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第3話
その後、街の市場を冷やかして祓魔院に戻った。
祭りに合わせて各地から仕入れた食べ物や工芸品などが集まっており、市場を一周するだけで日が傾いてしまった。
ぽつんと離れたところに建っている祓魔院への道で、人影がこちらに近寄ってくるのが見える。どうやら慌ただしく走っているようだ。道が凍っているが、慣れているのか全速力で走っている。
「院長さんじゃねえの、あれ」
近付いてくる人影は確かにイングヴァルだった。
イングヴァルもこちらに気付いたようだ。しかし足を止めることはない。
「イングヴァルさん、どうかしましたか?」
「急用だ! 話はあとで頼むよ!」
クルキの問いかけにそれだけ答えると、イングヴァルは走り去ってしまった。余程のことがあったらしい。
「……忙しいんだな、院長ってのは」
「そうみたいだな……。帰ってくるのを待ったほうがいいか」
そう話しながら建物に入って広間に向かう。
広間に入ると、アカート、アウレリオ、イグナシウスの三人が揃っていた。
三人は壁の地図の前に立っていた。
「ただいま戻りました。何かあったのですか?」
クルキがそう問うと、アカートが答えた。
「ああ、お前らか。いやなに、ここから北に半日ほど行った森の中に突然魔物が湧いてな。明日の朝発つことになった」
言ってアカートは壁の地図を指した。
真ん中にはソーラスの街と、方々に伸びる街道がある。北と言われたので地図の上のほうを見ると、湖の近くに赤い光の点がいくつも並んでいた。
「まさか、この赤い点が魔物だっていうんですか?」
コスティの疑問をクルキが代弁した。
「そう。錬金術さまさま、ってな。便利なこった」
アカートが頷く。
「れ、錬金術もここで使ってるんですか? 錬金術でこんなことできるんですか? 魔物の気配を探知して、地図の上に出すって……」
「今は不在だが、そいつの持ってる魔鎧 で魔物を探知できてな。それを応用したってわけだ。で、うちの頼れる顧問錬金術師様は今材料集めの旅に出てる」
「魔鎧の技術を応用? そんなことのできる錬金術師を抱えて……、いや、その前に魔鎧を持ってる人がここにいて……」
クルキは混乱する頭を抱えた。
コスティも魔法や錬金術に詳しいわけではないが、魔鎧は古に錬金術で作られたものであり、再現できる錬金術師はもういないとクルキに聞いたことはある。そして錬金術師の名前の割に、黄金を作れる錬金術師などいないらしい。権力者に囲われたものの結果を出せずに放逐されたり、処刑された錬金術師の話はどこでも聞く。
それが、ここにいる錬金術師は魔鎧の技術を解析して、再現したどころか応用して地図の上に魔物の位置を表示させるという芸当をやっているのか。
「魔法も何でもありだけど、錬金術もやりたい放題じゃねえか」
自分たちが旅の途中で魔物を狩っていたときは、魔物を見つけるだけでも苦労したというのに。今までの苦労は何だったのかと言いたくなる。
そのとき、終課――一日の仕事の終わりを知らせる鐘が鳴り響いた。
「あ、イングヴァルさん、間に合ったのかな」
鐘の音を聞いてアウレリオが呟く。
「そうだ、院長がものすごい勢いで走っていきましたが」
クルキが尋ねると、またもアカートが答える。
「馬車の手配だよ。もうじき終課の鐘が鳴るからって一目散に出てった。下っ端を使えばいいのに、急な頼みは院長の自分が頭を下げたほうがいいから、とか言ってよ。できる院長様で頭が下がるぜ、まったく」
どうやら、これもアカートの気に食わない行動らしかった。最早何もかもに文句をつけ始める姑状態だ。
アカートの言葉を聞いてイグナシウスが口を開いた。
「またそういうこと言う。ほらほら、今のうちに明日の準備せい。アカートは道具を揃えて玄関に運ぶ、アウレリオと儂は食料じゃ。ああ、それから主たちもアカートを手伝ってやってくれ。じゃあの」
イグナシウスはそう言って場を仕切ると、さっさとアウレリオの背を押して広間から出て行ってしまった。
アカートも不機嫌な顔をしながら歩き出す。
「お前ら着いてこい、倉庫はこっちだ」
言われて自分たちもアカートの後に続いた。
回廊を歩いて入口近くにある両開きの扉の部屋が倉庫らしい。
倉庫にも硝子玉に入った炎の明かりが灯っていて明るかった。
壁際には棚がいくつも並べられ、部屋の隅には大きな物が麻袋に入って置いてある。よく整頓されている印象だ。
「そのでかいの、幕舎だから持ってってくれ」
アカートは背丈ほどもある大きな麻袋を指すと、自分は棚のほうに歩み寄った。
クルキと二人で息を合わせて持ち上げ、玄関ホールに運ぶ。
アカートも抱えるほどの大きさの麻袋を持って倉庫から出てきたところで、丁度イングヴァルが帰ってきた。
イングヴァルは物を運んでいる三人を見ると満足そうに微笑んだ。
「ああ、早速準備してくれているんだね。手際が良くて助かるよ。ありがとう」
「馬車の手配はできたのか」
アカートがイングヴァルに尋ねる。
「何とかね。走って行った甲斐があったよ。明日の早朝には出られそうだ。聖堂内を走るなって怒られたけど」
「金には困ってねえんだから、金を積めば時間が過ぎてても何とでもなるだろ」
「それはそうかもしれない。でも、そういった手段では信用は得られないよ。何でも金で解決したがる連中と思われては困る」
「そうかよ」
アカートは不貞腐れるように返した。
「じゃあ、僕はまだ書類仕事があるから。終わったら手伝いに来るよ」
そう言ってイングヴァルは会話を切り上げて広間に向かっていった。
アカートは手段を選ばないが、イングヴァルは手段にこだわる。
イグナシウスが二人をそう言っていたが、まさにその方針の違いがよく表れているやりとりだった。
両者ともに一理ある。
緊急の問題なら相手が首を縦に振るまで金を積むのが手っ取り早い。それはそうだ。しかしそれは買収だ。褒められたものではない。
一方で、規則に則って正当な手段で手続きをするのであれば、相手は断るに断れない。規則を守っている間は規則に守られているのだ。それに、反則をしない誠実さを積み重ねていけば信用を得られる、というのも組織内の政治という意味では大事だろう。
正反対の方針を持つ二人が組織内にいて、片方は組織の長というなら軋轢が生まれるのも無理はない。
ここに協力することを選ぶというなら、この二人の対立も早々に何とかしたほうがよさそうだ。
大体の荷物を運び終え、アカートと三人で広間に戻ると院長の机にイングヴァルが座って書き物をしていた。
「大体終わったぞ。で、俺は留守番として今回は誰が行くんだ?」
アカートが声をかけると、イングヴァルは顔を上げた。
「もう終わったのかい。仕事が早くて助かるな。そのことなんだが……」
言ってイングヴァルは自分たちのほうを見やった。
「聞いておくだけだけど、君たち、答えは出たかい?」
「や、やります。俺たちでよければ……」
イングヴァルの問いに自分は答えた。
今後を決める大事な話なのだから、クルキだけに任せるのではなく、自分からもきちんと返事をするべきだと思ってすぐに言った。
戦闘面では頼りにならないかもしれないが、雑用だったらいくらでもやる。それでクルキと一緒にいられるのであれば。
クルキはちらりとコスティのほうを見てから口を開いた。
「やらせてください。頑張りますので」
二人の返事を聞いてイングヴァルは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、助かるよ。詳しい話はあとで詰めるとして、だったら君たちも明日一緒に行こうか。実力を知りたいところでもあるし」
そういう意味の確認だったか、とコスティはぎくりとした。
「じゃあイグナシウスとこいつらの三人か?」
アカートが言った瞬間、広間の入口のドアが勢いよく開かれた。そこにはイグナシウスが立っている。
「その話、聞かせてもらった!」
「盗み聞きを堂々と白状するんじゃねえよ」
イグナシウスの言葉にアカートが反応する。
「儂は! 腹が痛いので行けん! 儂が留守番して院長が行ったほうがいいと思う! 二人の実力を自分の目で確認したほうがいいと思うし!」
「はぁ? お前が腹痛いとかあり得ねえだろ体の構造的に」
いつになく真面目な顔で興奮気味に話すイグナシウスに流されずにアカートは言った。
「そして院長の補佐としてアカートも行ったほうがいいと儂は思う! うん!」
あっ、これは厄介事の気配しかないな、とイグナシウス以外の全員が思っただろう。
果敢にも真っ先に口を開いたのはイングヴァルだった。
「あ、あなたが留守番で僕が行くというのはわかりますが、アカートを連れて行くというのは? 彼が戦闘に向かないのは知っているでしょう? 魔物の数が多いんですから、せめてアウレリオを……」
「ほ、ほら、この二人も初対面の主と旅とか、気まずいじゃろ? 緊張して本来の実力が出せないかもしれんじゃろ? そこに知り合いのアカートがいれば安心して戦えると思うんじゃ。うんうん」
自分でも無理筋を言っているのがわかる、だが通すしかない、といった雰囲気がイグナシウスから漏れている。
しかし今までアカートが一方的にイングヴァルを嫌っているのを見せられていると、むしろアカートがいたほうが気が休まらないと思った。
イグナシウスは二人についてよく理解していたはずだ。何かしらの考えがあっての発言とはわかるのだが、あまりに強引で場当たりすぎる。
「な、何言ってやがる、俺が行ったって戦力にはならねえだろ」
ぽかんとしていたアカートがやっと口を開いた。イングヴァルと一緒に行きたくない、と遠回しに言っている。
「儂はあの程度の魔物ならイングヴァル一人でばっきゅーんと倒せると思っておる!」
「なら尚更俺がいらねえだろ」
「イングヴァルとコスティ君とクルキ君が戦うじゃろ、疲れるじゃろ、そこでアカートがご飯作ったり、肩を揉んであげたり、夜の番をしたりすればいいと思うんじゃ」
「お前な、さっきから何わけのわかんねえこと言って……」
いや、アカートもわかっていないわけではない。これを機にアカートとイングヴァルを和解させようという試みなのはわかっている。ただ、あまりに突然な言いっぷりにそれくらいしか文句が出ないのだろう。
「……いや、前院長の言うことです。進言は考慮に値します。僕とアカート、それにコスティ君とクルキ君の四名で行きましょう」
イングヴァルが語気を強めて宣言した。覚悟を決めたらしい。
「本気かよ。本当に俺は戦力にならねえぞ」
「院長命令だ」
アカートの抵抗をイングヴァルは一言で切って捨てた。
命令と言われてはアカートは逆らえない。
イングヴァルを嫌ってはいるものの、仕事に支障は出さないというのがアカートなりの線引きだからだ。
「では、各自体を休めておくように」
「……はいはい、そうしますよ」
言いながら肩をすくめてアカートは広間を出て行った。去り際にイグナシウスを睨みつけて。
静かな部屋に、はぁ、とイングヴァルの溜息が響く。
「……イグナシウスさん、僕を試そうって言うんですね」
「まあ、そう」
イグナシウスはさっきと打って変わって呑気に返した。
「これ以上続けとるとアカートの株が下がるだけじゃし、主も流さないでちゃんと接してやれ。アカートがずっと拗ねてるの、主が無視するからでもあるんじゃし」
「だからって、コスティ君とクルキ君を巻き込まなくても……」
言ってイングヴァルは自分たちを見つめた。
それはそうだ。確実に喧嘩になるであろうところに居合わせるのはイグナシウスではなくコスティたちである。
「ま、色々不確定要素はあるもんじゃろ。全てが万全なときなどないもんじゃ。その上で上手く対処するのが長の役目。最善を為せとは言わんが、無事に帰ってくるくらいはしてくれないとここを任せられん。……それに今は冬じゃしな。厳しい季節じゃ。みんなで協力せんと、できるものもできなくなるぞ」
イグナシウスの言葉にイングヴァルは目を細めて、窓を見た。外には雪がちらついている。
「……それは、そうですね」
重苦しい声でイングヴァルは言った。そこで、初めて彼が感情を漏らしたのだと気付いた。
思えば今までのイングヴァルは優しく人当たりもよく、笑顔も見せていたがそれは院長としての役割からくるもので、個人的な感情を表に出すことは見たことがなかったと思う。
それからイングヴァルはコスティとクルキに視線を戻した。
「コスティ君、クルキ君。君たちからすると迷惑かもしれないが、まあ頼むよ」
「いえ……。私たちこそ、明日はよろしくお願いします」
「お、お願いします」
クルキが頭を下げたので、コスティもそれに倣って会釈した。
今の頭の中は、明日の魔物との戦いをどうするかでいっぱいだった。
果たして弓を持てるのか。
持ったところで――。
「コスティ、どうした?」
クルキに声をかけられて、少しの間周りが見えていなかったと気付いた。
今の間に重要な話をされていなかっただろうか。
「いや、何でもない」
「部屋に戻ろう」
「あ、あぁ……」
失礼します、と言ってクルキが広間を出て、それに続く。
クルキはすぐ脇の階段に行かず、回廊を歩き始めたので声をかけた。
「おい、部屋に行くって……」
「どうした、厨房でパンとスープをもらうと言っていただろう?」
聞いていなかったか、というようにクルキは答えた。
「……ごめん、考え事してて聞こえてなかった。他に何か言われたか?」
「それだけだ」
重大なことを聞き逃したわけではなかったようだと安堵する。
クルキと厨房に入るとスープのいい香りが漂ってくる。
竈には蓋をした大きな鍋がかけられていた。先程自分たちが荷物を運んでいるときに、食料を用意していたイグナシウスとアウレリオが作っていたのだろう。
机の上には、蝋引きした紙の包みが何個も置かれていた。包み一つで一食分、ということだろうか。
「確か、ここの戸棚に入っていると……」
言ってクルキは入り口脇にあった戸棚を開けると、木皿に乗った大きな丸いパンが置かれていた。隣にパン切り包丁も置かれている。
「私がスープをよそうから、コスティはパンを二切れ頼む」
「わかった」
パンの乗った皿を持ってテーブルに置き、二切れ用意する。昼に焼かれたパンはすっかり乾燥して固くなっていた。
その間にクルキは戸棚から皿と椀、スプーンを出していた。
出してくれた皿の上にパンを置き、パンを棚に戻す。
クルキに目をやると、何やら窓際に吊るされている薬草の束を手に取っていた。
「何だ、それ」
「あ、あぁ、これを仕上げに入れるとおいしくなると言っていたから……」
クルキに声をかけると焦ったような答えが返ってきた。
クルキは一言で言うと料理が下手で、何でも強火で焼けばいいと思っている。だから旅の途中は自分が食べ物の用意をしていた。折角出来上がったスープを台無しにすることを恐れているのだろう。
「ただ入れるだけなんだから、そんなに緊張しなくてもいいだろ」
「そ、そうだな。入れるだけだ、入れるだけ……」
自分に言い聞かせるように喋りながら、クルキは薬草をいくらか千切って鍋の中に入れてかき混ぜた。
そして椀にスープをよそい、盆を出してパンの皿と一緒に乗せる。
「コスティはパンを持ってきてくれ」
「わかった」
言ってクルキは盆を持って厨房を出て、部屋まで戻った。
先にコスティの部屋に入って机にパンとスープを置くと、自分も部屋に戻ろうとする。
その前に振り返り、クルキは微笑んだ。
「じゃあ、おやすみ。コスティ。今日もよく眠れるといいな」
「……そうだな。おやすみ」
そしてクルキは自分の部屋に戻っていった。
自分も部屋に入ると、椅子に座って食べ始める。
固くなったパンをスープでふやかして食べながら、明日のことを考える。
今からでも、自分に戦いはできそうにないと言ったほうがいいのではないか。
しかし自分の中の厄介な部分が、そんなことを言うな、皆に失望されるぞ、と嘲るように嗤う。
大体、自分も戦力に数えられているのだ。自分が戦えないとなったらクルキとイングヴァルに戦いを任せることになってしまう。
だったら尚更、今言っておくべきではないか。
窓脇に立てかけている弓を見る。
手早くパンとスープを食べ終えて、弓矢を持って部屋の外に出た。
静かに階段を降り、足早に建物を出る。雪は止んでいた。
建物を出た瞬間に襲い掛かる冷気に思わず驚く。建物の中がどれだけ暖かいかを思い知った。だが、ぼやけた頭にはこれくらいの冷たさが必要だ。
吐いた息が白くなって、冷たい空気が肺に入って身が引き締まる。
建物の周りは窓から漏れる明かりで仄かに明るい。
これくらいの明かりがあれば十分だ。
周りに植わっている木の一つを選んで、矢を番えて弓を引く。ぎり、と弦が鳴る。
ここまではいつも通りだ。
狙いを定めて、手を放す。
ひゅう、と音を立てて矢は飛んだ。ちゃんと狙った木の幹の真ん中に刺さっている。
「練習かい?」
後ろから声をかけられて飛び上がりそうになる。
慌てて振り返るとイングヴァルが立っていた。
「いや、その……」
「自分の調子を確かめておくのはいいことだ。本当にね」
その言い方はコスティに向けてではなく、イングヴァル自身に言っているようだった。
その姿にどこか違和感を覚える。
「頭を冷やそうと外に出ていたんだ。戻ろうとしたら、君が弓を持って出てきたものだから、何をするのかと思って。すまない、覗き見をして」
「それは……、全然、いいんですけど」
思えば、ここに来てからの会話は調子が悪かったのもあってほとんどクルキに任せきりであった。
自分は人見知りをするほうで、イングヴァルと二人きりで何を話せばいいのかわからない。
「この暗さでよく当たるものだね。僕も若い頃に弓を習っていたけど全然だった。剣のほうが向いていたよ」
「剣、使うんですか」
法衣姿のイングヴァルが剣を持って戦う姿など想像がつかなかった。
「言っただろう? 僕は傭兵団の団長だったって。腕っぷしが強くないと舐められて、誰も言うことを聞いてくれないよ。色々あって、今はこんなところにいるけどね」
「じゃあ、魔物相手にも剣で?」
剣を持って戦う、というのはどんな気分なのだろう。自分を殺しにかかってくる敵と至近距離でやりあうとは。自分なら逃げ出してしまいたくなる。
「まあ、剣も使うね」
言葉を濁すようにイングヴァルは答えた。
「今日は少し元気になったようだけど、昨日は随分調子が悪そうだったね。明日は大丈夫そうかい?」
イングヴァルの言葉に息を呑む。
矢は狙い通りに木に当たった。しかし魔物相手に、クルキを前にして同じことができるかどうか。
「た、多分……」
曖昧な言葉で返すしかできなかった。
「まあ、君がそう言うなら信じるよ」
その言葉は冷たく響いた。
できるならできる、できないならできない、そうはっきり言ってもらいたかった、という失望が混じっている気がする。
当たり前だ、戦力になるのかならないのか、それがわからないまま出立して、土壇場でやっぱりできない、というのは困る。
自分は足手まといになりたくない。
クルキと一緒に進んでいきたい。
でも、そうしたくてもできないのだ。
「どうしたんだい? 何か言いたそうな顔をしているけど」
「その……」
口を開きかけて、言い淀む。
言葉が出ない。
言ったらきっと置いていかれる。役立たずと思われる。
「何日か前に、クルキに俺の矢が当たって、怪我を、させて……」
イングヴァルを直視できなくて俯いた。
卑怯だ。現状を説明して判断を他人に委ねようなどと。
「それで、君はもう弓を持てないというのかい」
「っ……」
イングヴァルの問いに答えられなかった。
「信用できないでしょう、味方に矢を当てるような奴が後ろにいるなんて……」
「それはそうかもしれないな。でも、君はそれでいいのかい? これから弓を手放して生きていくと?」
自分から弓を取ったら何ができる。
魔法も使えない、ただの男が唯一持っている武器だ。
それを捨てることができるのか?
クルキを一人危険な目に遭わせて、帰りを待つだけでいいというのか?
「……いや、です。俺だってクルキと一緒に戦いたい……!」
「そう思ったのなら、何が何でもしがみつくべきだ。一歩を踏み出さない限り、前には進めない」
「でも、前のはたまたまかすり傷だった、今度は取り返しのつかないことになるかもしれない……!」
「そうして恐れていたら、君はどこにも行けないよ」
「じゃあどうしろって言うんですか……!」
「それは僕が決めることじゃない。君が決めるんだ、コスティ君。僕は選択肢を提示できるが、何を選ぶかは君が決めないといけない」
イングヴァルの言っていることはあまりに正しい。
正しいが故に逃げ場がない。
ここで選ばなければ置いていかれる。
「……君は大分視野が狭くなっているね。弓を持つか持たないかの話にしなくてもいいんだよ。だって、君は今ちゃんと矢を当てたじゃないか。やればできるんだ。本来の実力が発揮できないというなら、障害を排除してしまえばいい」
「障害を、排除……?」
「クルキ君と一緒に戦わなければいいんじゃないか、という提案だ」
「別々に戦う、ってことですか?」
イングヴァルはそうだと頷いた。
「クルキ君に矢が当たりそうで悩んでいるなら、クルキ君が前にいなければいいんだよ。簡単な話だろう?」
「それは……」
イングヴァルの提案は、まったくの予想外だった。
クルキと一緒にいるが、同時に戦わない。考えもしなかったことだ。
「幸いにも倒すべき魔物は多いからね。二人で別の魔物を相手にすればいいんだ」
「……それだったら、できるかもしれない、です……」
「それはよかった。問題は解決だね」
言ってイングヴァルは微笑んだ。
「寒いから、もう中に入って休みなさい。僕はもう少し外にいるから」
「あの、ありがとうございます……。話、聞いてくれて」
「大したことはしてないさ。一人で悩んでいると視野が狭くなるものだからね。相談するのも一つの手だ。それに、君は勇気を出して話してくれた。君が自分を助けたんだよ」
そこまで言われると気恥ずかしくなってくる。
それを隠すかのように慌てて歩き出した。
「じゃあ、院長さんも気を付けて」
「ありがとう。おやすみ」
そう挨拶を交わして、コスティは建物の中に戻った。
暖かい室内に入って気が緩む。
冷たくなった指先を温めるように口元に持ってきて息を吹きかける。息でじんわりと指が温まる。
そのときに、先程感じた違和感に気が付いた。
雪が降る中で外にいたのに、イングヴァルの息は白くなっていなかった気がする。
「気のせいか……?」
絶対にそうかと言われると断言はできない。
まあ、イングヴァルの息が白くなっていなくて何か問題があるかというと、そうではない気がする。
先程話した感じでは元気そうだった。
何より、自分で戦えると判断して院長自ら戦闘に臨むことを選んだのである。不調ではないだろう。
コスティは足早に部屋に戻り、弓を置くとベッドに入って毛布にくるまった。
早朝に出立するのだ。夜更かしをしている場合ではない。
そう思って目を閉じた。
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