に吊り上げた。特徴的なこの顔は、何かよくないことを思いついている時の顔だ。スクール生時代にちょっと抜け出して娼館でも行かない? なんて真夜中に誘われたこともある。  乗る時は乗り、乗らない時は乗らなかった。さて、今度はどんなことを提案されるのやら。 「ねえアレクシス、そんなに泣かせたいんだったら妙案があるんだけど」 「なんだ。言ってみろ」 「……実は私、稀人ってまだ食べたことないんだよねぇ」  マティアスは、長い指先を顎に添えて首を曲げた。さらりと、長髪のひと房がデスクから垂れる。 「ド下手クソなセックスしか経験できてないのは、可愛そうなんじゃない?」

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