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33.中央月桂館(1)

 頑丈なことが取り柄のリョウヤだったが、今日は朝から少し体がおかしかった。  なんだか熱っぽいし、視界がふらつく。時折背中に寒気が走って息が詰まるし、手足もいつも以上に重くて怠くて、自然と動きが緩慢になってしまう。  具合の悪さを表に出すということは、弱みを相手に晒すということだ。  誰にも付け込まれたくないのでなんとか誤魔化してはいるものの、いつまで踏ん張りが効くか。  しかもそんな日に限って、予想外の事態が舞い込んでくるものだ。  * * * 「奥様、旦那様がお呼びです」    と、朝食を食べ終わったところで呼び出された。なにやら珍しくアレクシスが早起きらしい。  前に、「貴様が早すぎるんだ」とぼやきがてら言われたが、「あんたが軟弱過ぎるんじゃない?」と返しておいた。本音だ。しょうがないだろう、いつ忌人狩りの連中に捕まるか毎晩ひやひやしていたんだから。  身に付いてしまった習慣というものはなかなか取れないし、そもそも取る必要だってない。睡眠時間が短くともなんとかやってこれたのだから。今のように体調が多少悪くても、そこそこ取り繕えるし。  と、まあ、じっとりと重い足で執務室へと入る。  今日ばかりは立っているが辛いので、さっさとソファに腰掛けて、この部屋の主の次の行動を待つ。 「……まだ座れとは言っていないが」  開口一番がそれか。 「ソファがあったら座るだろ。あんたしか座っちゃ駄目ならそう書いとけよ」  無論、書かれていても座るが。アレクシスはこれ以上の言い合いは無駄だと悟ったのか、しかめっ面のまま白い封書をデスクの上にぱさっと置いた。取りに来いという無言の圧力がかかる。 「普通に手渡してよ」 「おまえが来い」    アレクシスがリョウヤからふいっと視線を外した。ここ数週間、彼はずっとこんな調子だ。リョウヤを一秒でも視界に入れたくないとばかりに目を逸らす。  しかも日に日に、眉間のしわも深くなっているような気がする。こりゃあ刻み込まれるのもあと少しだな、忠告してやったのに……なんてことを思いながら、ソファに沈んだ腰を上げてデスクに近寄った。  封書を手に取れば、軽かった。何かサインのようなものが書かれていて、しっかりと封蝋がなされている。 「なにこれ」 「朝一番で到着した。結婚証明書の他に、受理された婚姻関係証明書類が同封されている」 「それはつまり、俺たちの婚姻関係が認められたってこと?」 「そうだ」 「ってことは……」 「貴様は本日付けで、僕の妻だ」  開けられた形跡のある、ぺらぺらの封書を上から下まで一瞥する。なるほど、リョウヤは今この瞬間、晴れてこの男の正式な『奥様』となったらしい。   「あっそ」  驚くほどなんの感慨も湧かない。だから、出てくる言葉もそんなものだ。組んだ手の甲に顎を置いたアレクシスが、やはりこちらを見ずに不服そうな顔をした。   「……驚かんな」 「だって、さっき廊下歩いてたら皆におめでとうございますとか言われたもん。これで気付かない方がおかしいだろ」  リョウヤはさっさと封書を返した。こんなことで一喜一憂していたら身が持たない。   「そうか、ならば改めて説明する必要はないな。いいか、おまえが僕の子を産むまでは、おまえにはチェンバレーという姓が付随することになる。それをよく肝に銘じておけ」 「はいはい、言われなくともわかってるから。じゃ、改めてよろしくねアレク」  とりあえずの挨拶を述べると、アレクシスが何か言いたげな顔をした。 「なに? その顔」 「……他に、言いようはないのか」 「言いようってなんだよ」 「妻になったんだぞ。この僕の」  いや知るか。 「これからは五臓六腑朽ち果てるまで誠心誠意お仕え致しますわ旦那様、とでも言えばいいの? ぜったい嫌だね」  頭がおかしいのか? みたいな顔をされたが、そんな顔をしたいのはこっちの方だ。 「だってこんな結婚意味ねーじゃん! ただのパフォーマンスでしょ、おめでたくもなんともないし」  どういえばいいわけ? と半目で睨めば、アレクシスは目を細めはしたがそれ以上は何も言ってこなかった。  黙したまま封書をしまう姿に、おや、と思う。  やはり、ここ最近のアレクシスは何かが変だ。  だっていつもであれば、リョウヤがああだこうだと言えば、黙れ底辺とか、これだから低俗な生き物は、とかなんとかチクチク言い返してきていたというのに、それがない。   「で、俺をここに呼び出した理由はそれだけ?」 「……ああ」 「じゃあ、調べものしたいからもう行くね」  さっさと踵を返す。今は一分一秒でも惜しい。出来るだけ、早く書庫にある大量の本に目を通さなければならないのだ。ここに来て数か月は経ったが、あれだけ頑張ってもまだ全体の100分の1くらいしか読めていない。  それほどまでにこの館の書庫は広く、本の量も多かった。  梯子がなければ上に届かないくらいなのだ。   「おい」 「なに?」    呼び止められたので、ドアノブに手を掛けたところで振り返るが、やはり目が合わない。こいつはどこを見てるんだ? はやくしてくれないかなと思っていると、アレクシスはようやくリョウヤに視線をよこした。  だが、視線はちょっと斜めになっている。なんなんだ。 「午後から、仕事で中央月桂館(げっけいかん)に行く。いいか、帰ってくるまで時間もかかるが、僕がいないからと言って使用人たちを懐柔し、隙を見て逃げだそうなんてことは考え……」 「えっ──待って、今あんた月桂館って言った!?」    目玉をひん剥いてがばっとデスクに詰め寄れば、勢いに驚いたアレクシスがわずかにのけ反った。  

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