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2.天上の人(1)
それからも夢を見た。
森の奥にある屋敷。
その中に住む青年。
暗い赤の、女物の民族衣装を纏った小柄な男。
その男の歌を聞く夢を見続けていた。
ただ、以前とは違うことがあった。
その男は俺を玄関で出迎えてくれようになったのだ。
優しい、でもどこか妖艶な笑顔で。
俺はその男に手を引かれ奥の部屋へ進む。
小さな手が俺の手を掴む。
男は楽しそうに俺の手を引く。
まるで何かにはしゃいで誘う子供の様に。
そして俺は奥の部屋でひたすら。
……彼の歌を聞く。
彼は背もたれ代わりに俺の背にもたれる。
そして楽しそうにその美しい歌声を披露する。
優しくて、艶かしい神秘的な声で歌う。
俺が彼に触れようとすると、彼はふわりとそれを躱す。
ころころと鈴を転がすような笑い声を立てて。
そしてまた歌い続けるのだった。
正直、俺はどうしていいか分からなかった。
夢はずっと見続ける。
歌は頭にこびりつく。
そしてその声の主はこの世界のどこかにいる。
点と点が結べそうなのに、結ぶ術がない。
俺はひたすらインターネットで彼の情報を集めた。
ライブでもしてくれれば、顔が分かると思ったのだが。
残念なことに彼はライブをやらないらしい。
住んでる地方が分かったものの、そこは俺の住む地方からはかなり離れていて。
一体どうすればいいんだ。
俺はやきもきしながら、急速に彼のストーカーもどきになっていった。
ある時、やっとある情報を掴んだ。
同じ活動仲間のライブに彼がゲストで参加する、かもしれない、という情報だった。
まだ『かもしれない』なので、本当に出るのかどうか分からない。
が、俺はすぐそのライブのチケットを取った。
幸いにもチケットはすぐ取れた。
だがそのライブまであと数日、となったころ、また新しい情報が飛び込んできた。
『もしかしたら、出ないかもしれない。』、という情報だった。
どうしよう……。
俺は困惑した。
わざわざ飛行機のチケットまで取って準備したのに。
キャンセル代を払って諦めるか。
それとも、僅かな可能性にかけて行くか。
答えはもう、出ていた。
空港に着いた俺は、すぐタクシーでホテルに向かいチェックインを済ませた。
飛行機はギリギリの時間のものだったので、それからすぐライブ会場へ向かってちょうどぐらいだった。
ライブ会場は人でごった返していた。
中に入り、そこそこの場所を確保して開始を待つ。
ライブが始まった。
残念ながら『彼』は出ていなかった。
いや、あの夢の中の声が動画サイトの男のものであったとしても、外見が夢の中と同じとは限らない。だから出ていなかったと完全に断定することはできないとも言えるが。
でも動画サイトで使われている彼の名前も出てこなかったし。
夢や動画サイトで聞いたあの声も聞こえてこなかった。
無駄足だったのだ。
ライブは良かったと思うが、落胆は隠し切れなかった。
意気消沈して会場を出ようとした時だった。
少し前を歩く男。
あの後ろ姿‼
いつも夢の中で、俺の手を引く後ろ姿に似ていた。
「すいません!」
思わず駆け出し、肩を掴んで声をかけていた。
振り返ったその顔を見てまた驚いた。
夢の中の男だ。
俺は息を呑んだ。
硬い息が喉を通っていった。
「あの、何か?」
彼は驚いた様子で俺の顔を見上げた。
背格好も同じ、小柄な男だ。
「あ、えっと」
しまった。
呼び止めることだけで精一杯で、その後のことを考えていなかった。
俺は単刀直入に尋ねた。
「……―――さんですよね?」
彼は目を丸くして俺の顔を凝視したまま、やっとといった様子で言葉を零した。
「……そうです、…けど……」
『なぜ?』
彼の目にはそう書かれている。
俺はまたまた言葉を失った。
本当に、あの夢の男がそのままに存在していたなんて。
しまった、この後のことを考えてない。
二重の焦燥。
彼は俺の顔を見上げたまま言った。
「あの、どうして分かったんですか? 俺、その名前で顔晒してないんですけど」
「それは――」
『俺、夢で何度もあなたに会ってるんですよ』
そんなことを突然言えるわけもなく。
「あの、これからお時間ありますか?」
俺は彼の声に答えず尋ねた。
ものには順序というものがある。
そう思ったからだ。
「え、えっと、まぁ……、あります……けど。……」
明らかに不審者を見る目で、彼はそう答えた。
俺たちは近くのファミレスに移動した。
注文したコーヒーを飲みながら。
俺たちの間に音のない空間だけが溜まっていった。
俺は悩んだ。
何から話そうか。
俺はコーヒーを口に運びながら、ちらりと彼の姿を覗った。
黒い短髪。
黒目がちでありながらも、目元の涼やかな端整な顔立ち。
色白で小柄。
歳は、二十歳……ぐらいか?
怖いほどに全てが夢と一致する。
洋服のせいか、夢での雰囲気とは少し違っていたが、見た目は完全に同じだった。
「あの、今から俺の言うこと、驚かないで聞いてください」
「……はぁ」
ここは正直に一から話すしかなかった。
「俺、夢の中で何度かあなたに会ってるんですよ。……」
「は……ぁ……⁉」
相手は口を開けて俺を見ていた。当然だと思っていたから、そのまま話を続ける。
「あなたの動画を見つける前から、その夢を見てて」
「は……ぁ……」
さっきから彼の口からは音調を変えて、「はぁ」しか出ていない。
それしか言葉が見つからないのはよく分かるけど。
「しかも、その、何と言うか。順序が逆なんですよ」
「……?」
彼の眉間に皺が寄る。段々話がこんがらがってきた。
「夢の中であなたの歌を聞いて、その後たまたま見つけた動画を見て、その歌が現実にある歌だって知って、あなたのことも知りました」
「はぁ……」
こんがらがりつつも、そこそこ筋の通った説明ができたと思う。その証拠に(なるのか分からないが)、彼の「はぁ」が変わってきた、……ように思えた。
「で、俺をおっかけてきたんですか?」
「はい。今日のライブに出るかもって情報を入手したんで」
「でも俺は出てなかった、と」
「はい……」
「でも、夢で見た人が客の中にいたんで声をかけた」
「はい……」
彼はそこまでを納得しつつも複雑そうな顔で、一度だけ溜め息をついた。
「それにしても、不思議なことがあるもんなんですね」
まだ複雑な心境だろうに。
それにも拘わらず、彼はどこかすっきりした顔を俺に向けてくれた。
「ところで」
彼が腕を組んで、テーブルに肘をかけて体を乗り出した。
「俺の動画観てくれたんですよね? ……俺の歌、どうでした?」
キラキラと輝かせた瞳が、夢の中のものとは少し違う。
幻想的な夢の瞳とは違った、鮮明な現実の光。
「凄く、良かったです。声が綺麗で、テクニックもあるし。とにかく最初は『凄い!』の一言でした」
彼がほわっとした笑顔を見せた。
「嬉しいです」
ああ、なんか綺麗だな、この人。
ただ顔が整ってるとか、そういうだけじゃなくて、なんか素直で純粋だ。
そう思って思わず見とれてしまった。
そのまま一緒に食事をし、会話を楽しんだ。
「で、その夢ってどんな夢だったんです?」
「え?」
「俺、歌ってたんでしょ?」
「あ、ああ」
そう言えば細かなことまで言ってなかったっけ。
俺は夢の詳細を語りはじめた。
「俺は森の中を歩いてて、一軒の家を見つけるんです。そこから歌が聞こえてきて」
彼の頭が相槌を打つ。
「最初はどこから聞こえてくるのか分からなくて、探している間に夢から覚めちゃったんですけど」
彼が少し苦笑する。
「何度目かに、あなたを見つけて。あなたはなぜか女物の着物みたいなのを着てて」
「はは」
ついに彼が苦い笑い声を立てた。
「そして、寝転びながら歌ってました」
「……へぇ……」
「で、俺はその傍に座って、あなたの歌を聞いているという、ね」
さすがに関係を持ったことは黙っておいた。
「なるほど……」
彼が少し俯いた。表情が少し固い気がするけど――。
「どうかしました?」
「え?」
彼の顔がふと俺に向いた。
彼は微笑んで言った。
「いや、俺女装してるなんて思わなかったから」
「そうですよね」
俺も笑った。
ただ、それだけなんだと思った。
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