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35.和久寺 秋一(6)
「はい、ギリギリ平成生まれだと言ったでしょう? 平成元年に生まれました。それと、稀人ではなく、僕のことはシュウと呼んで下さいね」
「シュ、シュウイチさんって、本当に33歳なの?」
「もちろんですよ。まさか貴重な30超えを、異世界で経験するとは思ってなかったですけどね……」
「全く見えないよ、驚いたなぁ」
「はは、日本人は童顔ですからね。こちらの人から見るとそう見えるでしょうね。でも僕なんかは普通ですよ」
いや、リョウヤから見てもシュウイチはまだ若い。その落ち着きっぷりから年上だとは確信していたが、よくて20代後半くらいかと思っていた。
まさかそんなに年上だったなんて。
「あの、俺シュウイチさんよりも年下だし、普通の言葉遣いで大丈夫だからな?」
「いえ、これは職業柄なんです。こっちの言葉も敬語で覚えちゃいましたしね」
「職業柄って?」
「僕、元々あちらの世界では医者をしていたんです」
「えっ、お医者さまってめちゃくちゃすごいじゃん……!」
これにも驚いた。もうさっきから驚きっぱなしだ。
お医者様と言ったらエリート中のエリートである。体が弱かったナギサも、二ホンで暮らしていた頃は頻繁にお医者様の世話になっていたらしい。
チュウシャ、というのが苦手だったとよく笑っていた。
「別に凄くはないですよ。でも、ありがとうございます」
「あの、さ、シュウイチさんの話も、聞いていい?」
「僕の話、ですか?」
「うん。どうしてこっちの世界に来たのかとか、どうして……」
「──どうして、異世界人でもある僕が、ここでこうして自由な生活を送れているのか、とかですね?」
「言いたくなかったらいいんだけどさ……」
目を伏せたシュウイチは、静かに語り出した。
「ここに来た理由は、リョウヤさんと少し似てますかね。山の上ではないですが、近所にある岬の展望台で足を滑らせて、気付いたらここに……という感じです。大した高さでもなかったんですが」
シュウイチが、沸騰したポットを脇に置いた。
「……こちらの世界に来て1年ほど経ってから、病気を患っていた貴族の方に治療を施したんです。見たところこの世界は、18世紀、19世紀初頭のヨーロッパのような雰囲気ですが、医学はかなり遅れています。伝染病が流行しても抑える術もない。ですので、病気を治してやる代わりに自由をよこせと、簡単に言えば脅しをかけました」
「ああ! そういえばすこーし前に、金さえ積めば不思議な医術を扱う名医に診てもらえる、とか上流階級の間で噂になってたけど、あれってもしかして君のこと?」
「はい、そうだと思います。金を巻き上げているのは僕ではないですが」
「なぁんだ、てっきりインチキ魔術師か占星術師の話かと思ってたよ」
シュウイチが、マティアスに曖昧に微笑んだ。
「……そうこうしている内に、あっという間に4年が経ってしまいまして。僕の医学の力は少々役に立つみたいなので、3年ほど前からお偉い方々からのお達しでここに保護、というか隔離されています」
「そう、だったんだ」
凄い、シュウイチにそんな強みがあったなんて。
雰囲気からしてただものではないと思ってはいたが、何の力も持っていないリョウヤとは、違う。
「僕は基本的に、この部屋から出ることは許されていません」
「うそ、出らんねーの?」
「はい」
「一歩も?」
「ええ。外出を許可されるのは起き上がれない方を診察しに行く時だけです。稀人がここで暮らしているという噂はそこから派生したんでしょうね……」
確かにこの部屋に辿り着くまでは、とても長かった。
扉を開けても開けても辿り着かなくて、全ての扉に屈強な守衛が控えていた。まるで、同じ形状の人形を順々にしまい込んだ入れ子人形みたいに。
つまりシュウイチは、リョウヤが想像していたような自由な暮らしを謳歌しているわけではなく、長いことここに軟禁され、飼い殺しにされているのだ。
テーブルの上に置かれている本も、何度も読み返したのか擦り切れている。
コポコポと、お湯を注いでいるシュウイチの背中を眺める。コーヒーの芳香な香りが部屋中に広がった。慣れた手つき、無駄のない作業。何度、シュウイチはここで1人コーヒーを淹れ、飲んできたのだろう。
リョウヤは、相手の一面だけを見て勝手に判断してしまった自分を恥じた。
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