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6.天上の風(1)

 あっと言う間の三日間が過ぎ。  帰る日がやってきた。  俺が朝目覚めると彼はいなくて。  みっともないくらい真剣に焦った。  慌てて彼の携帯に電話して。  そしたら、彼は買い物に出ていると言う。  俺がチェックアウトしていると、彼は戻ってきた。  レンタカーで空港に向かった。  彼は何も話さない。  俺も言葉が見つからない。  気まずくはないが、どこか寂しい。  カーステレオのBGMだけが響く。  運転していると、ふと彼が声をかけてきた。 「あ、あの木」 「ん?」 「あれが桜」  確かに桜の木みたいだけど……。 「うん……?」 「ここらの桜は独特なんだって」 「へえ」 「帰ってネットで調べてみて。綺麗だから」 「うん、そうする」  なんか不思議な気分だ。  男二人で花の話なんかして。  でもそれが心和んで、楽しいなんて。  空港に着いてしまった。  レンタカーを返し、二人で空港内に入る。  本音をぶっちゃけると、名残惜しい。 「あ、これ」  彼が手を突き出した。  彼の手には紙袋が。 「お礼にもならないんだけど、良かったらもらって」  中には地方の特産品と、……酒が入ってた。 「酒は迷ったんだけど。でも、これ美味いから」  呑んでみて。  彼は少しだけ微笑んでそう言った。 「ん、ありがと」  俺は礼を言って、紙袋を受け取った。  彼の顔を見ていると、ますます名残惜しくなった。  辺りを見回す。  観光シーズンを過ぎたせいか、辺りに人はいない。  そのせいで、つい俺は呟いてしまった。 「キスしたいなー……」 「え⁉」  彼の姿が一瞬にして数百メートル向こうまで行ってしまった気がした。 「な、何言ってんの⁉」  声を潜めながらも、強い口調。  眉間に皺を寄せて、気まずそうに。  耳が少し赤い。  でも俺は正気になれなくて。 「駄目?」  普通に尋ねる。 「いい……って、言えるわけ、ないじゃん……」  彼は俯いてしまった。 「だよな……」  きっとキスなんかしたら、彼は顔を上げてくれなくなる。  それでなくても、俺たちはまだ明るい場所で互いを認識するのに慣れてなくて。  勿論キスだって明るい所でしたことがなくて。  人がいなくとも、公共の場で、まさか男同士がキスなんてできるはずもなくて。  まず俺たちはそういう関係でもなくて。  諦めよう。  最後、彼の顔を見て帰りたいし。 「ごめん」 「ううん……」  代わりに俺は手を差し出した。 「じゃ、握手だけ」  これからも頑張っていけるように。 「うん」  彼がほっとした顔を見せた。  そして、俺たちは手を握り合った。  小さな手を離すのが惜しかったけど。  そうしてひとまずの区切りをつけることができた。  帰ってからはまた自分の生活に時間を費やした。  夜は彼とチャットをして楽しみ。  夢の中では彼に会い。  やっぱり不思議な表情。  無垢で清楚で、それでいて妖しい。  彼を引き寄せて、彼の歌を聴いて。  いつの間にか部屋に入ってきていた、……化物に神経を尖らせ。  ある日、俺は彼がアップする動画サイトを訪れた。  そして彼のリストを開くが。  いつまで経っても以前録った歌がアップされない。  もしかしたら、気に入らないところができたのか?  そう思って彼に尋ねた。 『-あ~……』  彼が返事にまごついた。  暫くただの音を吐いた後、彼は言った。 『-実は……』  ……録れてなかった、とか?  しかし俺の予想は外れた。 『-編集が、できなく、て……』  夜に編集しようとすると怖くなって。  なら昼にすれば良いじゃないかと、昼に編集しようとすると。  急に辺りが暗くなったような錯覚を起こしてできない、らしい。 『-ごめん。折角弾いてもらったのに……』 「-いや、それは構わないんだけど」 『-でも、絶対アップするから。待ってて』 「-分かった。でも、無理はしないでほしい」 『-うん、分かってる』  大丈夫。  彼はそう言った。  夢の中。  鬱蒼とした森の中を歩き、いつものように家を見つける。  声は聞こえない。  玄関で迎えてくれる時は聞こえないので、玄関にいるのだろうと推測する。  が。  玄関に彼はいなかった。  靴を脱いで奥の部屋へと歩を進める。  そして襖を開けた。  誰もいない。  大体は玄関か奥の部屋にいるはずなのに。  珍しいな。  俺は屋敷の中を隈なく探した。  が、彼はいなかった。  庭も見たがいない。  どこにもいない。  どういうことだ?  もしや、彼が寝ていない。  または、夢を見ていない?  この夢で彼と出会って、初めてのことだった。  もう一度屋敷の中を調べ、最後に庭を探した。  やはりどこにもいない。  そして俺は『あいつ』に会った。  どす黒い靄。  所々が触手の様に動いて。  真ん中には、目が二つ。  ……目が一つ増えた。  ちゃんと横に二つ並んで。  本来二つあって完成されたものなのに、なぜか違和感を覚えた。  じっとその目を見つめる。  恐怖はない。  相手も俺を見つめている。  何も起こらないまま。  俺たちはずっと見つめ合う。  俺は今、この化物と対峙しているのか?  そう思い、じっと睨み続けたが。  その瞳がどこか悲しそうで。  なぜか助けを求めてきた彼と重なった。 『おい』  化物相手に口を開く。 『あの人をどこにやった?』  黒い靄が二つの眼を一度だけ瞬きさせた。  でも何の答えも見出せない。  はぐらかしている様子ではない。  化物も分からないようだ。  俺たちはまたじっと見つめ合う。  そうすることによって、俺は改めて化物自身に興味を持った。  この化物は一体『何』なんだ?  改めて疑問に思う。  この靄は『あの事件』、もしくは、あの事件を取り巻く人々の思念の様なもの。  そうではなかったのか?  でも、二つ覗く瞳の色を覗うと、とてもそうは思えなくて。  一体、何から生まれた物なんだ。  見つめたところで答えが見つかるわけでもないのに。  俺はただじっとその化物を見つめていた。  なんかすっきりしない気分で目が覚めた。  また一日が始まる。  バイトに行く途中、彼にメールをした。 『昨日どうした?』  でも、返事は来ない。  嫌な予感まではしなかったが、小さな不安に駆られた。  気になりながらも、俺は自分の生活をこなすしかなかった。  休憩中。  携帯をチェックすると、彼からメールが返ってきていた。 『ごめん、寝てた。』  ひとまずほっとする。  が、ある疑問が浮かび、またメールを打った。 『夢を見た?』  現在午後三時。  昼に寝た場合はどうなるんだろうと気になったのだ。  それに対する返事はこうだった。 『見たような、見てないような。なんかあんま記憶ない。』  疲れていたのかな?  色々気になったので、夜に改めて訊いてみることにした。  夜、また同じように彼とのボイスチャットを楽しむ。  その頻度だけで言えば、十分恋人同士、のようなもの。 「-昨日、初めて一人で夢の中に入った」 『-へぇ。そうなんだ』 「-ところで、昨日寝付けなかったとか?」  少し詮索が過ぎるかと思いつつも尋ねる。 『-あー、んとね……』  彼が少し戸惑って言葉を続けた。 『-曲の編集してたんだ』 「-できたんだ!」 『-うん。あ、まだ完成自体はしてないけど』  俺の曖昧な声に丁寧に答えてくれる。 『-頑張った』  少し得意げで、満足げな声だ。  その声に心の奥から温かいものが込み上げる。 「-そっか。でも本当に無理はしないでほしい」 『-それは分かってるって』  彼が笑った。  最近、本当に明るくなったと思う。  そうなれば、俺の彼に対する感情のバランスが変わってくる。  『庇護』ではなく『愛情』が大きくなる。  そして俺はまた彼に会いたくなる。  夢ではなく現実で。  でもそれは難しい。  彼の住む場所と俺の住む場所はかなり離れていて。  時間も金もかかる一仕事。  彼の住む場所は夢より遠い。

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