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第2話

「ん……」  コスティは静かに目を覚ました。  見慣れない部屋だったので驚いたが、そういえばアカートの計らいで教会の何とかという施設に泊まらせてもらったのだと思い出す。  窓の扉からは朝日が差していた。 「……夢、見なかったな」  久しぶりに悪夢を見ずにゆっくりと眠れた気がする。頭が冴えているのがわかる。  クルキと別の部屋で寝たのがよかったのかもしれない。  クルキと一緒にいると、どうしても怪我をさせたことを思い出してしまう。  何ともなしに窓を開けると冷えた空気が心地よかった。  外を見ると、夜の間にまた雪が降ったようだ。ここまでの道もまた雪かきしなくてはならないだろう。  机に置いた盆から一個だけ残しておいた林檎を手に取ってかじりつく。 「……おっさん、何て言ってたっけ」  確かアカートはここの院長とやらに自分たちを紹介したい、とか言っていたはずだ。  何もすることはないが、だからといって勝手に建物内を歩き回るわけにもいくまい。  どうしたものかと思っていると、戸がノックされた。  すぐに立って戸を開けると朝食の盆を持ったクルキが立っていた。  一瞬だけ不安げな顔だったが、すぐに表情は和らいだ。 「おはよう、コスティ」 「あ、ああ、おはよう」 「パンを持ってきたんだ。一緒に食べよう」  言ってクルキは部屋の中に入り、今までコスティが寝ていたベッドに座った。 「ほら、これ。牛乳もある」  クルキにパンと牛乳の入ったカップを手渡される。 「昨日は眠れたか? 今日は調子がよさそうだ」  パンをちぎりながらクルキは問いかける。 「そうだな、昨日は久しぶりによく眠れたんだ」  何ともない返事だが、自分でも心なしか明るい声色をしていると感じる。やはり調子がいいらしい。 「そうか、よかった」  言ってクルキは微笑んだ。  そしてふと、クルキの笑った顔を見るのは久しぶりだと思った。  ここ数日、ずっとクルキは不安げな顔をしていた。自分のことを心配してだ。 「食べ終わったら下で話をするそうだ。話が終わったら、一緒に街に行かないか? 祭りで楽しそうだ」 「そうだな」  手早くパンを食べて牛乳を飲むと、盆を持って階下に向かう。そしてクルキは厨房に食器を返して広間に向かった。  広間に入ると、もう面子は揃っているようだった。  アカートは壁際に立っていて、その隣に長い黒髪をした真っ黒な法衣に紫の帯を首にかけた男が、奥にある院長の席だろう大きな書斎机の前に紫紺の法衣を着た黒髪の男がいた。その脇に控えるようにアウレリオがいる。 「やあ、おはよう」  二人に真っ先に声をかけてきたのは書斎机の前にいた男だ。  人当たりのいい柔らかい声をしている。  男は二人に歩み寄り、長椅子を示してそこに座るように促した。  二人は長椅子に座ると、向かいに男が座る。  近くで見ると浅黒い肌をしていて、目が隠れてしまいそうなほど長い前髪の隙間から青い瞳が覗いている。口と顎に髭を生やしていた。三十代後半ほどだろうか。黒い布手袋をしていて、まったく肌を見せていなかった。 「初めまして。僕はこの祓魔院の院長、イングヴァル・イースグレンだ」  男はそう名乗った。イングヴァルも姓のイースグレンも北境ではよく聞く名前で、この辺りの生まれなのかもしれない。 「昨日は席を外していてすまない。前置きも面倒だし、早速だけど本題に入ろうか。アカートから大体のことは聞いたよ」  イングヴァルはそこで言葉を区切って、それでいいかと視線で問うた。  二人が頷くとイングヴァルはまた口を開く。 「この祓魔院は悪魔祓い、悪魔を倒し、ひいては悪魔を生み出す元凶となる魔物を退治する部署だ。でも、最近できたばかりでね。人数もたったの七人だ。皆申し分ない働きをしてくれているけど、人数の少なさばかりはどうしようもない。僕が出られればいいんだけど、院長が不在というのも困るからね。書類仕事もしなくちゃいけないし。そこで、君たちがここに来てくれたらいいなと、僕は思っている」  そう言ってイングヴァルは笑った。 「ここにって、祓魔院に所属する、ということですか?」  クルキが尋ねた。 「そこは君たちに委ねるよ。一応は教会内部の組織だから、正式に籍を置くなら聖職者という扱いになるし、それなりの知識や振舞いが求められる。そういうのが面倒なら、外部の協力者にしてもいい。実際、アカートは外部の協力者ということにしている」  随分と柔軟に対応してくれるものだな、というのがコスティの第一印象だった。  ここが小さい部署というのもあるかもしれないが、教会は内部の人間で自己完結させる組織だと思っていたからだ。 「それで、次は君たちがどんなことをするかだね。まず一番に魔物の退治。君たちは今まで魔物と戦っていたんだろう? なら問題ないとは思うが……。まあ、この話は後にしよう。次にやってほしいのは、簡単に言うと雑用だ。この建物の手入れだったり、炊事だったり。留守番としてここにいてくれるのも有難い。魔物の退治が重なるとここに僕一人しかいないこともあってね。それに僕は仕事で忙しい。でも、誰かがやらないといけない大事なことだ」  言って、イングヴァルは溜息をついた。 「僕は、ここに来る前は傭兵団を率いていたんだ。傭兵団では百人の兵を抱えるなら、その生活を支えるのに二百人の人間が必要だ。その理屈で言うと、今ここにいる七人の人間の生活を支えるなら十四人の人間が必要なことになるね。でも今は全然人手が足りていない。君たちには戦闘面での活躍を期待しているけれど、皆で協力してこの場所を上手く回して、誰もが常に万全の状態で戦闘に臨める態勢を整えることも大切だ。というわけで、君たちの協力が得られたら嬉しいんだ」  イングヴァルの言うことは確かである。  ここを拠点とするなら十分に休息の取れる場所でないといけないし、そのためには彼の言ったように炊事や掃除など、誰かがやらなければいけない雑事というのは必ずある。それを七人で回せというのも難しい話だろう。 「住み込みだから衣食住の心配はいらない。戦闘に出るというなら全面的な支援を約束する。必要なものがあれば教会が経費としてお金を出す。その上で君たちには十分な報酬を支払う。どうかな?」  条件としては破格だった。  今まで魔物退治をしていたのは路銀を稼ぐためだった。旅をしていると宿代と食事代の心配が常に頭の片隅にあるものだ。心許ない装備で野宿をしなければならないこともある。それが、ここに協力をするだけで全部解決する。  隣にいるクルキの様子を窺うと、クルキと視線が合う。 「け、結構いいと、私は思うんだが……」 「うん、俺も……」  そう言いかけたときだった。アカートが脇に来てイングヴァルに言う。 「おいおい院長さんよ、それだけじゃ説明が足りてないんじゃねえのか。今祓魔院と関わるってことがどういうことなのかを言わなきゃ駄目だろ」  アカートの言葉に、イングヴァルは目を細めた。 「……確かに、それは言わないと駄目だね。少し長くなるけど、いいかな」  イングヴァルに確認され、二人は頷いた。 「だったら(わし)が説明したほうがいいじゃろ」  言って、アカートの隣にいた黒の法衣を着た男が名乗り出た。  年寄りのような口調だったが、見た目は若い。二十代くらいだろうか。  背中まである長い黒髪で、右目が前髪で隠れていた。 「儂はイグナシウス・イグレシアスじゃ。イングヴァルの前のここの院長じゃな」  男は二人にそう名乗った。 「まず、元々の祓魔院は儂一人を指して言うものじゃった。自分で言うのも何じゃが、悪魔を祓うことにおいて儂の右に出る者はおらん。それで長いこと儂一人で悪魔狩りをしていたんじゃ。しかし、近頃悪魔が急増して儂一人では追いつかなくなった。加えて報告やら書類仕事もしなきゃならん。そこにアウレリオを預かることになって、いよいよ手が回らんと思った。そこで偶然会ったイングヴァルを勧誘して、ここの院長の座に座らせたんじゃ。傭兵団の団長ということで、組織を回すのは上手いと思っての。人間のことは人間に任すに限る。じゃが、そこで問題が発生したんじゃ」 「問題、ですか?」  クルキが言うと、イグナシウスは頷いた。 「これは身内の恥なんじゃが……。祓魔院は魔物と悪魔の退治を行うとイングヴァルが説明したじゃろ。その役割は教会の抱える聖騎士団と同じなんじゃ。そして、最近の教会は財政難での。聖騎士団は魔物や悪魔と戦うのに金をかけて遠征して、その度に貴重な兵を失い、維持費もかかる、と金食い虫なんじゃ。そこで、上の連中は祓魔院に仕事を振ることにしたんじゃ」 「あー……」  その先が何となくわかって、コスティは思わず声が出た。 「予想はついてると思うが、要するに縄張り争いじゃな。花形で表立って活躍してきた聖騎士団からすると、儂らに仕事を取られたというのは気に食わないんじゃ。それに、聖騎士団というのは七つ、騎士団一つにつき一人の枢機卿が後ろ盾になっとる。それに比べて祓魔院は一人の枢機卿。組織内の力で言うとこっちが劣っているんじゃな。聖騎士団は後ろ盾も組織の人数も勝っているのをいいことに、事あるごとに嫌がらせしてくるんじゃ」 「教会内の嫌われ者って、そういうことだったんですね……」  クルキが納得したように言う。  アカートはつまり、どんな形であれ祓魔院に協力するということは教会内の身内争いに関わることになる、と言いたかったのだ。  しかしイグナシウスの言ったように身内の恥でもあり、イングヴァルが言いたくない気持ちもわかる。  実際、話を聞くととんでもないことに巻き込まれてしまうのではないか、という心配も出てきたのは確かである。  イングヴァルは二人を見て口を開いた。 「僕は院長として、祓魔院に所属、協力してくれる人間を全力で守る責任があると思っている。それに、聖騎士団とは仲良くやっていきたい。魔物や悪魔を退治する、やっていることが同じなら、目指すものも同じだからだ。僕たちも聖騎士団も困っている人のためにある、ということは変わらない。こう言うと日和見のように聞こえるけど、僕だって考えなしに言っているわけじゃない。策は練っているし、実績を重ねていけば僕らを無下には扱えなくなる。聖騎士団の連中が態度を改めるのも時間の問題だよ」  イングヴァルはそう断言した。 「そう簡単に行くもんかよ」  アカートは吐き捨てた。  どうやらアカートとイングヴァルは方針の違いで対立しているらしいとコスティは察した。いや、対立というよりはアカートが一方的に嫌っているような雰囲気だ。  教会内の身内争いに加えて、この二人の関係も微妙なものである。関わったら関わったで何らかの形で板挟みになる可能性もある。  それを踏まえてクルキに視線をやると、顎に手を当てて考え込んでいた。 「まあ、今すぐに答えを出せというわけではないから。祭りが終わるまではここに泊まるといい。どこの宿もいっぱいだろうから。その間、ゆっくり考えてくれ。じゃあ、僕は仕事があるからこれで失礼させてもらうよ。話が長くなってすまなかったね」  言ってイングヴァルは話を切り上げて立ち上がった。 「わ、わかりました。ありがとうございます」  部屋を貸してくれることに礼を言い、残された数名は奥の続き間に去っていくイングヴァルを見送った。  コスティがクルキに声をかけようとすると、後ろからイグナシウスの声がした。 「アカート、大人げないのう……」  イグナシウスの言葉にアカートはむきになって返した。 「ま、間違ったことは言ってないだろ」 「その返しも大人げないのう……。素直にお前が嫌いって言ったらどうなんじゃ。一回本気で喧嘩すれば、(ぬし)たち結構仲良くなれると思うんじゃが」 「あの優等生と、俺が? 馬鹿言うなよ。本音を言わねえ奴と仲良くなれるかってんだ」 「だから思う存分喧嘩して本音を引き出せばいいじゃろ。今のままじゃ主が一方的に拗ねてるだけじゃぞ。大人げない」 「仕事に支障は出てねえだろ」 「だったら態度にも出すなというんじゃ。雰囲気の悪い仕事場ほど居心地の悪いものはない」 「お前まであいつの味方かよ。はいはいクズな俺が悪いんですよ、俺に何か言いたきゃクズに合わせた理屈を考えるんだな」  そう言ってアカートは広間を出て行った。 「いつになく卑屈じゃのう……」  イグナシウスはアカートの閉めた扉を見ながら呟いた。 「あの、イグナシウスさん、でしたか。あのアカートさんがあそこまでなるって、なんであんなに仲が悪いんですか?」  クルキが問いかけると、イグナシウスは腕を組んで答えた。 「一言で言うなら、嫉妬?」 「嫉妬? あのアカートさんが?」  誰かを羨むということがあるのか。あのアカートが。 「いや、口が滑った。今のは聞かなかったことにしてくれ」  言ってイグナシウスは仕切り直しをするように咳払いをした。 「性格が合わないというか、表裏一体というか……。同じことやってるのに結果が反対で、その上でイングヴァルが正攻法で結果を出してるから、じゃろうな」 「と、言いますと?」 「アカートはほら、誰にも遠慮しないじゃろ。良くも悪くも裏表がない。誰にも本音を言う。イングヴァルはその逆、誰にも深入りしない。二人とも誰にも平等な接し方じゃが、在り方は正反対じゃ。その上で、アカートは目的のためなら手段を選ばんが、イングヴァルは手段にこだわる。それで結果を出してるから気に食わんのじゃ。しかもイングヴァルはアカートに大人の対応するから、余計に引っ込みがつかなくなっとる。振り上げた拳の行先に困っとるんじゃな」 「重んじる方針の違いですか。それは確かに、一回本気でぶつかりあってみないと和解は難しそうですね……」 「イングヴァルもなかなか面白い男なんじゃが、院長の椅子に座らせた途端に借りてきた猫みたいになってのう……。なんでも組織の長の立場で特定の人間と仲良くするのはよくないとか、組織の長は嫌われるもので誰にも好かれる人間なんていないとか、わかった風なこと言っとるし。アカートみたいな雑草根性持ってる人間は、そういう付き合い方をする人間は本音が見えないから不安なんじゃろうな」 「なるほど。二人のことをよく理解しておられる」 「アカートとは腐れ縁じゃからの。イングヴァルも猫被ってるだけで単純な人間じゃし」 「あなたが仲を取り持ったりはしないのですか?」 「これは当事者間で解決しなきゃ納得しない問題じゃろ。それに、イングヴァルのほうもそろそろ馬脚を現す頃じゃぞ。失敗しない人間なんかおらんからの」 「は、はぁ……」  イグナシウスの言葉にどう返したらいいのかと曖昧な返事をするクルキだった。 「それより」  そしてイグナシウスはクルキとコスティを見て言った。 「主たち、人のことより自分たちのことを考えたらどうじゃ?」  イグナシウスに言われた後、街まで出てきた二人は祭りの準備に忙しい人々を見つつ、屋台でサンドイッチを買った。  薄く切ったパンにソースをつけた鶏肉を挟み、仕上げに鉄板で挟んで焼き目をつけたものだ。手渡されたサンドイッチは温かかった。  どこで食べようかと辺りを見回すと、劇をやっている舞台があり、その周りにある長椅子が丁度空いていたので座った。  王子が姫のために竜と戦う昔話の劇を見ながら、クルキが尋ねてきた。 「あの話、コスティはどうしたい?」 「……悪くねえとは思ってるけど」  そう答えたはいいものの、コスティは考えあぐねていた。  衣食住が保障されるのは魅力的なことである。しかし、教会内の組織争いに巻き込まれる可能性があると聞くと、一歩引きたくなるのも事実だ。  しかし。  イングヴァルは戦いを期待しているとは言ったが、仕事内容には雑用も含まれている。  クルキがこの話に乗るというなら、自分は無理に戦わなくてもいいとも言えた。今の状態で弓を持てるかと言われると怪しいものだ。  もしクルキが二人で旅を続けることを選んだら、自分はどうしたらいいのだろう。  自分がもっと強ければ。  魔物なんか一人で簡単に倒してしまえる強さがあれば、クルキに戦わせることはないのに。 「私は、受けてもいいと思ってる。確かに、教会内での揉め事に巻き込まれるかもしれない。でも、あそこだったらコスティとずっと一緒にいられると思うんだ」  クルキの言葉に息を呑んだ。  まだ自分と一緒にいたいと言ってくれるのか。傷付けてしまったというのに。 「コスティとまた会ってから一年間、ずっと旅をしていただろう。南の海は青く澄んでいて、燃えてしまうんじゃないかと思うくらいに眩しい日差しだった。とても綺麗だったし、初めて見るものも沢山あった。それはそれで楽しかったが、大変でもあった。そろそろどこかに安心して帰れるところを作ってもいいかと思っていたんだ。コスティも、最近は調子が悪そうだったし。長い旅の疲れが出ているのかもしれない」  クルキの言葉を聞いて思った。  確かにこの一年間、勢いに任せて旅を続けていた。  知らない土地に行って、見るもの全てが新しくて。何より、クルキの隣でそれを味わえることが何より嬉しくて。  だが、そういった勢いがいつまでも続くわけではない。今まで大過がなかったのは運が良かっただけなのだ。  どこかに腰を据えるのを考えてもいい、というクルキの言葉は確かだった。  今までそういう発想が出てこなかったのは、どこかに定住してやっていける自信がなかったからである。  無論、クルキも自分も生きていくだけの金を稼ぐことはできると思うが、例えばどこかよその場所で暮らしている自分、というのが見えなかったのだ。  クルキにしても、今までそういうことを言い出さなかったのは同じように感じていたからだろう。  だが北境にあるこのソーラスは見知った街だし、二人の生まれ故郷に近くて馴染みがある。ここなら落ち着くのにいいかもしれない。 「確かにな。そうしても、いいかもな」  コスティが返すと、クルキはコスティの手を取った。 「大変なこともあるかもしれない。でも、君と一緒なら大丈夫だ。どんなことでも乗り越えられる」 「……ああ」  俺もそう思いたいよ。  その言葉を飲み込んだ。  クルキの隣にいたい。  でも、クルキを傷付けてしまった自分にその資格があるのか。   クルキの想いに報えるだけの何かをしてやれるのか。  まだ、心にひびが入っていた。

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