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5.天上の虹(2)
また暫く時間を置いて。
俺は別の話を持ち出した。
「夢のことなんだけどさ」
「うん?」
「本当に、心当たりないわけ?」
「何に?」
「あの夢を見はじめた心当たり」
「ん~……」
困っている。
思い出そうと悩んでいるのか、言おうか迷っているのか……。
彼が一つ、溜め息をついた。
「まぁ、『これかなぁ』って思うのは、あると言えばあるんだけど」
「うん?」
彼曰く、本当に大したことではなかったらしい。
ただ、その事柄と、夢を見はじめた時期が近い、というだけだとも言う。
「俺さ、前に別の形でやってたんだよね」
『知ってると思うけど』、というリズムを含んでいた。
「で、バンドの動画は全部消したんだけど」
ファンが自分用に保管していた音源を動画サイトにアップしていたらしくて。
久しぶりにバンド名で検索かけたら、まだそれが残ってて。
なんか懐かしいのと嬉しいのとで、その中から一曲聴いてみようと思った、らしい。
「で、『わー、懐かしいな。まだ色々甘いな』とか思いながら聴いてたんだけど」
付いていたコメントの中に、ふと目に止まったものがあったそうだ。
「どんな?」
「んー……」
彼が言うのを渋った。
あのさ、そこを渋るってことは。
それが結構精神的に『キてる』ってことじゃないの?
そんな彼の姿を見て思う。
「その、ね」
小さな前置きをして彼は言った。
「『あんな事件起こしておいて、まだ歌ってるな。』って書いてあって……」
「そんなっ‼」
俺はつい語気を荒げた。
その勢いのまま、飛び上がるように立ちあがり、彼に振り返る。
彼はうつ伏せて枕を抱いたまま。
「だって、『あの事件』は、あんたのせいじゃないだろ⁉」
『あの事件』
彼が姿を消さなくてはならなくなった忌まわしき事件。
全容はこうだった。
彼は、かつてあるバンドのボーカルをしていて。
動画サイトでメジャー曲のカバーだけでなく、オリジナル曲もアップしていた。
そうして上げられた動画の数々。
動画といってもイラスト画像のみで。
メンバーが姿を公にすることはなかったが。
完成度の高い彼らのサウンドには、すぐにファンがついた。
ただその中に、軽率なファンがいた。
そのファンは、彼らに断りもなくある活動を始めた。
『彼らのCD製作を応援しよう!』
つまり、彼らの楽曲をCD化するため、勝手にクラウドファンディングを始めてしまったのだ。
勿論、彼らの誰一人、そんなことは知らなった。
だが彼らの知らないところでどんどん金は集まり。
ファンからの問い合わせにより、彼らはその事実を知ったのだった。
結果、彼らは詐欺で訴えられこそしなかったものの。
活動困難となり解散。
動画を消さざるを得なくなった、ということだ。
最近俺が集めた情報では、その金は全て出資者に返金されたようだが。
正直、ファンの仕業かどうかも疑わしい。
「あんたは被害者じゃないか!」
声を荒げ、訴えると。
「うん……。俺も最初見て『俺らのせいじゃないし』って思ったよ」
彼は穏やかに答えた。
「それで、今の名前になってから、ファンになってくれた人もいるわけなんだけど」
昔、俺が別のバンドでやってたってことを知ってても、『その事件』を知らない人もいるんだ。
そんな人のために、わざわざ事件の全容を記したブログのアドレスまで貼ってくれちゃって。
音源を上げてる管理者が気づいて、そのコメントを消してくれたけど。
「『あまり知られたくない過去』が晒されちゃったんだよね」
彼が溜め息をついた。
「そんな滅茶苦茶な話あるかよ‼」
俺の声が部屋に響いた。
彼は相変わらずうつ伏せで穏やかなまま。
いや、沈んでいるからなのか。
一言「うん」と言っただけで、静かだった。
俺は確信した。
絶対、『原因』はこれだ。
間違いない、と言い切れる。
以前、彼とこの件について話した時に感じた靄。
あの化物の様などす黒い。
それが俺の体内で渦巻いていたから。
もしかすると。
あのどす黒い靄の化物の『正体』は、かつての事件そのものなのかもしれない。
人はあまり話したくないことは『手短に』話す。
『大したことじゃない』
そんな言葉を使って。
それを考えたら。
最初に彼と話した時に気づいておくべきだったんだ。
『大した事件じゃなかったんだけど。』は彼にとって『大した事件だったんだ。』と。
何とか落ち着きを取り戻した俺はまたベッドに腰掛けた。
後ろでは、彼がうつ伏せたまま。
また空白の時間が流れる。
何をするでもなく。
ただ時が流れる。
彼が何を考えているのか分からないが。
俺自身はまだ腸が煮えくり返っていた。
外が薄暗い。
もう大分、日が落ちていた。
腹が減ってきた。
「飯、どうする?」
普通に声を出したつもりだったけど、少し不機嫌な音を含んでしまった。
でもそれは素直な音だ。
正直、嫌な気分ではあった。
どんな心境であれ、腹は空くのだから。
「外、出ようか」
彼が起き上がった。
「奢るよ」
「体、大丈夫?」
「うん。もう平気」
そう言いつつ、準備を始めるが。
彼はまだ後頭部しか見せてくれなかった。
近場の小料理屋に入った。
彼がカウンターを希望したので、それに従った。
横並びになるので、意識しないと顔は見えない。
それでか、と納得した。
その小料理屋はちょっとした郷土料理を出す店で、味も良かった。
彼に酒を勧められたが、俺はそれを断った。
もう二度とあんなのはごめんだ。
思い出しただけで、俺の内臓が噴火を起こす。
すると彼も酒は呑まず、二人で食事だけ済ませて店を出た。
帰り、数百メートル。
横並びになるので、やっぱり彼の顔は見えない。
彼は俯いて、歩いていた。
俺と彼の身長差はそこそこある。
彼には言えないが、ちょっとした男女ぐらいの差はある。
つまり俯かれては、彼の顔なんて完全に見えないわけで。
やっぱり、彼の黒い頭しか見えなかった。
少し、俺の心から余裕がなくなった。
ホテルに戻ると、彼はすぐにこう言った。
「シャワー、先に使ってもいい?」
いいよ、と答えると、彼はそのまま洗面所に入ってしまった。
クリーニングを頼んでおいた衣服が戻ってきていたので。
それを手に取り、洗面所のドアをノックしてから開ける。
「着替え、またここ置いておくから」
シャワーカーテンの向こう。
飛沫の中から声がする。
「ありがとう」
当たり前だが、やっぱり顔は見えない。
そして俺はドアを閉めた。
この場合は、仕方ないと分かっているけど。
また少し、心から余裕がなくなった。
彼と入れ替わりでシャワーを使う。
暑かったので、髪を乾かさずに出た。
彼はまたベッドにうつ伏せで寝っ転がっていた。
やっぱりまだつらいんじゃないだろうか?
「体さ、ほんとに大丈夫?」
つい尋ねてしまう。
「大丈夫だよ」
昼間より元気そうな声だ。
でも、やっぱり俺の方を見てはくれない。
そろそろ、やばいな。
もう俺の心の余裕ゲージがなくなってしまった、かも。
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