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35.和久寺 秋一(3)

「あの、リョウヤさん。もしかして坂来留川というのはこういう漢字で書きますか?」  さらさらと紙に書かれたそれにもまたびっくりした。 「そうそう、このカンジだよ! シュウイチさんすげーな、俺の苗字って結構珍しいと思うんだけど」 「そうですね。この前……とは言っても、もう5年も前ですけどね。TVで特集されていたのを観たんです。確か東北に多くて、全国で千人もいない苗字だったとか」 「そうそう、そんぐらい。俺トーホク出身なんだ!」 「やっぱり! まだやってるのかな、あの番組。懐かしいですね」  本当に懐かしそうに目を細めたシュウイチに、ぐいっと詰め寄る。 「テレビってあれだろ? こう……動いてるのが映るやつだろ?」 「え? あ、はい。そうですね」 「実はさ、俺ん家にもテレビがあってさ」 「え……ええ、はい」 「スモウとかヤキュウを観に、近所の子とか大人とかがよく集まってたんだ」 「相撲に野球、ですか……?」 「うん! なにしろ俺ん家しかテレビ持ってなくてさ。ご近所さんは全部ラジオだったから……サカグラのサカクルガワって言ったら、地元じゃあちょっとした名家?ってやつだったんだぜ? にいちゃんとよく2人でサカグラでかくれんぼして遊んでたんだって。危ないから止めろってジョチューさんに叱られてさ。懐かしいなぁ」  シュウイチが数秒押し黙り、うーんと顎に手を当てた。  何かを考えこんでいる様子だ。 「ちなみに、なんですが」 「うん」 「良夜さんがいた世界にスマホ……スマートフォンというものはありましたか?」 「スマ、ホン? いや、それはちょっとわかんねーや」  スマァトホンなんて聞いたこともない。 「ではガラケーは? こう、遠くにいる人と話ができる機械、なんですけれども」 「ガラケー……遠くの人と話せる機械って、デンワキじゃなくて? こう、壁にかけてあって四角い……ハンドルをくるくるってするやつ。コーミンカンとかにあったってにいちゃんが言ってた、んだけど……」  シュウイチはうーん、と考え込んでしまった。 「あの、どうかした?」 「つかぬ事をお伺いしますが、リョウヤさんがいた時代の元号って、何でした……?」 「……ゲンゴーってなに?」  知らない単語が続々と出てきて段々不安になってきた。  シュウイチと、何か大きな齟齬があるような気がしてならない。 「そうですね、天皇が崩御した際などに変わるもので……例えば、慶応や明治、大正とかですかね」 「メージ、タイショー……あっ、それならわかる、ショーワだよ!」  ナギサがショーワだったと言っていた。ショーワ何年だったかは忘れたが、その前がタイショーなのもわかる。 「あーなるほど、はいはい。まあそうですよね。こんなにいきなり、漫画みたいな展開にはなりませんよね……」    少しだけ切なそうに、しかし合点がいったとばかりに頷くシュウイチに首を捻る。   「どういうこと……?」 「ええ、簡単に申し上げますと、どうやら僕のいた時代とリョウヤさんがいた時代は異なるようです」 「時代が、異なるって?」 「生まれ育った年代が違います。たぶん、僕の方がリョウヤさんよりもかなり後に生まれています」 「それって……」  驚きすぎて、固まった。 「念のためにお聞きしたいのですが、戦争、などは始まっていましたか?」 「センソーって戦うやつ、だよな? あの、他の世界? 国? と」 「はい、それです。お辛い記憶などがあれば、スルーして頂いてかまないのですが」 「えっと……あれ、どうだったっけ。あったって言ってたような。でも俺が生まれる前には……たぶん」 「終わっていた?」 「と、思う。ナギサにいちゃん、センソーについてはあんまり言ってなかったから」 「となると、たぶん70年……いや80年近くくらいは違うんじゃないかな」  言葉を失った。80年だって? 「うーん、黒電話っていつからあるんだろう。あ、僕ゴリゴリの理系だったんで、歴史とか覚えるの死ぬほど苦手だったんですよ。威張れることではないのですが」    この世界の平均寿命は60年ほどだというのに、人間の一生分以上の差があるのか? 「じゃ……じゃあ、シュウイチさんはいつの時代から来たの? ショーワじゃねーの?」 「はい。僕はギリギリ平成生まれの、平成育ちです」 「へーセー……」 「昭和の次の時代になりますね。僕がここに来たのは西暦2018年、つまり平成30年の9月だったので……ただ、この元号ももう次のに変わってるかもしれませんね。大きな戦争だって、起きてるかもしれませんし。二ホン以外では、内戦や紛争なども世界各国で起きてましたから……」  なにしろ5年も経っているので、とシュウイチが続けたが、リョウヤはシュウイチの話に耳を傾けるどころではなくなっていた。あまりにもショックが大きすぎて言葉が出てこない。  だってへーセーなんて、兄から一度も聞いたことがない。  物知りだったナギサがへーセーを知らなかったということは、つまり、へーセーというものが存在していなかったという事実に他ならないのだ。 「うそ……」

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