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5.天上の虹(1)

 カーテンの隙間から差し込む日の光で目を覚ました。  時計に目をやる。  もう正午を回っていた。  隣では彼が眠っている。  規則正しい寝息が聞こえて。  その寝息にどれほど安堵したか分からない。  彼を起こさないようにそっとベッドから抜け出た。  顔を洗い、髭を剃り、髪を整える。  そしてまたベッドに戻った。  相変わらず、彼は眠っている。  俺もまたベッドに横になった。  できるだけベッドを揺らさないようにそっと。  そして、彼の寝顔を眺めた。  結構睫毛が長い。  一重だったのか。  アーモンド型の猫の様な目をしているから、奥二重なんだと思っていた。  短く整えられた髪が、少し額にかかっている。  漆黒の柔らかくて綺麗な髪。  どこから見ても男なのに、どこか綺麗だ、と思ってしまう。  一日経ってるのに、髭が少しも目立っていない。  幼く見えてしまうのは、体毛が薄いからかな?  昨夜も気になったけど、肌の心地が直に伝わってきて。  滑らかだったのを覚えている。  そんなことを考えていたら。  彼が目を覚ました。 「おはよう」  誤魔化すでもなく、堂々と彼の顔を眺めて挨拶をする。 「ん……」  彼が小さな声を漏らした。  声が掠れている。  寝起きだからか、昨夜少し啼かせすぎたからか。 「おはよう……」  彼が目を擦る。  そんな仕草がどこか子供っぽい。 「顔、洗ってくる……」  彼は起き上がると、まだ覚束無い足取りで洗面所へ消えていった。  彼の動作を目で追い、俺はベッドに座る。  途中少しよろめいていたけど。  ……昨夜のせいかな。  彼はすぐ出てきた。  恐らく洗顔だけ。  短い距離の中、またよろめいたので。 「大丈夫?」  と、さすがに声をかけると。 「う、ん……」  彼は喉につっかえたような返事をした。  彼は俺に背を向けベッドに腰を下ろしたが、すぐ横になってしまった。 「あの、さ」  彼の背に声を投げる。 「何?」 「もしかして、痛い……とか?」  彼の肩が少し跳ねた。 「……痛く、はない」 「本当に?」  もぞっと、彼の肩が動く。 「……痛くはないけど、……なんか変な感じ」  足に力が入らないし……。  そしてまたもぞっと動いた。  そうか……。  彼は俺に背を向けて寝転がったまま。  顔が見たいんだけど……。  なんか見てはいけない気がする。  困った俺は、ただ声をかけた。 「なんか、買ってこようか?」 「……からあげ弁当がいい」  朝から(もう昼過ぎだけど)そんな濃い物を?  というか、弁当屋はあるのか? 「分かった。でも手に入るかどうか分からないから、携帯には気をつけておいて」 「ん」  そして俺は部屋を出た。  数分後、幸運にも弁当屋は見つかり、そこでからあげ弁当を購入した。  俺の弁当とお茶もついでに買って。  ホテルへと戻った。  彼はまだベッドの上でうつ伏せになっていた。  寝ているわけではなさそうだ。 「からあげ弁当あったよ」 「ありがとう」  彼はそのまま俺の方へ手を伸ばす。  顔は見せないままで。  ……おいおい。  まさか寝っ転がって? 「そのまま食べるの?」 「うん」  行儀悪くないか?  ベッドにうつ伏せて、漫画を読むみたいな姿で食べるって。 「座って食べたら?」  と言った後で、少しだけ『しまった』と思った。  すると案の定、といった感じになってしまい。 「……ないんだもん……」  彼のくぐもった声が聞こえた。 「え?」  一度尋ね返す。  敢えて空気は読まない。 「座れ、ないんだもん……」 「それって、やっぱり痛いんじゃ……」 「痛い……わけじゃない。でも、座ったら、……奥に響いて痛い」  ……やっぱり痛いんじゃないか。 「分かった。でも、とりあえずこれ敷いて」  ベッドを汚さないように、弁当の容器の下にビニール袋を敷かせた。  寝っ転がったまま、黙々と食べる彼。  俺もその脇に座って弁当を食べる。 「何食べてるの?」  背から彼の声が聞こえた。 「のり弁」 「もしかして、俺のせい?」 「なんで?」 「……俺が我侭言って贅沢するから」  俺そこまで貧乏じゃないんですけど!  ……まぁ、飛行機代は結構痛かったですけど。 「……寝起きだから、軽く食べたかっただけ」 「そっかぁ」 「うん」  思わず、結構不思議な人なんだな、と思ってしまった。  さて、腹もいっぱいになったけど。  ふらつく彼をわざわざ外に連れ出すこともないし。  何をしようか。  少し天井を仰いだ。  それから振り返って、彼の方を覗う。  彼の頭がさっとぶれた。  もしかして、こっちを見ていた?  一度、顔を戻す。  暫く経過して。  もう一度彼の方を覗うと。  また彼の頭がぶれた。  ……。  それを数回繰り返し。  何度目かにして、声をかけた。 「あのさ」 「……何?」 「どうかした?」 「なんで?」 「さっきから、こっち見てたことない?」 「……ううん」  彼は嘘が下手だ。  なのに嘘をつく。  嘘つきは好きじゃないのに。  バレバレなせいか、可愛いとすら思ってしまう。  『嘘つき』と少し詰ってもいいのに、「あ、そう?」と返してみる。  つい、可愛くて意地悪をしてしまう。  なぜこれが意地悪になる?  これが、彼の思惑をワザと外した答えだから。 「……ねぇ」  ほら、きた。 「その、昨日なんだけどさ……」 「うん?」 「…………」  なかなか話し出そうとしない。  それだけ言いにくいことを言ってくるんだと。  なぜかわくわくする。 「……嫌、じゃなかったの?」  やっと彼の声が漏れた。 「なんで?」  思わず振り返ると。  彼の頭がまたさっと動いた。  もう彼の黒い後頭部しか見えない。  仕方なくまた顔を戻した。  俺を見ていてほしい、という下心から。 「……だって、貴方ゲイじゃないんでしょ?」  それを聞いて、一度溜め息をつく。 「それ言ったら、あんたもじゃないの?」  結構凄かったけど?  ……すっごく意地悪な俺。  彼は黙ってしまった。  パタパタと音が聞こえたので、振り返ると。  彼は枕に突っ伏して。  両足をバタ足させていた。  ほんと、子供みたいだ……。  そのまま少しの時間が経過し。  また彼の声が聞こえた。 「あの、さ。その……」  何が言いたいんだろう? 「昨日は、……ごめん」 「いや、それは、全然」  あのね、こんなこと言ったら貴方の気を悪くさせるかもしれないけど。  そう断って、彼は言った。 「昨日、のこと、あんまり、しっかり、……覚えてない……」  そうだろうな。 「その、自分でも、なんでしちゃったのか、分からなくて……」  二回目のそうだろうな。  昨夜の彼の状態はどう考えても普通じゃなかったし。  誘ってきたのだって、そうだからなんだって分かってた。  って、何で俺、こんなクールに受け止めてるんだろう。  それを思うと、俺はあることに気づいてしまった。  俺たちは『恋愛』をしているわけじゃない。  そもそも、これが男女ならともかく。  ノンケの男同士で『恋愛』は始まらない。  彼は俺に『特別な感情』を抱いてはいるみたいだけど。  それは『恋愛感情』ではない。  夢の中で唯一会った人間だ、というだけ。  それが俺で良かった、と言っただけ。  でも、俺の場合。  『おまえはどうなんだ?』と尋ねられたら。  『俺は彼が好きだ』と、言えると『思う』。  少なくとも、昨夜の俺は彼よりは冷静だった。  そして俺はゲイじゃない。  でも、彼を抱くことに抵抗はなく。  彼の全てを包み込んで、守りたいと真剣に思った。  ……ただ、行為自体は嬉しくもなかったし、楽しくもなかった。  正直、つらくて痛かった。  なぜかは、何となく分かる。  多分、あの行為が『愛情』からではなかったから。  最後まで『愛情』にしたいと足掻いたけど。  結果失敗に終わって。  後になって考えてみると。  自分自身の感情ですら『愛情』だったのだろうかと疑問になって。  確かに俺は彼が好きなんだろうけど。  行為に対する感情が『愛情』だったのかは自分でも分からない。  最後、彼の瞳を覗いて。  胸が真っ青になってしまった。  分かっていたはずなのに。  心の中に少しだけあった感情が。  今だけでも、俺だけを見ていてくれたら、という身勝手で汚い感情が。  見事に壊されてしまって。  最後まで『愛情』にならないことを知ってしまった。  所詮、一方通行。  ただ、やっぱり俺自身の中にある感情が『恋愛感情』なのか、と問われれば。  『そうなのかな?』と思えてしまうのはなぜなのだろうか?  あのさ、と口を開く。 「もし、今俺が『しよう』って言ったら、あんたする?」 「えっ……」  ベッドが少し揺れる。 「……ごめん。……多分、できるかも、とは、思うけど。でも、……『したい』とは、思わない」  大体想像どおりの答え。  『同情』で寝られても、『愛情』では寝られない。 「だろうな……」  胸のあたりから、ミシッ、という音が聞こえた気がした。  でもそれは彼の言葉に傷ついたからじゃない。  きっと彼は、今俺が必死で頼み込めば、寝てくれる。  でもそれはやっぱり『愛情』じゃないんだ。  つらくて痛いセックスを繰り返すのはごめんだった。 「でも、ね」  彼の声が俺の背から聞こえる。 「もし、昨日みたいに訳が分からなくなっても、……もうあんなことしない」  もし、したとしても、貴方としかしない。  女の人ともしないし、勿論、他の男ともしたりしない。  貴方としか、しない。  そして、ぼすっ、と枕が沈む音が聞こえた。 「っ……。なに、言ってるんだろ……」  くぐもった声が聞こえる。 「うん、分かった……」  絶望もさせられず、救われもせず。  どこか宙ぶらりん。  ただ、複雑ながらも穏やかな気持ちだった。

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